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その一

 以前、姫新線の月田を舞台にした『月田という駅』という小説を書きました。これはそれと同じく中国地方の山奥、嘗ては陰陽連絡の要衝であった備後落合という駅を舞台にしたお話です。

 私が子供の頃鉄道雑誌で見た備後落合駅は、夜行列車こそ既に無くなっていたものの、日中は何本も急行列車が行き交う交通の要衝でした。駅のホームに売店が在り、夏の風情と共にとても良い雰囲気でした。ですが現在、その光景は幻になって仕舞いました。あまりにも惜しいです。私は一度も訪う事が出来ませんでしたが、その分強く大きく想像が膨らみました。この小説はその結果です。

 最近駅前旅館が在った事実を知りました。すると私の中には勝手にこの小説の筋書と内容が浮かんで来ました。きっと、こんな物語があったに違いありません。この小説で、私と一緒に六十年以上も昔のこの駅を訪ねて下さい。

 備後落合。山間の駅にありそうな駅名である。今この駅に初めて立った者は、此処(ここ)が昔交通の要衝で夜行列車まで走り、深夜も人の動きで活気があった町だったとは思いもしないだろう。蒸気機関車の煙と排気の音、線路を渡って行く響きで一日中静かな時が無い程だった。それはたかだか六十年程前の事なのであって私の様な年齢の者であればそんなに昔の事ではないのであるが、もっと若い人間からすればそれは遠い歴史の向こうの事であり、現実味をもって受け留める事は出来ないのではないだろうか。自分が生まれる前というのは多くの人間にとって想像する事の出来ないもので、鎌倉室町の大昔と何ら変わらないものであるから。しかし嘗て此処(ここ)には毎晩の様に様々な人が集まり、互いに縁もゆかりも無い間柄であるのに人生を交錯させ、そして刹那の接点を経てまた二度と邂逅する事の無い異なる道を進んでいったのである。そこには生きる事に感謝する人間も、それに怯える人間も居た。逞しく生きている様で実は不安の直中(ただなか)に居る人間も、そして自分の生きてきた一生を後悔している人間も居た。それら異なる場所で異なる人生を歩いてきた人間達が互いに何の予告も無くいきなり一堂に会する。そして誰もが何らかの話をしたいという欲求に駆られ、突然身の上話を始めてしまう。生きているからだ。生きていて想うからだ。だから話がしたくなる。私の嘗てのこの備後落合駅での体験はその事を他の何よりも証していると私は思う。

 碑(いしぶみ)というものを如何に思うべきだろうか。嘗て其処(そこ)に何か大切なものがあって、その業績や意義を讃え遺す為に建てられたものだ。多くの人間がその活動に関わりまたその活動に拠って自分の人生を変えられている。でも私は碑の残されていない場所にこそ其処(そこ)に生きた人の想いを感じ取りたい。そう思っていつも何処(どこ)かに出掛けて行く。私は自分の心の感覚だけを頼りに最早昔日の面影の残る筈もないこの駅を訪ねた。

 駅前にはちゃんと昔のままの旅館の建物が今も残っているが最早(もう)営業していない。今この駅には一日数本の普通列車が発着するだけだ。夜行列車は勿論の事急行も特急も走らない。交通の要衝とは程遠い状態で、この土地を通る人間は今やその全てといってもいい部分が車で高速道路を走っていくだけである。此処(ここ)で旅館を営業する理由は全く無い。静かな、それこそ風の樹々を渡る音しかしない静寂の場所で私は瞑目し、時間を六十年昔に戻してみた。私はその時、本当に自分が夢を観ている様な気がした。


 昭和三十二年、晩春の事である。私は夕方の汽車で備後落合駅に着いた。広島から芸備線を北上、この駅で夜明かしして翌日木次(きすき)線で日本海に出、松江に向かう予定だった。私は自分の就職が決まり、会社勤めを始める記念にその旅行を計画したのだった。

「まあ、もう落ち着いて鉄道旅行も出来る世の中になったからな。行ってこい」

 私の就職を喜ぶ父はそう言った。私もこれでようやくそんなに豊かではなかった私の家の家計を助ける事が出来ると、心から喜んだ。母は、

「御前が働きに遠くに行かないのであれば、あたしはそれでいいよ」

とだけ言った。私の就職先は実家から自転車で二十分だった。この事も私は嬉しかった。母を悲しませずに済む。しかし芸備線の汽車に揺られているうちに私は次第に不安の方が大きくなっていった。どうも汽車に揺られると私は本当に落ち着く様だ。落ち着いた結果自分が普段は見過ごしている、否、故意に見ない様にしているものと直(じか)に対面する事になる。だから不安になるのだ。

「生きるという事は、そんなに簡単な事ではない」

 私が若いのに早くも何かの病気に罹っている訳でも、就職先の職種が気に入らない訳でもなかった。しかし家を援けられる喜びに混じって暮らしが大変だった私の縁者、知り合いの事が思い出されてきた。私の叔父の一人は身体が丈夫で元気だった。しかし兵隊に行った事で右腕を失った。生きて帰ってきただけ儲けものだというのはその叔父の口癖だったが、それでもその生活は大変そうだった。その叔父の奥さんは仕事がしたくてもろくな仕事に就けない叔父を助けるべく、それこそ働き詰めだった。そして一時身体を壊して家で寝ていた。半年程して幸い回復したのは良かったが、また叔父が優しい人なので、

「御前には苦労をかけて、本当に済まん」

と奥さんを労わっていたのが可哀想だった。軍人の恩給もそんなに豊かなものではない。町には傷痍軍人がアコーディオンを抱えて幾らでも立っていた時代である。私は叔父の事を思った。

「叔父は何かいけなかったのだろうか。それとも何も悪くないのに、今みたいな状況になったのだろうか」

 勿論後者なのだ。叔父は何も悪くない。戦争に征(い)かなければならない時代だった。叔父はそれに従ったまでである。そして大きな怪我を負った。社会は未だ五体満足ではない者に寛容な時代ではなかったから、叔父の運命は叔父の意志とは違った次元で決まってしまったのだ。その事を想うと私は何ともいえない気持ちになった。自分が怠けていて自分の一生を苦しいものにするのは分かる。其処(そこ)には何の謎も無い。けれども自分の意志や行動の全く及ばない次元で自分の一生が、いや自分のみならず自分に関わった人間の運命までもが決まっていく。私が怖く感じたのはそれだった。

 また私の近所に住んでいた私の高校時代の先輩の一人は卒業後意気揚々と工場に就職した。工場は何処(どこ)でも人手を求めていたので、その先輩は給与の高い危険な作業のある製鉄所に勤めた。数ヵ月は良かったのだがそのうち先輩の事を耳にしなくなった。後で聞いた話に拠ると、先輩は大きな機械に巻き込まれて亡くなったのだそうだ。その話を聞いた後私はその先輩の両親に町の市場で顔を合わせにくくなった。何と言葉を掛けたら良いのか分からなかったからだ。しかし更に暫くして妙な話を聞いた。先輩は亡くなったのではなく工場の作業で慥(たし)かに怪我はしたものの、命は取り留めた。しかしその怪我が原因で荒れる様になり、町で誰かと喧嘩になって相手に重傷を負わせた事で懲役にぶち込まれてしまったという事だった。これも私を考え込ませた。どちらが真実かという事ではない。どちらであっても一人の人間が学校を卒業して社会に出、その先に待ち受けていたものとしてはあんまりだと思ったのだ。何も明るいものが感じられない。それだって私の叔父と同じ様に、その先輩が悪いという訳でもないだろう。それがどうしてそんな深刻な結果に至るのか。納得がいかないなどという次元の話ではなく、一歩歩けば訳の分からない事になるのではないかという恐怖感さえあった。就職出来て自分の未来が繋がる。慥(たし)かにそうだ。しかしそれはまた同時に自分が経験した事の無い、到底あたたかい何かに満たされているものとは言い難い、それどころかどういう法則が働いているのか判ったものではない何か大きな渦の中に乱暴に放り込まれるという事でもある。それでどうして明るい気持ちで居る事が出来ようか。汽車に揺られながら私は次第にそんな事に頭と胸を占領されてしまったのである。

 社会というものが自分にとって悪い方に謎めいている、そういう社会に於いて自分という人間が生きていく事が出来るのか。私は小さな頃から自分が他人と違うという事をどうしても意識してしまう人間だった。誰も友人が居ないとか何をしても面白くないとかいうのではない。そんな所謂(いわゆる)偏屈な人間であるという意味ではないのだ。しかし私は私の友人が興味をもつものに全く興味がもてなかったり、逆に私は強く惹かれるのにその対象が私の友人達には全く何の意味も無い、そんな風に思える事が多かったのである。

 例えば今回の就職という事一個をとってみても違っていた。私の友人達は高校を卒業したら元気いっぱいで都会に出て行った。広島の町でも十分立派な都会で働く所は山程もあるというのに、私の友人達は其処(そこ)でも飽き足らず競って東京や大阪に出て行くのだった。

「なあ、御前どうして東京になんか行くんだ? 広島でも十分働く場所はあるじゃないか」

 私がそう問うた友人は即座に返答した。

「折角自分で金を稼いで好きに暮らせる身分になったんだ。此処(ここ)より東京の方が良いに決まってるじゃないか。何でもあるぞ」

 そんな感じだった。何と謂うのか、前提が違っている。私には自分の生まれ育った故郷という観念が強く働いていて、その友人にはそれがからきし無かった。彼は自分一個を楽しませる欲求に全身を委ね、任せ切っていた。そこに全く躊躇が無い。そして私はそうではなく、働くという事は親を、自分の生まれ育った家を助けるという事が最大の意義で、私が何か楽しい事をするというのはどちらかといえば申し訳無い事、せめてこっそりとしなければならない事の様に思っていた。断っておくが私の父母が私にそんな事を求めた訳ではない。そんな事は私の親は一言だって私に言った事が無い。私は気が付いたらそんな風に思う人間に育っていたのだ。そしてその事に何らの奇異な印象を覚えなかった。それを極めて自然な事として受け留めていたのである。

 ブログは毎日更新しています。

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