第069話:雪のグラウンド、白球が描く放物線
翌朝、東の空が白み始めた頃、越前の山あいは奇跡のような冬晴れに恵まれていた。
雲ひとつない抜けるような青空の下、一面の銀世界が朝陽を浴びてダイヤモンドのように輝いている。
岩佐が軽トラックを停めたのは、山あいにひっそりと佇む、数年前に廃校になった小学校のグラウンドだった。
雪に覆われたダイヤモンド。
バックネットの金網が、朝霜に濡れて白く光っている。
岩佐は荷台から、使い込まれた茶色いキャッチャーミットと、縫い目の擦り切れた硬式白球を数個取り出し、三上へと放り投げた。
「はめろ、徹」
「先生……?」
「四十年生きてきて、まだ守備位置につくのを躊躇するんか? サードに入れ」
三上は息を呑み、ボロボロの革ミットに左手を滑り込ませた。
手のひらに伝わる、使い込まれた革の匂いと重み。
三上は雪を踏みしめ、サードのポジションへと駆けていった。
三十センチの積雪。足を取られ、膝まで雪に埋もれる。
だが、腰を深く落とし、ミットを構えた瞬間、三上の全身に高校球児の頃の野性が完全に蘇っていた。
ホームベースの位置に立った岩佐が、あの傷だらけのノックバットを構えた。
七十二歳の老将の背筋が、ピンと張り詰める。
白球を左手でふわりとトスした。
バットがしなり、鋭く振り抜かれた。
――カキィィィィィィィンッ!!
甲高い、澄み切った乾いた音が、静寂の雪山に響き渡った。
打球は猛烈なスピンをかけられ、冬晴れの青空へと高く、高く舞い上がった。
白球が太陽の光を浴びて銀色に輝き、美しい放物線を描いて三上の頭上へと落下してくる。
「前へ出ろ! 待つな、徹!」
岩佐の怒声が飛ぶ。
三上は雪を蹴り上げた。
革靴が滑り、足がもつれそうになる。
転びそうになりながらも、腕を振り、視線を決して白球から逸らさない。
落下地点を見極め――最後の一歩で、三上は雪原へと身体を投げ出した。
バフッ!!
顔面から雪の中に突っ込み、身体全体で雪煙を巻き上げる。
そして――。
パシィィィィンッ!!
ミットの芯で、ボールをがっちりと捕球する小気味よい音が、グラウンドに鳴り響いた。
「…………」
三上は雪の中に顔を埋めたまま、左手を天高く突き上げた。
ミットの中に、白球が確かに収まっていた。
冷たい雪が顔にかかり、鼻の奥がツンとする。
けれど、胸の奥底から、どうしようもないほどの熱い歓喜が込み上げてきた。
「ハハッ……ハハハッ……!」
三上は雪まみれの顔を上げ、大声で笑った。
岩佐がバットを杖のように突き、息を切らす三上を見下ろして叫んだ。
「そうだ! 泥まみれになれ! 雪まみれになれ! スマートに格好つけるな! 指導者が転んでも転んでも立ち上がり、必死に泥を食らう背中を見せるからこそ……子供たちは信じてついてくるんや!!」
三上は雪の上に立ち上がり、ミットの中の白球を右手に握り直した。
縫い目の感触。
石のように硬く、重い、この球。
自分は、これが好きだったのだ。
理屈でも、世間体でもない。ただこの白球を追いかけ、仲間と泥にまみれる時間が、死ぬほど好きだったのだ。
バックネットの裏で、サンダーバードがロングコートのポケットに手を入れたまま、静かに見つめていた。
眼鏡の奥の銀の瞳が、朝陽を浴びて眩しそうに細められていた。
「……ナイスキャッチです、三上監督」
風に乗って届いたその小さな呟きは、誰よりも温かい賛辞だった。




