第066話:辛味大根の衝撃、黒き十割おろしそば
土間の一角に据えられた、巨大な欅の一枚板のテーブル。
三上とサンダーバードが腰を下ろすと、奥の板場から、トントントン……と小気味よい包丁の刻み音が響いてきた。
「待たせたな」
岩佐が両手に抱えて運んできたのは、黒褐色の越前焼の浅鉢だった。
そこに乗せられていたのは、三上がこれまで見てきたどんな蕎麦とも違う、野生味の塊のような一皿だった。
越前名物――**『越前おろしそば』**。
「……黒い。それに、太いな」
三上は思わず息を呑んだ。
福井の在来種の小粒な玄蕎麦を、外殻ごと石臼でゆっくりと粗挽きにした十割蕎麦。繋ぎの小麦粉は一切使われておらず、ところどころに殻の粒が星のように散っている。包丁で無骨に切られた平打ちの太麺は、エッジがナイフのように鋭く切り立っていた。
「茹で時間は四十秒。日野川の雪解けの伏流水で、一気にぬめりを取って締め上げた」
岩佐が陶器のとっくりを持ち上げ、豪快に蕎麦の上からツユを回しかけた。
注がれたツユは、薄い紫色に濁っていた。
「ツユにはな、この土地の『辛味大根』を皮ごとすり下ろした絞り汁が、出汁と同じ分量入っとる。……躊躇すんな、一気にかき込め!」
鉢の上には、出汁を吸って踊るたっぷりの花カツオと、小口切りの青ネギ。
三上は割り箸を割り、太い蕎麦を手繰って、思い切り口の中へとすすり上げた。
――ズズッ! ズズズズズッ!!
その瞬間だった。
「…………っ!?!?!?」
三上の表情が激変した。
ツン、という生易しいレベルではない。
まるで鼻腔の奥でダイナマイトが爆発したかのような、強烈無比な辛味が脳天を直撃した。
涙がボロボロと溢れ、気管が焼け、喉の奥が悲鳴を上げる。あまりの辛さに、全身の毛穴という毛穴が一気に開き、鳥肌が立った。
「ぐ、うぅっ……! か、辛い……っ!」
「噛め! 飲み込まずに、奥歯で三十回噛め!」
岩佐の一喝が飛ぶ。
三上は涙を流しながら、言われた通り、太い麺をワシワシと奥歯で力強く噛み締めた。
一回、二回、三回……。
十回を越えたあたりから、奇跡のような変化が口の中で起こり始めた。
「……あ」
あの激痛のような辛味の嵐の奥から、驚くべき濃密な「甘み」が、泉のように湧き出してきたのだ。
それは、砂糖の甘さではない。越前の厳しい風雪に耐えた蕎麦の実が蓄えていた、力強い大地の糖分と、濃厚な穀物の芳香。
噛み締めるごとに、押し寄せる蕎麦の生命力。
サバ節と昆布の重厚な出汁、カツオ節の燻香が、大根の辛味と完璧に一つになり、舌の上で狂おしいほどの旨味のシンフォニーを奏で始める。
「……うまい」
三上は涙を垂れ流したまま、箸を止められなかった。
ズズズッ、ズズズッ!
痛いのに、辛いのに、箸が止まらない。
一口すするごとに、全身に電流が走るような刺激と、圧倒的な生命の活力が腹の底から湧き上がってくる。
「どうだ、徹」
岩佐が腕を組み、三上の涙を見つめた。
「痛いか? だがな……その辛味と痛みを突き抜けた先にしか、本当の甘みはねえんだよ」
岩佐の言葉が、三上の魂の奥底を激しく揺さぶった。
「お前は傷つくのが嫌で、他人の顔色ばかり伺って、水で薄めたようなぬるい日々を過ごしてきたんやないか? 痛い思いをして、恥をかいて、泥を飲んで……それでもバットを振るからこそ、一本のホームランの喜びが骨の髄まで染みるんやろが!」
「先生……っ!」
三上はどんぶりを抱え、最後の一滴までツユを飲み干した。
激辛の大根おろしと、力強い蕎麦の命が、胃の腑でカッカと赤く燃え盛っていた。
サンダーバードは傍らで静かに立ち、眼鏡の奥の瞳で、弟子の魂が再び熱を取り戻す瞬間を、静かに見届けていた。




