第057話:畳の上の告白、母の仕立てた白い布
塩分を含んだ和倉の名湯で芯まで温まり、揃いの浴衣に着替えた二人は、障子を開けて夜の海を眺めていた。
波の音だけが、ザザァ……と静かに部屋を満たしている。
美咲が急須から熱いほうじ茶を二つの湯呑みに注ぐと、真弓は居住まいを正し、畳の上に置いた自らのボストンバッグに手を伸ばした。
「美咲。……これ、あんたに見せなあかんと思って持ってきたんや」
取り出されたのは、紫色の縮緬の大きな風呂敷包みだった。
真弓は結び目を丁寧に解き、中の桐箱の蓋を開けた。
薄紙をめくると、そこから現れたのは――息を呑むほど純白で、柔らかな布だった。
「これ……ウェディングベール……?」
美咲は思わず息を止めた。
それは、最上級のシルクチュールで作られた、床まで届くほどのロングベールだった。
裾のまわりには、真弓の手縫いによって、加賀友禅の優美な桜と藤の花が、極細の銀糸と淡い桜色の絹糸で、気の遠くなるような緻密さで刺繍されていた。
ミシン縫いではない。一針、一針、母が自らの指で、夜なべをして縫い上げた手刺繍だった。
「お母さん……これ、自分で縫ったの……?」
「そうや」
真弓は少し照れくさそうに、けれど真剣な眼差しで美咲を見つめた。
「あんたが『教会式で、白いドレス着る』って言うた時な……ほんまは、飛び上がるほど嬉しかったんよ。洋裁の仕立て屋として生きてきた私が、娘のために作れる最後の贈り物やと思って……毎晩、老眼鏡かけてチクチク縫いよったんや」
真弓の目から、ぽろりと涙がこぼれた。
「でもな……東京のきらびやかなドレスショップで、あんたが最新のドレス選んどるのを見た時、急に怖くなったんや。『こんな年寄りの手縫いのベールなんか、娘のセンスに合わんのやないか』『邪魔やと思われるんやないか』って……」
真弓は両手で顔を覆った。
「情けない話やけど、あんたが遠くへ行ってまうのが怖くて……寂しくて……あんなドレス似合わんとか、教会式はあかんとか、自分の弱さを隠すために、あんたを傷つけるような嫌味ばっかり言うてしもうたんや……。ごめんな、美咲。本当に、ごめんな……」
――美咲の視界が、涙で真っ白に滲んだ。
美咲は膝を進め、畳の上に泣き崩れる母の体を、力いっぱい抱きしめた。
「ごめんなさい……! 私の方こそ、ごめんなさい……!」
美咲は母の肩に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
「お母さんの気持ち、何一つ分かってなかった……! 私、自分のことばっかりで……! こんなに綺麗なベール、世界中どこを探したってないよ! 私、このベールをつけてバージンロードを歩く! お母さんが縫ってくれたこのベールが、私の誇りだよ……!」
母と娘は、二人が抱き合って流す涙で、互いの浴衣を濡らした。
二十九年間、言えなかった言葉。すれ違っていた想い。
そのすべてが、母が仕立てた純白のベールの上で、美しい絆となって結び直されていった。




