第053話:千里浜の潮風、波打ち際のドライブウェイ
列車が能登半島の西の付け根・羽咋駅に到着したとき、花嫁が二人に微笑みかけた。
「少し能登の海風を浴びにまいりましょう。この土地でしか見られない、特別な砂浜がございますよ」
花嫁に案内されて乗り込んだのは、駅前に待機していた一台のタクシーだった。
車は松林を抜けると、驚くべきことに、そのまま海岸の砂浜へと突入していった。
「えっ、ちょっと運転手さん!? 砂浜に入って大丈夫なんですか!?」
美咲が思わず声を上げると、運転手はカラカラと笑った。
「お嬢さん、心配いりませんよ。ここが日本で唯一、車で走れる砂浜――『千里浜なぎさドライブウェイ』ですよ!」
フロントガラスのすぐ真横を、冬の日本海の荒波が砕け散っていた。
白波の飛沫が霧となって舞い上がり、タイヤの下からはザザザザッ……と力強いロードノイズが響く。
千里浜の砂は、粒が極めて小さく均一で、海水を吸い込むとまるでアスファルトのようにカチカチに固まる性質を持っているのだという。
約八キロメートルにわたって続く、波打ち際のドライブウェイ。
右手に日本海の怒濤、左手に砂丘。遮るものの何もない大自然の中を疾走する開放感に、美咲は思わず窓を少し開けた。
冷涼な潮風が車内に吹き込み、眠っていた感覚を一気に覚醒させる。
「ここで少し、波の音を聞きましょうか」
車が波打ち際に停車し、三人は砂浜へと降り立った。
冬の日本海からの風は、容赦なく冷たかった。
鉛色の雲の切れ間から、わずかに灰色の光が差し込み、波頭が泡立っている。
ふと横を見ると、真弓が風に背を向け、両手で耳を押さえて震えていた。
細い指先も、耳たぶも、寒さで赤く染まり、唇が微かに震えている。
「……お母さん」
美咲は躊躇することなく、自分の首元に巻いていた厚手のカシミヤストールを外した。
そして、母の首元に、ふわりと二重に巻きつけてあげる。
「え……美咲、あんたが寒いんやないの?」
「私は若いから平気。……お母さん、昔から喉が弱かったでしょ。風邪引いたら大変だから」
美咲が丁寧にストールの端を整えてあげると、真弓は目を丸くし、やがて視線を落とした。
「……ありがとう、美咲。あったかいわ」
その時、美咲は母の右手をそっと握った。
氷のように冷え切った、骨張った指先。
美咲は自分のコートの右ポケットに、母の手ごと自分の手を滑り込ませた。
ポケットの中の暗闇で、二人の指が自然と重なり合う。
「……手、繋いだの、いつ以来やろね」
真弓が小さく呟いた。
「小学校に上がるとき以来じゃないかな。……お母さんの手、すごく小さくなったね」
「あんたが大きくなったんよ。……立派な大人になったわ」
荒波が足元まで打ち寄せては、白い泡を残して引いていく。
ポケットの中の手のひらから、母の体温が、美咲の血液へとじんわりと伝わってきた。
花嫁は少し離れた波打ち際で、朱塗りの和傘を風に傾けながら、慈愛に満ちた笑みを浮かべて二人を見守っていた。




