第051話:深紅と金箔、走る小京都の車内
車輪が滑らかに軋み、列車が金沢駅のホームを離れた瞬間、車内は別世界のような静寂と温もりに満たされた。
通路の壁面は、金沢・ひがし茶屋街の町家を思わせる、落ち着いた「紅殻格子」で仕切られている。
案内された二両編成の一号車は、すべて半個室のボックス席になっていた。
壁には、桜や撫子が染め抜かれた本物の加賀友禅のパネルが飾られ、テーブルには輪島塗を模した漆黒と金箔の蒔絵が施されている。足元には、日本庭園の飛び石を模した絨毯。
まるで、走る高級料亭の離れ座敷だった。
「どうぞ、お掛けになっておくつろぎあそばせ」
花嫁が優雅な手つきで、二人のテーブルに小さな漆塗りの盆を置いた。
湯気とともに立ち上ったのは、鼻腔をくすぐる、たまらなく香ばしい焙煎の香りだった。
白い九谷焼の湯呑みの中に注がれていたのは、透き通るような琥珀色の**『加賀棒茶』**。
一番茶の良質な茎だけを選りすぐって浅く焙じた、金沢伝統のほうじ茶だ。澄んだ茶の表面には、細かく砕かれた純金箔がキラキラと浮かび、雪割草をかたどった薄紅色の練り切りが添えられていた。
「お身体を温めてくださいまし。金沢の冬は、底冷えがいたしますから」
美咲は両手で湯呑みを持ち上げた。
指先からじんわりと温もりが伝わり、冷えて強張っていた肩の力がふっと抜けていく。
一口含むと、スモーキーで芳醇な香ばしさが口いっぱいに広がり、その奥から茶葉本来のまろやかな甘みが喉を滑り落ちていった。
向かいの席で、真弓も無言でお茶に口をつけた。
「……美味しいね。金沢の棒茶は、やっぱり香りが違うわ」
「……うん」
東京を出てから初めて、母娘の間で自然な会話が交わされた。
「お嬢様」
花嫁が二人の横に膝をつき、涼やかな瞳で美咲を見つめた。
「結婚式を控え、とても胸を痛めていらっしゃるご様子ですね」
美咲はビクッと肩を揺らし、湯呑みを見つめた。
「……わかるんですか」
「ええ。わたくしは、幾万組もの花嫁様のお見送りと、ご両親の涙を見てまいりましたから。……お母様に、素直になれないのでございますね」
母・真弓が窓の外へ顔を背ける。
美咲は胸の奥に溜まっていた澱を、ぽつりぽつりと吐き出した。
「私……ウェディングプランナーとして、お客様の希望を叶えるのが仕事なんです。だから、自分の式も、自分が信じる最高の形でやりたかった。それなのに、お母さんは何一つ認めてくれない……。ドレスも、演出も、引き出物も、全部ダメ出しばかりで……」
美咲の声が悔しさに震えた。
「どうして私の選んだものを、一度も『いいね』って褒めてくれないの? どうしていつも、私の邪魔ばかりするの……?」
車内が静まり返った。
真弓は唇を固く結び、膝の上のバッグを握りしめていた。
花嫁は静かに首を横に振った。
「邪魔をしているのではありませんのよ、美咲さん」
「え……?」
「手塩にかけて育ててこられたお母様にとって、娘が嫁ぐということは……自らの半身をもぎ取られるような、身を切るほどの寂しさを伴うもの。……その寂しさが、不器用ゆえに、トゲのついた言葉になってこぼれてしまうだけでございます」
花嫁の言葉に、真弓の肩が小さく跳ねた。
真弓は俯いたまま、何も言わなかった。けれど、その膝の上で固く握られた指先が、微かに震えていた。
列車は津幡を過ぎ、いよいよ七尾線へと分岐していく。
車窓の外には、雪をかぶった能登の田園風景が、白一色となって静かに広がっていた。




