第049話:新しい工具箱、北へ向かう特急
午後の紀伊勝浦駅。
改札を抜けてホームへ上がると、太平洋からの心地よい潮風が吹き抜けていた。
新大阪行きの特急『くろしお』のデッキの前で、くろしおが腕を組んで二人を待っていた。
「へへっ! 二人とも、見違えるようにいい顔になったじゃないの!」
「くろしおちゃん、ほんまにおおきにな」
幸造は深々と頭を下げた。
幸造が上着のポケットから、あの『風の切符』を取り出した。
すると、くろしおがパチンと指を鳴らした。
硬券の表面に、躍動する黒潮の白波と、天を突く那智の滝を象った、鮮やかなマリンブルーのスタンプが浮かび上がった。
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│ [風] 風 の 切 符 │
│ 発駅:言葉につまった場所 │
│ 着駅:那智勝浦(父子の絆) │
│ │
│ [下車前途無効・人生の再始動 完了]│
└──────────────────┘
「切符の役目は、これでおしまいさ!」
くろしおは八重歯を見せてニッと笑った。
「で? お父さん、大阪へ戻ったらどうするんだい? また家でゴロゴロしちゃうのかい?」
「まさか!」
幸造は胸を張り、力強く笑った。
「大阪へ戻ったらな、区民センターの市民工房に顔を出すつもりや。近所の子供たち集めてな、昔ながらの木工や金属加工の工作教室をボランティアで開こうと思うとる。あの那智黒石の親方に負けてられんからな。わしの手は、まだまだ現役や!」
「それ、すごくいいね親父」
健太が隣で目を細めた。
「俺も休みの日は手伝いに行くよ。チラシのデザインやホームページの作成、俺の得意分野だからさ」
「おう、頼むわ! 頼りにしてるぞ、健太」
父と息子の固いハイタッチの音が、ホームに小気味よく響いた。
発車ベルが鳴り響く。
二人は軽く身軽になった足取りで、特急の車内へと乗り込んだ。
プシューッと扉が閉まり、オーシャンブルーの特急は、再び紀伊半島の海岸線を北へ向けて、滑らかに走り出した。
デッキの窓から、くろしおが大きく手を振っているのが見えた。
「元気でねーーっ! たまには二人で美味い魚食いに来なよーーっ!!」
その声が、遠ざかる青い海と空の中に吸い込まれていく。
幸造と健太のこれからの人生に、もう迷いの影はどこにもなかった。
***
【幕間:雪舞う金沢駅・七尾線ホーム】
日本海からの冷たい冬の風が、金沢駅のもてなしドームを吹き抜けていく。
七尾線のホームに、輪島塗の漆黒と深紅、そして加賀友禅の雅やかな金箔をあしらった豪華絢爛な着物をまとった美女が佇んでいた。
鉄娘『花嫁』――人と人、心と心を結ぶ「のれん」の付喪神。
彼女は艶やかな袖を風に揺らし、能登半島の方向を見つめて、淑やかに微笑んだ。
「南紀の青き黒潮が、父と子の絆を温かく結び直したようでございますね」
彼女の細い指先が、雪の結晶を受け止める。
「さて……次は、雪深き加賀と能登の国。結婚を前に素直になれない娘さんと、言えなかったお母様の想い……。わたくしが、極上の朱塗りの椀と温泉でおもてなしいたしましょう」
西の鉄路は、雪煙を上げて北陸へと繋がっていく。
風の切符が運ぶ人生の寄り道は、途切れることなく、次の誰かの駅へと走り続けている。
(第一周遊 第五章『くろしおと黒潮の海、父の背中』 了)
(第一周遊 第六章『花嫁と朱塗りの椀、母娘ののれん』へつづく)




