第039話:卒業制作のキャンバスへ、東への汽笛
正午の鳥取駅。
改札を抜けて高架ホームへと上がると、心地よい初夏の風が吹き抜けていた。
栞の肩には、大切に布で包まれた細長い図面ケースが掛けられていた。
中には、今朝、鳥取砂丘の風紋の上で描き上げたあの一枚の和紙と、青谷で漉いた真っ白な四枚の和紙が大切に収められている。
ふと向かいの三番線ホームを見ると、低く唸るディーゼルエンジンの排気熱とともに、見覚えのある列車が停車していた。
鋭角的なステンレスの車体に、燃えるような茜色と銀のライン。
特急『はまかぜ』――兵庫県の香住や城崎から、播但線の険しい峠を越えて大阪へと向かう、あの銀の気動車だった。
「あ……」
デッキのドアの影から、車掌帽を小粋に被ったショートカットの少女がひょっこり顔を出し、栞と目が合った。
少女はニッと白い歯を見せて親指を立てると、まるで「いい風を吹かせたな!」とでも言うように、快活に手を振ってくれた。
「山陰の鉄路はね、すべて一本の温かな糸で結ばれておりますのよ」
背後から、鈴を転がすような静かな声が響いた。
振り返ると、紺碧と白の装束をまとったあめつちが、穏やかな微笑みをたたえて立っていた。
「あめつちさん……見送りに来てくださったんですね」
「ええ。あなたの旅立ちを見届けるのが、わたくしの役目でございますから」
栞は胸ポケットから、あの『風の切符』を取り出した。
すると、あめつちがそっと指先をかざした。
カチリ、と微かな音がして、切符の表面に、純白の和紙の繊維が舞い散るような、神聖な印影が浮かび上がった。
┌──────────────────┐
│ [風] 風 の 切 符 │
│ 発駅:出雲市(神話の渚) │
│ 着駅:鳥取砂丘(風紋の丘) │
│ │
│ [下車前途無効・用の美の覚醒 完了]│
└──────────────────┘
「切符の役目は、これで終わりでございます」
あめつちは深々と頭を下げた。
「けれど、この山陰の土と水、そして祖父君の命は、いつでもあなたの中に息づいております。迷ったときは、いつでも風の音をお聞きなさい」
「はい……! 本当に、ありがとうございました。私、京都に戻って、世界で一番温かい灯りを作ります!」
京都行きの特急『スーパーはくと』が入線してきた。
智頭急行線を駆け抜け、播磨を抜けて関西へと向かう俊足の特急。
栞は力強い足取りでデッキへと乗り込んだ。
プシューッと扉が閉まり、列車が滑らかに加速していく。
ホームの端で、あめつちが両袖を風になびかせながら、静かに手を合わせ、祈るように見送っていた。
***
それから、半年後の冬。
京都市内の美術館で開催された、京都美術大学の卒業制作展。
広い展示室の片隅に、朝から途切れることなく人々が足を止め、温かい溜息を漏らしている一角があった。
そこに展示されていたのは、高さ二メートルを超える、巨大な球形の行灯だった。
作品名は――『風の巡礼』。
山陰の草木で染め上げられた素朴な麻布と、あの青谷で栞が自ら漉いた因州和紙が、まるでステンドグラスのように緻密に張り合わされている。
内側に灯された柔らかな白熱灯の光が、和紙の繊維と風紋の線を透かし、部屋全体にまるで初夏の木漏れ日のような、奇跡のような温かい陰影を落としていた。
訪れた老夫婦が、小さな子供連れの母親が、その灯りの前に佇み、誰もが穏やかな笑顔を浮かべていた。
「見事な作品ね、栞さん」
教授が背後から声をかけた。
「最優秀賞だよ。派手な技巧に逃げず、素材の命と、人の暮らしに誠実に向き合った……本当に美しい、用の美だ」
「ありがとうございます」
栞は深々と一礼した。
胸元に手を当てると、あのポケットの中で大切にお守りにしている、使用済みの『風の切符』が、微かに熱を帯びているような気がした。
***
【幕間:紀伊半島・白浜の海岸線】
冬だというのに、南国のように陽光が降り注ぐ、太平洋の海辺。
打ち寄せる黒潮の白波の上を、イルカのように身軽に跳ね回る一人の少女がいた。
オーシャンブルーのツインテールに、スポーティなマリンジャケット。
鉄娘『くろしお』。
「ふぁーーっ! 今日もいい波、いい太陽!」
少女は防波堤の上に飛び乗ると、両手をかざして遠い水平線を見つめた。
その瞳の先、潮風に乗って、西の山陰から一本の清らかな風の筋が届いた。
「おっ、山陰のあめつち姉ちゃんからバトンが届いたね! 次はあたしの番だ!」
くろしおはニカッと八重歯を見せて笑った。
「太平洋の黒潮と、甘い有田みかん、それに那智の滝! どんな頑固で疲れた旅人も、あたしが笑顔にしてやるんだから!」
太平洋の青い海に、汽笛が高らかに鳴り響いた。
風の切符は、南紀の黒潮の道へと、新たな旅人を運ぼうとしていた。
(第一周遊 第四章『あめつちと白き因州和紙』 了)
(第一周遊 第五章『くろしおと黒潮の海、父の背中』へつづく)




