第034話:楮の白き繊維、茜色の夕暮れ
漉き上げた紙は、一枚一枚丁寧に重ねられ、木製の圧搾機でじっくりと水分を絞り出された。
午後になり、谷あいに初夏の爽やかな西風が吹き抜ける頃、政吉親方は天日干しの作業場へと栞を案内した。
勝部川の河原に面した広場には、厚さ数寸もある巨大な栃と銀杏の干し板が、幾重にも立てかけられていた。
「ほら、栞ちゃん。湿紙を板に張るんだ。破かないように、角からそっとな」
水分を含んでずっしりとした純白のシートを、指先で慎重に持ち上げる。
栃の木の板にぴたりと合わせ、馬の毛で作られた大きな刷毛で、中央から外側へ向けて空気を押し出すようにサッ、サッと撫でつける。
空気が抜け、木肌に和紙がぴったりと吸い付いた。
「よし、あとはお天道様と山風の仕事だ」
政吉親方は土間の縁側に腰を下ろし、湯気の立つ鉄瓶から番茶を注いでくれた。傍らには、薪ストーブの灰の中でじっくり焼かれた、ホクホクの焼き芋が割られている。
「食いな。山仕事のあとの芋は格別だぞ」
「いただきます……!」
熱い焼き芋を頬張る。
黄金色の果肉はねっとりと甘く、焦げた皮の香ばしさと、番茶の渋みが疲れた身体を芯から癒やしていく。
あめつちも小さく口を開け、お芋を上品に口に運んでは、「ほくほくで、甘味がございますね」と目を細めていた。
ふと、干し板の方を見やると、奇跡のような変化が起きていた。
「あ……」
栞は思わず立ち上がった。
板に貼られたときは、濡れて木肌が透けて見えていた半透明の紙が、乾くにつれて、みるみるうちに輝くような純白へと色を変えていたのだ。
西日が差し込むと、紙の表面に浮き出た楮の長い繊維が、まるで一本一本が光を反射する絹糸のように、キラキラと眩しく輝き出した。
刷毛の跡が微かな凹凸となって残り、木肌の木目が微かに紙の裏面に刻まれている。
風が渡ると、乾き上がった紙の端が、パタパタと軽やかな音を立てて板から自ら浮き上がった。
栞は駆け寄り、両手でその紙を受け止めた。
「…………っ」
息が詰まるほど、美しかった。
漂白剤で真っ白に脱色されたコピー用紙の冷たさとはまるで違う。
草木の命が、清らかな水と太陽の光によって昇華された、温かみのある白。
指先で撫でると、さらさらとした優しい手触りがあり、軽く引っ張っても破れる気配すらない。光に透かすと、無数の繊維が手を取り合うように縦横無尽に結びつき、まるで生きている森の呼吸そのものが閉じ込められているようだった。
「これが……私が漉いた、紙……」
「そうだ」
政吉が後ろから歩み寄り、栞の肩に温かい手を置いた。
「西洋の紙は百年の命だが、日本の手漉き和紙は千年の命を持つ。正倉院の文書が今も読めるのは、この楮の繊維のおかげだ。……木が姿を変えて、あんたの想いを受け止めるために、生き続けてるんだよ」
栞の胸の奥底で、ずっと固く凍りついていた何かが、完全に溶け去った。
――私は、何を描こうとしていたんだろう。
絵の具をどう塗るか、どんな奇抜なデザインにするかばかり考えていた。
けれど、表現とは、素材を力づくでねじ伏せることではない。
この和紙のように、自然の命を敬い、人の暮らしに寄り添い、祈りを込めて手作業を重ねること。
それこそが、祖父が一生をかけて遺したかったものなのだ。
「政吉さん……私、この紙で卒業制作を作ります。染織と、この紙を合わせて……誰かの家を、誰かの心を温めるような灯りを作りたいんです」
「おう! やれ、思いっきりやれ! 源造さんも、草葉の陰で間違いなく笑ってるぞ!」
夕暮れの茜空が、青谷の山あいを美しく染め上げていた。
栞の手の中にある白い和紙が、まるで夕陽の光を吸い込むように、柔らかな朱色に輝いていた。




