第024話:安芸津の牡蠣と、柑橘の雫
列車が安芸津から風早にかけての海岸線を走り始めたとき、唯は思わず窓に張り付いた。
「うそ……海が、こんなに近いなんて……!」
線路のすぐ真横が、防波堤と砂浜だった。
車窓の下を見下ろせば、透き通った海水が砂利を洗い、小さな小魚の群れが泳ぎ回っているのが肉眼で見える。まるで、列車そのものが海の上を浮いて走っているかのような錯覚。
沖合には、黒い杉丸太を組んだ「牡蠣筏」が無数に並び、海鳥たちが羽を休めている。
「お待たせいたしました。呉線自慢の海の恵みと、柑橘のデザートよ」
エトセトラが、涼やかなガラスプレートを二つ、唯のテーブルに並べた。
一つ目の皿には、琥珀色のオイルをまとった大粒の牡蠣が三つ。
**『安芸津産・一文字牡蠣の燻製オイル漬け』**。
「安芸津の海はね、塩分濃度が高くてプランクトンが豊富だから、牡蠣の身がキュッと引き締まって味が濃いの。桜のチップで軽く燻製にして、エキストラバージンオリーブオイルと、先ほどのトヨさんのレモンの皮と一緒に漬け込んであるわ」
フォークで牡蠣を口に運ぶ。
噛み締めた瞬間、スモーキーな香ばしさが鼻を抜け、続いて濃厚極まりない「海のミルク」が口の中でとろけ出した。
オイルのコクを、レモンピールの清々しい苦味がキュッと引き締め、後味は驚くほど軽やか。
「……美味しい! こんなに旨味が凝縮された牡蠣、食べたことないです……!」
「そして、お口直しにこちらをどうぞ」
もう一つの皿に載っていたのは、白い陶器のココットに入った**『瀬戸内柑橘のレアチーズケーキ』**だった。
純白のクリームチーズの層の上に、宝石のように透き通った黄金色のジュレがたっぷりと敷き詰められている。
スプーンを入れると、八朔のサクサクとした果肉と、レモンのコンフィチュールがジュレとともに掬い上がった。
口に含む。
ひんやりと冷たいレアチーズのまろやかな酸味とコク。
そこに、八朔特有のほろ苦くジューシーな果汁と、レモンの華やかな香りが重なり合う。
甘すぎず、重すぎず、初夏の海風そのものを掬って食べているような爽快感。
「美味しい……本当に、美味しい……」
唯は一口、また一口と大切に味わった。
東京にいた頃、自分の食事といえば、オフィスのデスクでパソコンの画面を見ながら流し込むコンビニのサンドイッチやエナジードリンクばかりだった。何を食べているのか、どんな味がするのかすら気にしていなかった。
「味覚ってね、心が固くなると最初に麻痺しちゃうものなのよ」
エトセトラがカウンターの隅で微笑んだ。
「こうして『美味しい』と心から思えるなら、あなたの心はもう、ちゃんと呼吸を始めているわ」
車窓の外には、午後の穏やかな陽光を浴びてキラキラと輝く瀬戸内の海が、どこまでも広がっていた。




