第206話:博多の夜の屋台、玄界灘の真鯛ごま茶漬け
門司港から特急ソニックで南西へと駆け抜け、夜の帳が降りた九州最大のメガターミナル――博多駅へ。
駅を出て、那珂川沿いに立ち並ぶ中洲の屋台街へ足を運ぶと、川面に揺れる赤提灯の光と、豚骨スープ、焼き鳥、そして醤油の香ばしい匂いが夜風に乗って漂っていた。
暖簾をくぐった一軒の老舗屋台『玄海丸』。
木製のカウンターに腰を下ろした涼太の前に、大将が恭しく差し出したのは、金色の出汁が湯気を立てる、息を奪われるほど美しい一杯の丼だった。
「お兄さん、遠いところをよう来んしゃったね! 玄界灘の今朝獲れ――『天然真鯛のごま茶漬け』ばい!」
有田焼の丼に盛られた炊きたての白米。
その上に、隙間なく敷き詰められているのは、透き通るような白身に淡い桜色の筋が入った、肉厚の真鯛の切り身だった。
切り身には、博多の熟成醤油、炒りごま、そして濃厚な練りごまを合わせた特製のごまダレがたっぷりと絡められ、刻み海苔とワサビが天頂に添えられている。
「まずは、そのまま一切れ、刺身として味わってみて!」
涼太は箸を伸ばし、鯛の切り身を口へ運んだ。
――コリコリッ! ジュワッ……!
「……っ! すごい歯ごたえ……!」
玄界灘の荒波に揉まれた天然真鯛。
驚異的な筋肉の引き締まりと、噛むほどに溢れ出す淡白でありながら濃厚な白身の旨味。
そこに、練りごまの芳醇なコクと甘辛い醤油が絡み合い、口の中が至福の香気で満たされる。
「さあ、ここからが本番ばい!」
大将が熱々の土瓶を取り、丼の上から豪快に出汁を注ぎかけた。
――ジュワワワワァァァッッ……!
立ち上る湯気。
焼きあご(トビウオ)と昆布で引いた澄み切った黄金出汁が注がれた瞬間、真鯛の切り身の表面が、まるで花が開くように純白の霜降りへと変化した。
ごまの香りとあご出汁の香ばしさが爆発的に立ち込める。
涼太は丼を抱え、熱々の出汁とご飯、そして霜降りの真鯛を一気にかき込んだ。
――ズズッ……ハフッ、ジュワッ……!
「……っっっ! う、美味い……ッ!!」
思わず声が裏返った。
熱い出汁によってレアに火が通った鯛の身は、表面がフワリと柔らかく、中心部には生のコリコリとした弾力が残っている。
あご出汁の力強い旨味と、溶け出したごまダレのコクが、白米の一粒一粒を抱き込み、喉の奥へと滑らかに滑り落ちていく。
「美味い……! こんなに豊かなお茶漬け、博多の夜にこれ以上の贅沢はない……!」
あっという間に丼を空にした涼太は、額の汗を拭い、満ち足りた溜息を漏らした。
* * *
夜十時。
屋台を後にし、博多駅の専用ホームへと戻った涼太の前に、奇跡が訪れた。
プシュー……。
静寂に包まれた六番線ホームに、音もなく滑り込んできた一編成の列車。
――古代漆色。
鏡のように周囲の灯りを映し出す、漆黒にも似た深い艶を持つボディ。
先頭機関車DF200のノーズには、誇らしげに輝く純金のエンブレム。
日本最高峰のクルーズトレイン――『ななつ星 in 九州』だった。
客車のデッキの扉が開き、ホームの上に、周囲の空気を凛と澄ませる、圧倒的な気品に満ちた女性が降り立った。
古代漆色の艶やかなロングドレスに、純金の細工刺繍。
胸元には薩摩切子の首飾り、耳元には有田焼の小花、帯には大川組子の繊細な幾何学模様。
髪には、夜空の北斗七星を象った純金のティアラ。
すべてを包み込むような、神々しい慈愛と威厳を湛えた瞳――。
九州の至高の女王――鉄娘・**ななつ星**だった。
「お帰りなさい、白石涼太さん」
ななつ星は優雅に微笑み、両手を広げた。
「最初の迷い人であり、今や全国の旅人たちの祈りを届ける語り部となったあなたを……心から歓迎いたしますわ」
「ななつ星……!」
涼太の胸ポケットの切符が、眩い七色の光を放って脈打った。
「ようこそ、星々の集う大地へ。……さあ、中へお入りなさい。あなたの背負ってきたすべての手紙と奇跡を、この走る星の宮殿で、ひとつに結び合わせましょう」
涼太は息を呑み、女王の手を取った。
第二周遊の、そしてすべての物語の真のクライマックスが、今、静かに幕を開けたのだった。




