第204話:下関の海底トンネル、銀釜の守護騎士が導く海峡
本州最西端の鉄道ターミナル――山口県下関駅。
初夏の澄み切った朝の光が、関門海峡から吹き寄せる潮風とともにプラットホームを吹き抜けていく中、白石涼太(しらいし りょうた / 29歳)は、在来線ホームの柱に寄りかかり、感慨深げに海を見つめていた。
二十九歳。
かつて、東京のIT系ブラック企業で過労と不眠症で倒れかけ、人生のすべてに絶望して飛び乗った寝台特急『サンライズ瀬戸・出雲』の車内で、最初の『風の切符』を手にした男(※第一周遊・第一章の旅人)。
あれから数年。
生きる気力を取り戻し、会社を退職した涼太は、現在、日本の伝統工芸と地方の鉄路を追う気鋭の紀行ルポライターとして全国を駆け巡っていた。
涼太の肩に掛けられた大きな革のボストンバッグの中には、信じられないほどの重みを持つ「宝物」が詰まっていた。
それは――第一周遊から第二周遊にかけて、全国各地の鉄娘たちと出会い、人生を取り戻した旅人たち(第1章から第19章までの全員!)を取材する中で、彼ら・彼女らから託された、感謝の手紙と贈り物の束だった。
「……とうとう、ここまで来たんだな」
涼太は胸元のポケットに手を当てた。
そこには、かつて出雲でスタンプを灯された、あの一枚の硬券切符――『風の切符』が収まっている。
だが、その切符は今、これまでのどんな時よりも強く、眩い七色の虹のような光を放ち、胸の奥を激しく揺さぶっていた。
本州と九州を隔てる、幅わずか六百メートルの関門海峡。
その海底深くを貫く、世界初の海底鉄道トンネル――『関門鉄道トンネル』。
本州側の直流千五百ボルトの架線から、九州側の交流二万ボルトの架線へと切り替わる、電気の流れていない空白の区間――『デッドセクション(死電区間)』。
その時だった。
――ガタタン、ゴトトン……ゴォォォォォォォッ!!
トンネルの奥から、大地を揺るがすような凄まじいモーターの唸り音が響いてきた。
山陽本線の線路を、朝日を浴びて白銀に輝きながら滑り込んできた一両の電気機関車。
――銀。
ペンキの塗られていない、鈍く光るステンレスの無塗装ボディ。
外板には、海底トンネルの海水と潮風による塩害を防ぐために波打つようにプレスされた、無数の無骨な凹凸――コルゲート(波板)が刻まれている。
関門トンネル専用の交直流電気機関車――『EF81形300番台』、鉄道ファンが畏敬の念を込めて呼ぶ「銀釜」だった。
キィィィィィン……と力強いブレーキ音を残して停車した機関車のステップの上に、一人の女性が降り立った。
ステンレスのコルゲート板を象った、銀色に輝く西洋甲冑のようなタイトドレス。
ショートカットの銀髪、そして海峡の激流のように鋭く澄み切った銀色の双眸。
背中には、直流と交流の二本のパンタグラフを模した銀の長槍。
「……よう、旅人」
その鉄娘――**ぎんがま**は、武骨に顎をしゃくり、涼太の胸元を見据えた。
「その胸元の切符の光……しかと届いたぜ。本州のすべてのレールを走破し、とうとうこの海峡の門まで辿り着いたようだな」
「あなたが……関門の守護神、銀釜……!」
涼太の喉が緊張にキュッと締まると、ぎんがまはフッと不敵な笑みを浮かべた。
「守護神なんて大層なもんじゃねえよ。俺はただ、潮風と海水が滴る暗闇の海底トンネルを、何十年も休まず往復してきただけの、鉄の運び屋さ。……だがな、本州の直流だろうが、九州の交流だろうが、俺の身体を通せば、線路は一本も途切れさせやしねえ」
ぎんがまは機関車の乗降口の扉を開け放った。
「乗りな、白石涼太! 関門海峡の底をぶち抜いて、九州の大地へ飛び込むぞ! ……あの大地で、お前を待っている『至高の女王』の元へな!」
涼太がデッキへと飛び乗ると同時に、巨大なコンプレッサーが空気を吸い込み、重厚なブロワー音が鳴り響いた。
列車は加速を始め、下関の地上を離れ、暗黒の海底トンネルへと突入していった。
壁面を流れる蛍光灯の光、頭上にのしかかる関門海峡の千億トンの海水。
だが、ぎんがまの銀色の巨躯は、微塵の揺らぎもなく、海底の闇を切り裂いて疾走した。
プツン――。
デッドセクション。車内の照明が一瞬だけ消え、静寂が訪れる。
そして次の瞬間――バチン! と激しい火花とともに交流の電気が通り、トンネルの出口から、眩いばかりの九州の太陽の光が差し込んできた!
海峡を越えた。
九州の大地――門司港の青い空が、涼太の視界いっぱいに広がったのだった。




