第202話:真夜中の転車台、回る機関車と星降る汽笛
午前四時。
夜明け前の最も深い闇が、新山口の空を支配していた。
扇形庫のレールから、ガタタン、ゴトトン……と地響きのような低音が立ち上がった。
火室に石炭が投入され、真紅の業火が燃え盛る中、蒸気圧計の針が規定値の十六気圧を指し示している。
恭平が削り出した真新しい真鍮軸受メタルが、主連棒のクランクピンを完璧に包み込み、油差しから注がれた潤滑油を吸い込んで黄金色に鈍く光っていた。
ピストンが前進し、クロスヘッドが滑らかにスライドする。
直径一メートル七十五センチの巨大な第一動輪が、微塵のガタつきもなく、静かに一回転した。
「……完璧だ」
機関区長が震える声で叫んだ。
「異音なし! クリアランス、完全にゼロ公差だ!!」
漆黒の巨躯――C57 1号機が、ゆっくりと扇形庫の暗闇から、星空の下へと滑り出していった。
向かう先は――構内の中央に据えられた、巨大な鉄とコンクリートの円形遺構――『新山口転車台』。
ガタン――。
百トンを超える蒸気機関車の巨躯が、転車台の二条のレールの上へと乗り上げた。
そして――。
側線のホームには、瑠璃色の車体を月光に照らし出された夜行特急『WEST EXPRESS 銀河』が、静かにヘッドライトを点灯させて滑り込んできた。
転車台の円形の舞台。
その中央に立つ機関車C57のランボードの上に、緋色のストールをなびかせた鉄娘・やまぐち。
そして、ホームのデッキの上に、瑠璃色のドレスをまとった鉄娘・ぎんが。
「回しなさい!」
やまぐちが夜空を指差して叫んだ。
「真昼の太陽と、真夜中の星空を! 私たちの魂のレールを、一つに繋ぐのよ!」
ギィィィィィ……ゴトン、ゴトン……。
電動モーターの低い駆動音とともに、巨大な転車台が、円を描くように静かに回転を始めた。
満天の星空の下、百トンの鉄の城が、ゆっくりと宙を舞うように旋回していく。
――ボオオオオオオオオッッ!!
C57の煙突から、夜空を衝くような白煙とともに、魂を揺さぶる重厚な汽笛の咆哮が放たれた。
大地を震わせ、山々に木霊する、太陽の炎の叫び!
――ファァァァァァァァン……!!
それに呼応して、ぎんがのタイフォンが、澄み切った鐘のように高く、清らかに夜空へと響き渡った。
星々の涙を拭い去るような、至高の夜想曲!
二つの音色が重なり合い、新山口の夜空を巨大な音のドームとなって包み込んだ。
転車台の回転に合わせて、やまぐちとぎんがが、互いに手を伸ばし、空中で指先を触れ合わせた。
赤と青。
太陽と月。
情熱と静寂。
昼の労働と、夜の休息。
転車台の脇で見上げていた恭平と冴子の胸に、激しい感情の濁流が押し寄せていた。
「……そうか」
恭平の目から、熱い涙が零れ落ちた。
「どちらか一つだけじゃ、列車は走れないんだ。……昼間、太陽の下で汗を流して鉄を削る者がいるから、夜、安心して眠れる夜行列車が走れる。……そして、夜の底で命を繋ぎ止めてくれる医者がいるから、朝、人は再び希望を持って目覚めることができるんだ……!」
「ええ……!」
冴子も両手を胸に当て、涙を流しながら見つめていた。
「人生も同じね。……走り続ける昼の情熱と、傷を癒やす夜の静寂。……この二つが、転車台のようにぐるりと回るからこそ、人は明日へ向かって前進できるんだわ……!」
転車台が、カチリと音を立てて半回転を終え、本線へと繋がるレールと寸分の狂いもなくロックされた。
東の空が、白み始めていた。
山口の山並みの稜線が、淡い金色に縁取られ、夜の帳がゆっくりと朝の光へと溶け込んでいく。
C57の主連棒は、一ミリの狂いもなく回転を続け、車輪は誇らしげにレールを踏みしめていた。
夜と昼の交差点で、二人の旅人の魂は、完全に救済され、固く結ばれたのだった。




