第199話:重なる二つの半欠け星、ランタンと軸受の奇跡
深夜一時。
新山口機関区の奥深く、工作機械が立ち並ぶ旋盤工場の中央に、大型の精密旋盤が据えられていた。
恭平は作業着のファスナーを首元まで上げ、防護メガネを装着して、チャック(回転軸)の前に立っていた。
チャックに咥えられていたのは、機関区の資材庫から掘り出された、直径三十センチ、重さ二十キロを超える円筒形の金属塊――半世紀前に国鉄工場で鋳造された、最高純度の『高力黄銅(真鍮)インゴット』だった。
「おい、恭平! 準備はいいか!」
やまぐちが真紅のストールを肩にかけ、真剣な眼差しで見守る。
その隣には、瑠璃色のドレスを着たぎんがと、トレンチコートの冴子が固唾を呑んで寄り添っていた。
「ああ。……だが、削る前にもう一度、外径と内径の基準面を出さなきゃならねえ」
恭平が金属塊の表面をワイヤーブラシで擦った、その時だった。
「……あっ!」
恭平の手が止まった。
金属塊の底面――鋳造時の刻印が打たれた端面に、かすかに煤に埋もれた小さな紋様があった。
恭平はパーツクリーナーを吹きかけ、ウエスでゴシゴシと拭き取った。
――そこに現れたのは。
タガネで手作業によって力強く打ち込まれた、ひとつの刻印。
――『小さな、半欠けの星のマーク』。
「……な、なんだって……!?」
恭平は目を見張り、後ずさりそうになった。
「こ、このマーク……! うちの曾祖父ちゃんが、下関の工場で削った金属にだけ打っていた……工藤鉄工所の秘伝の屋号だぞ!?」
「えっ……!?」
後ろで見ていた冴子が、ハッと息を呑んで駆け寄ってきた。
冴子は震える手で自らのドクターズバッグを開け、奥から一つの金属の道具を取り出した。
それは――第十二章の『銀河』の旅で、冴子が手に入れた、あのアンティークの真鍮ランタンだった。
冴子はランタンの底面を裏返し、恭平の目の前に突き出した。
「工藤さん、見て……! このランタンの底にも……同じ星のマークが刻まれているわ!」
「……っっっ!!」
恭平はランタンを引ったくるようにして見つめた。
間違いない。
真鍮の底板の隅に、まったく同じ鏨で打たれた、あの『半欠け星の刻印』が、鈍い黄金色の光を放っていた。
「嘘だろ……なんで篠原さんが、うちの曾祖父のランタンを持っているんだ……!?」
「第十二章よ」
ぎんがが静かに歩み寄り、ランタンを指差した。
「冴子さんが過労で倒れかけ、夜行特急『銀河』に乗られた時、伯備線の生山駅で手渡されたランタンです。……あの夜、このランタンの優しい灯火が、冴子さんの凍りついた心を温め、眠りを取り戻してくれたのですよ」
「それだけじゃないわよ、恭平!」
やまぐちが興奮して叫んだ。
「富山の『べるもんた』からも連絡が入っていたわ! 第十七章で、世界的な報道カメラマンの滝沢宗助さんが首から下げていたライカのレンズ――あのズミクロンの絞りリングの内側にも、全く同じ半欠け星の真鍮が組み込まれていたって!」
「滝沢さんの……ライカのレンズも……曾祖父ちゃんの真鍮だったのか……!?」
恭平の全身を、途方もない戦慄が駆け抜けた。
鳥肌が立ち、目頭が熱くなる。
戦後まもなく、何もない焼け野原の下関で、曾祖父が手回し旋盤一台で削り出した真鍮たち。
その金属は、あるものは世界中を巡るカメラマンのレンズとなり、戦場の真実を記録し続けた。
あるものは夜行列車を照らすランタンとなり、傷ついた救急医の心を救った。
そして――あるものは半世紀の時を超えて、今夜、新山口の機関庫で、蒸気機関車C57 1号機の命を繋ぐために、恭平の目の前に届いていたのだ。
「曾祖父ちゃん……」
恭平は金属塊に両手を当て、額を押し当てた。
金属の冷たさの奥から、半世紀前の職人の、熱い魂の脈動が聞こえてくるようだった。
(あんたの遺した真鍮が……みんなを救ってきたんだな……。なら、ひ孫の俺が、負けてられるかよ……!)
恭平は顔を上げた。
その瞳の奥に、かつてないほどの鋭い光が宿っていた。
「篠原さん、そのランタンを、旋盤の横に灯してくれ!」
「ええ、喜んで!」
冴子がマッチを擦り、ランタンに火を灯した。
真鍮の隙間から漏れ出す、温かい琥珀色の炎が、旋盤の刃物台を柔らかく照らし出す。
――グォォォォォォンッ!!
恭平が主電源を入れ、旋盤のクラッチを繋いだ。
二十キロの真鍮インゴットが、毎分八百回転の超高速で回転を始める。
恭平は手動送りハンドルを握り締め、超硬バイトの刃先を、回転する金属の表面へと、ミクロン単位で近づけていった。
――ギィィィィィィッッ!! バチバチバチッ!!
接触した瞬間、暗闇の工場に、黄金色の火花が激しく飛び散った!
削り節のように、螺旋を描いて吹き飛ぶ真鍮の切り粉。
摩擦熱で立ち上る油煙。
恭平の指先は、コンマ〇一ミリの抵抗すら見逃さず、ハンドルの目盛りを寸分の狂いもなく刻んでいく。
その姿は、まるで手術台の上で執刀する名医のように、神聖で、張り詰めていた。
冴子も、やまぐちも、ぎんがも、息を呑んでその奇跡の削り出しを見つめていた。
火花が舞う中、曾祖父からひ孫へと受け継がれた職人の血が、蒸気機関車の新しい命の軸受を、力強く削り出していたのだった。




