第134話:児島の真田紐、三百年解けない縦糸と横糸
宇野港から海岸線を西へ約十キロ。
風光明媚な児島湾を抜け、辿り着いたのは、日本屈指の繊維と織物の街――倉敷市児島だった。
国産ジーンズの発祥の地として世界に知られるこの町の一角に、明治初期の木造工場を残す古い織元があった。
ガシャコン、ガシャコン、ガシャコン……!
引き戸を開けると、幾十台もの木製自動織機が、規則正しいリズミカルな音を立てて木造の床を震わせていた。
綿埃の微かな匂いと、藍の葉を発酵させた独特の爽やかな青い香りが充満している。
「ここが、日本一の『真田紐』を織り続けている坂本織布だ」
ラ・マルが案内する。
織り機の前に座っていたのは、藍染めの作務衣を着た老職人だった。
千数百本もの極細の綿糸が、目にも留まらぬ速さで左右に交差し、幅わずか一センチほどの硬質な平紐へと織り上げられていく。
「……なんて密度だ」
蓮司が覗き込むと、老職人は織機を止め、織り上がったばかりの真田紐の端を手渡してくれた。
両手で思い切り引っ張ってみる。
ビクともしない。
通常の組紐が斜めに編まれて伸縮性を持つのに対し、真田紐は縦糸と横糸を機織りで極限まで高密度に圧縮して織り込む。
そのため、どんなに強い力で引っ張っても一切伸びず、重い荷物を縛っても絶対に緩まない。
「戦国時代、真田幸村とその父・昌幸が刀の柄や甲冑を締めるために考案したと伝わる紐だ」
老職人が、皺だらけの指で紐を撫でた。
「茶道の世界でも、千利休の時代から、桐箱の蓋を縛るためにこの真田紐が使われてきた。何百年経っても切れず、結び目が絶対に解けねえからだ」
「……何百年経っても、解けない」
「そうさ。縦糸と横糸が、互いの隙間を許さねえほどギュッと噛み合っとるからな」
老職人は、蓮司の作業着の袖口を見つめ、静かに語りかけた。
「兄ちゃん、デザインの仕事をしとるんだろ? デザインも、この紐と同じじゃねえのかい?」
「え……?」
「表面を綺麗に飾っただけの紐なんざ、ちょっと引っ張ればすぐにほどけちまう。だが、作り手の魂(縦糸)と、使う人間の日々の暮らし(横糸)が、ガッチリと本気で噛み合って織り込まれたデザインは……時代がどれだけ変わろうと、流行り廃りが押し寄せようと、絶対に解けねえのさ」
作り手の魂と、使う人の暮らしが噛み合うデザイン――。
蓮司の胸の奥底で、バラバラになっていたパズルの最後のピースが、カチリと音を立てて嵌まった。
自分はこれまで、クライアントの注文や上司の指示という「横糸」ばかりに振り回されていた。
自分の信じる美学や、使う人への愛という「縦糸」を張ることを、最初から諦めていたのだ。
縦糸がピンと張っていなければ、どんな横糸を通したって、強い布になるはずがない。
「……ありがとうございました」
蓮司は深く頭を下げた。
老職人はニッと笑い、工房の隅に積んであった藍染めの帆布の端切れと、織り上がったばかりの藍色の真田紐を蓮司に手渡してくれた。
「持ってけ。いい色が出た藍染めの帆布だ。児島の海の色そのものだぞ」
「大切にします!」
蓮司はその藍染めの帆布の端切れを、カバンのポケットへと丁寧にしまい込んだ。
この深い青の布が、やがて隣町・倉敷で、家業と向き合えずに苦しむもう一人の若者の運命を動かすことになるとは、まだ知る由もなかった。
夕暮れが近づいていた。
海を見晴らす丘の上で、瀬戸内海の色彩が極上の晩餐となって、蓮司を待っていた。




