↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
133/214

第133話:耳付きの因州和紙、デジタルの網点を越える温もり

自転車で海沿いのプロムナードを走り、赤煉瓦の古い倉庫をリノベーションしたアートギャラリー『瀬戸内デザインスペース』へと立ち寄った。

 高い吹き抜けのギャラリー内には、直島や豊島のアートマップや、アーティストたちの版画、シルクスクリーンの作品が美しく展示されている。

 

 その中央の壁面の前で、蓮司はピタリと足を止めた。

 一枚の大型ポスター。

 深い藍色と茜色のグラデーションで瀬戸内の夕凪を描いた、現代アートフェスティバルの公式告知ポスターだった。

 

「……紙が、違う」

 蓮司は息を呑み、額縁のガラス越しではなく、直接壁にピン留めされた和紙へと顔を近づけた。

 

 商業印刷で使われる、あの無機質でツルツルとしたオフセットコート紙ではない。

 紙の表面には、楮(こうぞ)と三椏(みつまた)の繊維がまるで絹糸のように縦横に絡み合い、光の当たり方によって微細な陰影が柔らかく揺らめいている。

 そして、四方の縁――。

 裁断機で機械的に切り落とされた直線ではなく、水の中で漉き上げたままの、ふんわりと綿毛のような毛羽立ちを残す「手漉きの耳」が、そのまま生かされていた。

 

「……鳥取の、因州和紙(いんしゅうわし)だ」

 蓮司の呟きに、隣に立ったラ・マルが嬉しそうに頷いた。

「さすが、デザイナー君! よく分かったね」

「学生時代、和紙の歴史を調べたことがある。因州和紙は千年の歴史を持ち、墨の吸い込みと滲みが日本一美しい紙だ。……でも、どうして現代アートのポスターに、こんな貴重な手漉き和紙が?」

 

「第四章の旅人――美大生の藤堂栞(とうどう しおり)さんがね、鳥取の青谷の工房で、一枚一枚、真心を込めて漉き上げてくれた紙なんだよ」

 ラ・マルがトランクの真鍮バックルを撫でながら、静かに語った。

「彼女もかつて、絵を描く意味を見失って苦しんでいた。けれど、観光列車『あめつち』に乗って祖父の和紙の技に出会い、『用の美』――日常で人に使われてこそ輝く美しさを取り戻したのさ。……手で触れてごらん?」

 

 蓮司は、スタッフの許可を得て、ポスターの余白の部分にそっと指先を滑らせた。

 

「――っ……!」

 

 ざらりとした、しかしどこまでも温かく、吸い付くような肌触り。

 インクが紙の表面に乗っかっているのではない。

 植物の繊維の奥深くまで染料が染み込み、紙そのものが呼吸しながら色を抱きとめている。

 

 ――俺は、何をしていたんだろう。

 

 蓮司の胸に、激しい恥じらいと後悔が押し寄せた。

 自分はオフィスのデスクで、Retinaディスプレイの高解像度な液晶画面ばかりを見つめていた。

 拡大すればどこまでも均一なピクセル。

 ツルツルとしたガラス板の上をマウスでなぞり、数値で指定したRGBのカラーコードを貼り付けていただけだった。

 素材の匂いも、指先に伝わる凹凸も、光を吸い込む繊維の深さも、何一つ感じようとしていなかった。

 

「デジタルの画面には、重さも、手触りもない」

 蓮司はポスターから手を離し、自らの手のひらを見つめた。

「だから、指先を軽く滑らせただけで、一秒で忘れ去られてしまうんだ。……栞さんの漉いたこの和紙には、何十年経っても色褪せない『命の実在感』がある。これが、本物のデザインなんだ……!」

 

「そうさ!」

 ラ・マルがパッと白い歯を見せた。

「触れた人の魂に、爪痕を残すような手触り。それこそが、アートの力だよ。……さあ、蓮司君! 次は織物の街・児島へ向かうよ。三百年解けない、最強の糸を見せてあげる!」

 

 潮風を切り裂き、二台の自転車はさらに南へとペダルを進めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。