第130話:宇野港の潮風、波打ち際の巨大なチヌ
終点・宇野駅。
改札口を出た瞬間、蓮司の全身を包み込んだのは、初夏の潮風の香りと、眩いばかりの瀬戸内海の青だった。
かつて本州と四国を結ぶ宇高連絡船の母港として栄え、いまや現代アートの聖地・直島や豊島へと渡るフェリーが行き交う、文化と旅情の港町。
「わあ……海だ」
蓮司は思わず両腕を広げた。
東京のコンクリートジャングルに閉じ込められていた身体が、水平線に向かって開かれていくような解放感。
「蓮司君、あそこを見てごらん!」
ラ・マルが指差した先――港の突堤の先端に、信じられないほど巨大で鮮やかなモニュメントが仁王立ちしていた。
「……魚? いや、なんだこれは……!?」
近づいた蓮司は、驚愕のあまり足を止めた。
全長五メートルを超える、巨大なクロダイ(チヌ)のオブジェ――『宇野のチヌ』。
遠目には美しい極彩色のモザイク模様に見えたその魚の鱗は、すべて「ゴミ」で構成されていたのだ。
割れたペットボトルのキャップ、色褪せた洗剤のプラスチック容器、海岸に漂着したブイ、古びたおもちゃのタイヤ、壊れたキーボードのキートップ、錆びた空き缶……。
瀬戸内海や児島湖の沿岸に漂流し、捨てられていた無数のゴミたちが、驚くべき色彩感覚と造形力によって組み合わされ、天に向かって力強く跳ね上がる一匹の生命体として蘇っていた。
「捨てられたゴミが……こんなにも力強いアートになるのか……」
蓮司は息を呑み、チヌの体表にそっと触れた。
誰かが海に捨て、見向きもされなくなった廃棄物たち。
だが、アーティストの情熱とパレットによって、それらは再び誇り高く輝いていた。
「どんなものでもね、見る人の愛と視点があれば、最高の絵の具になるんだよ」
ラ・マルが、木製トランクの上に座りながら言った。
「君の心も同じさ。会社で否定されたブランディングサイトも、ボツになったアイデアも、決して無駄なゴミなんかじゃない。……傷つき、迷ったその経験こそが、君のパレットに深みのある色を増やしてくれたのさ」
「俺の……経験が、絵の具に……」
「そう! 挫折を知らない人間の描く絵なんて、薄っぺらくて退屈じゃないか! ……さあ、講釈はここまで。お腹が空いたよ!」
ラ・マルが立ち上がり、ぐぅ、と可愛らしくお腹を鳴らした。
「まずは瀬戸内のソウルフードで胃袋をガツンと満たして、それから自転車を借りに行こう! 宇野の海風を浴びながら走る準備をするんだ!」
ラ・マルに手を引かれ、蓮司は港の裏路地へと駆け出した。
潮風の向こうから、ソースの焦げるたまらない匂いが漂ってきていた。
物語はいよいよ、工芸とアートが激しく交差する、怒涛の後半へと突入していく。




