第128話:木目の車内、自転車を乗せて走る鉄路
車内に一歩足を踏み入れた瞬間、蓮司は思わず立ち止まり、感嘆の息を漏らした。
「……木だ。床一面が、本物の木材なのか……!」
足元に広がっていたのは、無機質なビニールシートではなく、一枚一枚丁寧に組み合わされた無垢のオーク材(楢の木)のフローリングだった。
靴底を通して伝わってくる、天然木ならではのしっとりとした反発力と温もり。
壁面には、アートブックや写真集がずらりと並ぶクラシカルな木製本棚。
窓際には、一人掛けのカウンター席と、向かい合わせの木製ベンチシートがゆったりとした間隔で配置され、窓枠からは初夏の眩い日差しが木漏れ日のように差し込んでいる。
そして、何よりも蓮司の目を引いたのは、車両のデッキスペースだった。
そこには、最新のロードバイクやクロスバイクの前輪をそのまま固定できる、特製のサイクルラックが四台分、美しく備え付けられていたのだ。
「列車の中に……自転車をそのまま積み込めるのか?」
「そうさ!」
ラ・マルが、木製トランクを本棚の脇に置き、ベレー帽を直しながら得意げに笑った。
「レールはね、大きな街から街へ、最短ルートで僕たちを運んでくれる頼もしい幹線路だ。でもね、駅から先の細い路地や、潮風の吹き抜ける防波堤、名もない名画のような夕焼けの岬へ行くには……自分の足でペダルを漕ぎ出すしかないだろう?」
「駅から先の、細い路地……」
「そう! レールと車輪、そして二本の足。そのすべてが組み合わさって、初めて『本当の旅のキャンバス』が完成するのさ!」
ガタゴト、ガタゴト……。
心地よいモーター音とともに、ラ・マル・ド・ボァがゆっくりと岡山駅のホームを離れ出した。
山陽本線の複線から、単線の宇野みなと線(宇野線)へとポイントを渡る。
ガタン、ゴトンという振動が、無垢のオーク材の床を通して足の裏へと伝わってくる。
「はい、これ。お疲れ気味のアートディレクター君に、瀬戸内からのウェルカムドリンクだよ」
ラ・マルが手渡してくれたのは、結露した細身のグラスだった。
薄いピンク色をした透明な液体。
氷がカランと涼やかな音を立てる。
「……桃?」
「岡山特産の白桃果汁を贅沢に絞った、水出しのオーガニックダージリンティーさ。シロップなんて野暮なものは入れてないよ。桃そのものの甘みだけで十分さ」
蓮司はグラスを口元に寄せた。
ふわっと立ち上る、完熟した白桃の甘美で高貴な芳香。
一口含むと、ダージリンのキリッとした渋みと、白桃のとろけるような自然な甘みが喉を滑り落ちていく。
何週間もコンビニの添加物まみれのエナジードリンクばかりを胃に流し込んでいた蓮司の身体が、清らかな果汁によって、内側から洗い清められていくようだった。
「……美味い」
「ふふ、いい顔になってきたね」
ラ・マルは窓辺のカウンターに肘をつき、アクアブルーの瞳を細めた。
車窓の外には、岡山の肥沃な平野が広がり、遠くの青空には白い入道雲が湧き上がっていた。
だが、蓮司の胸の奥底には、まだ重い棘が突き刺さったままだった。
数字に殺されたデザイン。無駄を許さない社会。
その苦悩を吐き出す場所が、やがて訪れる「アートの駅」で待っていた。




