第125話:日御碕の白亜の灯台、初めての深い眠り
出雲大社から西へ、日本海沿いの断崖道路をバスに揺られること二十分。
辿り着いたのは、島根半島の最西端――出雲日御碕だった。
日本海の荒波が岩礁を噛み砕き、白い飛沫を高く吹き上げる断崖絶壁。
その岬の高台に、天を突くように白くそびえ立っていたのは、東洋一の高さを誇る石造灯台――『出雲日御碕灯台』だった。
地上四十三・六五メートル。
外壁は出雲産の硬質美加保石を積み上げ、純白の塗料で磨き上げられた白亜の塔。
頭上には抜けるようなコバルトブルーの青空が広がり、水平線の果てまで、紺碧の海が果てしなく続いている。
「きれいな海……」
冴子は潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
塩分と海藻の引き締まった香りが、涙で腫れ上がった瞼を心地よく冷ましていく。
灯台の足元、潮風にそよぐ緑の芝生。
初夏の陽光が芝生を温め、柔らかな草の香りが立ち上っている。
「冴子さん、ここにおいで」
ぎんがが、芝生の上に腰を下ろし、瑠璃色のローブポンチョをパッと広げた。
「大地のベッドだよ。……横になってごらん」
冴子は靴を脱ぎ、芝生の上へと身を投げ出した。
ふかふかとした草のクッションが、疲弊しきった身体を受け止める。
見上げる空には、白いちぎれ雲がゆっくりと東へ流れていた。
遠くで鳴くウミネコの声。
ザザァン、ザザァン……と打ち寄せる波の音。
ふと、冴子は気づいた。
「……音が、しない」
耳を澄ませても。
こめかみに手を当てても。
あの半年間、片時も離れず脳髄を切り裂いていた心停止モニターの「ピーーー」というフラット音が、影も形も消え去っていた。
そこにあるのは、風の音と、波の音と、鳥の声だけ。
「消えたね」
ぎんがが、冴子の頭元に座り、膝枕のようにして柔らかい手で冴子の髪を梳き始めた。
「あの子の魂はね、ちゃんと天国へ昇っていったよ。あなたを恨んでなんかいなかった。……あの子はね、あなたに『おやすみ』を言いに来たんだよ」
「おやすみ……」
ぎんがが、静かに子守唄を口ずさみ始めた。
言葉のない、星の光のような旋律。
ウィスパーボイスが、初夏の潮風に乗って冴子の耳へと染み込んでいく。
まぶたが、信じられないほど重くなってきた。
いつもなら、目を閉じようとした瞬間に心臓が跳ね上がり、冷や汗で飛び起きていた。
だが、今は違う。
まぶたを閉じても、暗闇は恐ろしくなかった。
それは、自分を責め立てる地獄の闇ではなく――ぎんがの瑠璃色のローブのように、大地の芝生のように、自分を丸ごと抱きしめてくれる、温かく優しい「夜の毛布」だった。
「……ぎんが……私……」
「いいよ。おやすみなさい、冴子さん。起きた時には、新しい朝が待っているからね」
スッと、意識が遠のいた。
睡眠導入剤も、抗不安薬も、何もいらなかった。
日御碕の青い空と海の下、若き救急医は、半年ぶりとなる「本物の、深く、安らかな眠り」へと落ちていった。
波の音が、どこまでも優しく、魂を揺らし続けていた。




