第115話:再点火の汽笛、夜行列車への伝言
翌朝、朝露に濡れた津和野駅のホーム。
改札口には、背筋をピンと伸ばし、カバンに真鍮の歯車を大切にしまった恭平と、軍服風ジャケットを羽織ったやまぐちが並んで立っていた。
「恭平。下関へ戻ったら、まずは何を削るのだ?」
やまぐちが、腕組みをしながら尋ねてきた。
「まずは、病室の爺ちゃんに見せるための、新しい真鍮の削り出しサンプルを作ります。そして……解雇した二人の熟練工に、頭を下げて迎えに行きます。『もう一度、俺と一緒に、世界一の部品を作ってください』って」
「うむ! それで良い! 頭を下げることを恥じるな。真の職人は、誇りのためにこそ頭を下げるものだ!」
その時だった。
恭平の作業着の胸ポケットが、ポッと熱い深紅の光を放ち始めた。
取り出してみると、あの『風の切符』だった。
厚みのある硬券の表面に、火室の炎のような紅蓮の光が集まり、鮮やかな円形のスタンプが浮かび上がってくる。
激しく燃え盛る石炭の炎と、力強く大地を蹴る巨大な動輪をあしらった、気高き印影。
――[山口線・津和野/下車前途無効・黒金の覚醒 完了]
文字が完全に定着した瞬間、切符は役目を終えたかのように、柔らかな温もりを残して光を収めた。
「……旅の終わりだな」
やまぐちが、ゴーグルを指先でクイと押し上げ、フッと笑った。
「風の切符は、寄り道を愛する者の味方だ。だが、お前にはもう寄り道は必要あるまい。己のレールを、己の旋盤で切り拓いていけ!」
「ああ! ありがとう、やまぐち!」
ファァァァァァン!!
天を突く高らかな汽笛が、津和野の山あいに木霊した。
恭平は上り列車へと乗り込み、窓から大きく手を振った。
ホームの向こうで、やまぐちが真鍮のスコップを高く掲げ、ドラフトの煙とともに見送ってくれていた。
* * *
その日の深夜。
恭平を見送り、新山口駅の留置線へと戻ってきたやまぐちは、石炭の火を落としたC57のキャブの屋根に腰掛け、静かに夜風に吹かれていた。
ふと、遠く山陽本線の本線から、静かなレールの継ぎ目音が響いてきた。
タタン、タタン……。
暗闇を滑るように入線してきたのは、昼間の列車とは全く違う、深海のように深い瑠璃色の車体。
窓からは、間接照明の琥珀色の光が柔らかく漏れ、車体側面には銀色の星屑のエンブレムが瞬いている。
夜行特急――『WEST EXPRESS 銀河』。
列車のオープンデッキから、ふわりと一人の少女が姿を現した。
瑠璃色のローブポンチョをまとい、星屑を刺繍したナイトキャップを目深にかぶっている。
首元には三日月のペンダント。
眠たげな、しかし底知れぬ慈愛をたたえた瞳を持つ鉄娘――『ぎんが』だった。
「……お姉ちゃん」
鈴を転がすような、穏やかで静かな声が夜気に溶ける。
「いい煙、上がっていたね。……遠くの山を越えて、星空まで石炭の匂いが届いていたよ」
「ぎんが、か」
やまぐちは屋根から軽やかに飛び降り、妹の前に立った。
「ああ。下関の旋盤工が、見事に魂の火を燃え上がらせて帰っていったぞ」
「ふふ、よかったね」
ぎんがは小さく微笑み、手にした真鍮のランタンをそっと揺らした。
ランタンの光が、闇に沈む新山口のホームを優しく照らし出す。
「お姉ちゃんたちの昼の熱気が、大地を耕してくれたから……次は、夜の迷子たちの番だね。……眠れなくて、暗闇に怯えている人が、私のベッドで待っているの」
「そうか。お前も、良い旅をさせてやれよ。夜の星屑を、たっぷりと見せてやるのだ」
「うん。いってきます、お姉ちゃん」
夜行列車『銀河』が、音もなく動き出した。
伯備線の山深く、星降る出雲の夜明けを目指して、瑠璃色の列車が闇の中へと吸い込まれていく。
鉄路の風は、昼から夜へ。
第二周遊の物語は、傷ついた魂を癒やす、静寂なる夜行の旅へと受け継がれていくのだった。
(第十一章 了/第十二章『ぎんがと瑠璃色の夜行想』へつづく)




