第104話:円環の終着駅、永遠に続く鉄路の歌
朝の光が降り注ぐ、京都駅の零番線ホーム。
一昼夜をかけて山陰・山陽の西日本をぐるりと一周した『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』が、滑るようにホームへと滑り込み、静かにその歩みを止めた。
ドアが開き、宮内創はホームの敷石へと一歩を踏み出した。
昨夜、このホームに立った時の、死を待つだけだった老人の面影はどこにもなかった。
トレンチコートを真っ直ぐに着こなし、背筋をピンと伸ばした宮内の瞳には、生命の輝きが満ち満ちていた。
その隣に、ミズカゼが静かに佇んだ。
深緑のドレスが、初夏の朝風を孕んで優雅に揺れている。
「宮内様。風の円環の旅、お疲れ様でございました」
「ありがとう、ミズカゼさん。……夢のような、いや、人生で一番確かな時間だった」
その時、宮内の胸の内ポケットが、かつてないほど眩い黄金の光を放ち始めた。
宮内がそっと取り出すと、あの一枚の硬券『風の切符』だった。
切符の表面に、これまで旅先で出会った九つの光が舞い降りてきた。
はまかぜの紅、サンライズの茜、エトセトラの金、あめつちの藍、くろしおの波青、花嫁のれんの朱、サンダーバードの白銀、はなしの絣青、そしてさがのの若草色。
九色の光の粒子が渦を巻いて溶け合い、切符の中央に、燦然と輝く黄金の瑞風のエンブレムが刻印された。
――[西日本周遊・全線走破/下車前途無効・風の円環 永遠に]
文字が定着した瞬間、切符はふわりと温かい温もりを残し、静かに光を収めた。
「……旅は、終わったんだな」
「いいえ」
ミズカゼは首を横に振り、この上なく美しい微笑みを浮かべた。
「終着駅は、終わりではございません。それは……あなたが、新たな人生へと歩み出すための、始発駅なのですから」
ふと、ホームの改札口へと続く通路を見上げた宮内は、息を呑んだ。
そこには――幻か、あるいは奇跡か。
これまで出会った人々が、笑顔で並んで立っていた。
香住で出汁を引く吉野涼太。
宍道湖で肩を組む相沢雅人と修二。
尾道の波止場で微笑む佐倉唯と辰造。
因州和紙を抱える藤堂栞。
備長炭を磨く水野幸造と健太。
輪島塗の椀を手にした神谷美咲と真弓。
越前のグラウンドでノックバットを振る三上徹と岩佐。
原稿用紙に万年筆を走らせる中原蓮。
そして、祇園の厨房で出汁を味見する栗山陽介。
九組の旅人たち。
そして、その傍らで寄り添い、優しく見守る九人の鉄娘たちの姿が、朝の光の中に透き通るように浮かび上がっていた。
みんなが、宮内に向けて温かい拍手を送っていた。
『宮内さん、ありがとう!』
『私たちのレールを守ってくれて、ありがとう!』
『どうか、お元気で!』
その温かな声の輪の真ん中に、ふっと、白いワンピースを着た懐かしい女性の姿が見えた気がした。
妻・文乃だった。
文乃は優しく微笑み、宮内に向かって小さく頷いて見せた。
「……ああ」
宮内は、ポケットの中の妻への手紙を握りしめ、力強く頷き返した。
「病院へ行くよ、文乃。主治医に頭を下げて、しっかり治療を受ける。……お前が愛してくれたこの世界を、この鉄路を、俺はもう少し、見届けて生きていくよ」
宮内は振り返り、ミズカゼに向かって深々と最敬礼を送った。
「ミズカゼさん。本当に、ありがとう」
「行ってらっしゃいませ、宮内創様。あなたの未来に、幸多からんことを」
老いた鉄道マンは、しっかりと地面を踏みしめ、改札口へと向かって歩み出した。
その足取りには、もう迷いも躊躇もなかった。
ホームに残されたミズカゼは、小脇に抱えていた革装丁の『瑞風録』を開いた。
万年筆を取り出し、最後の頁に金文字で静かに書き記す。
『――第一周遊、結び。
人は誰もが、人生の途上で迷子になる。
けれど、西の鉄路がある限り、寄り道を愛する風が吹く限り……
人は必ず、本当に帰るべき場所へと辿り着くことができる。
風の切符は、今日もまた、誰かのポケットの奥で、静かに奇跡の時を待っている――』
パタン、と重厚な表紙が閉じられた。
ファァァァァン……!
瑞風が、朝の京都の空へと、澄み渡る汽笛を響かせた。
西日本の広大な大地を貫く、無数の鉄路。
山を越え、海を渡り、里山を縫うレールの上を、今日もまた、美しい鉄娘たちと、迷える旅人を乗せた列車が、風のように走り続けていくのだった。
(第一周遊 完)
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