第102話:展望デッキの星空、風の切符の真実
ディナーを終えた瑞風は、深夜の山陽路を駆け抜け、再び兵庫から京都へと向かう夜の鉄路を進んでいた。
ミズカゼの案内で、宮内は十号車の最後尾――オープンエアの展望デッキへと足を踏み入れた。
ゴォォォォ……という夜風の轟音とともに、冷涼な夜気が宮内の頬を撫でる。
頭上を見上げると、そこには息を呑むような満天の星空が広がっていた。
都会のネオンを離れた漆黒の天空に、天の川が淡い光の帯となって横たわり、無数の星々がダイヤモンドのように瞬いている。
そして、展望デッキの手すりの下――瑞風の赤い二筋のテールランプが、闇の中へと果てしなく伸びる二条の鉄路を、鮮やかに照らし出していた。
「……素晴らしい夜空だ」
宮内は手すりに両手を置き、遠ざかっていく線路を見つめた。
「夜の鉄路を見ていると、いつも胸が締め付けられるようだった。この暗闇の向こうで、俺の敷いた線路がどこへ向かっているのか、誰をどこへ運んでいるのか……ずっと不安だったんだ」
「不安がる必要など、最初からございませんでしたよ」
ミズカゼが、深緑のドレスの裾を夜風になびかせながら、宮内の隣に立った。
その瞳には、天空の星々と、地上のレールの紅い光が美しく映り込んでいる。
「宮内様。あなたが手にした、その『風の切符』。……なぜ、あなたの元へと届いたのか、お分かりになりますか?」
「いや……分からない。俺のような、妻すら救えなかった老いぼれに、なぜこんな奇跡の切符が届いたのか……」
ミズカゼは首を横に振り、優しく微笑んだ。
「風の切符とは、神仏が気まぐれに与えた魔法の紙などではございません。……それは、あなたが、そして明治から今日に至るまでこの国の鉄路に生涯を捧げてきた無数の鉄道員たちが、『誰かを無事に送り届けたい』『誰かを笑顔にしたい』と願い、大地に敷き続けてきた祈りの結晶そのものなのです」
「祈りの……結晶……」
「はい。鉄路とは、ただの鉄の棒切れではございません。そこには、旅人の期待、別れの涙、再会の歓喜、そして故郷を想う人々の心が、幾万日、幾千万回と積み重なっております。その膨大な人々の祈りと、土地の風土が寄り集まり、やがて魂を宿した存在――それこそが、私たち『鉄娘』なのです」
ミズカゼの言葉が、夜風に乗って宮内の胸の奥深くへと吸い込まれていく。
「はまかぜも、サンライズも、エトセトラも、あめつちも、くろしおも、花嫁のれんも、サンダーバードも、はなしも、さがのも……そして、この私ミズカゼも。私たちは皆、あなた方が汗と涙を流してレールを敷いてくださらなければ、この世に生まれることすら叶いませんでした」
「君たちが……俺たちの、祈りから生まれたというのか……?」
「ええ。あなたが人生のすべてを賭けてレールを守り抜いてくださったからこそ、私たちは迷える旅人たちに出会い、彼らを寄り道へと導き、本当の笑顔を取り戻していただくことができました。……宮内様。あなたは誰一人幸せにできなかったのではありません。あなたは、九組の旅人たちを、そして彼らが愛する無数の人々の人生を、その手で救ったのです」
星空の下、ミズカゼは宮内を真正面から見つめ、深々と頭を下げた。
「鉄路の母たるすべての鉄娘を代表し、心より申し上げます。……宮内創様。私たちのために、この美しいレールを敷いてくださり、本当に、本当にありがとうございました」
その瞬間、宮内の胸を半世紀にわたって縛り続けていた鉛のような重荷が、粉々に砕け散った。
「ああ……あああっ……!」
宮内は手すりに突っ伏し、子どものように声を上げて泣いた。
夜風が涙をさらい、二条のレールの上へと散らしていく。
間違っていなかった。
自分の人生は、決して無駄ではなかった。
妻・文乃が愛してくれた自分の仕事は、これほどまでに美しく、気高い奇跡を、この大地に遺していたのだ。
星々の光が降り注ぐ中、瑞風は夜明け前の京都へと向かって、力強くレールを刻み続けていた。




