1話 冒険者宿『狼の猟宅亭』
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モーリスの街。
石造りの堅牢な街の中にある最大手の冒険者宿とされている『狼の猟宅亭』。その朝はあまりにも早い。
日が昇る前に起床。その後、泊っている冒険者や旅人の朝飯を作るために薪割り。
飯や湯を作るために火の番を行い、飯が出来れば客を起こしに部屋を回る。
客に食べ物を提供し、チェックアウト確認した後に買い出し。
買い出しした食材の下処理。宿屋の部屋と出入り口、調理場の掃除、ゴミの処理。
そうしている内にいつの間にか夕方に差し掛かり、客がチェックインする。
雇われてからここ数週間そんな日々を送っている。
定休日という概念がないのか、毎日営業のため業務が終わるころにはクタクタだ。
だが、代わりに寝床と食事にありつけるし、給金もその日その日に支給される。客用で提供する湯の残りも使うことが出来るので毎日身体を清潔に保つことすら出来る。
何より、この客達の話を、情報を無料で手に入れる事も出来る。
何も寝床や食事にありつけるかもしれないから宿屋を雇用先として選んだ訳ではない。
それだけだったら他の商人の下働きでもすればいい話だからだ。
人に尋ね、ここがこの街一の冒険者宿というからこそ選んだのだ。
冒険者や旅人は基本根無し草だと聞く。
逆に言えば、そこら中を飛び回っている冒険者達から各地の様々な情報を聞くことも可能だという事だ。
この土地勘のない場所で生きていくには衣食住も勿論大切だが、同等かそれ以上に情報は大切だ。
だからこそ、俺はこの数週間、情報収集に勤しんだ。
そして調べれば調べる程に、俺は確信を深めるのだった。
「やはり、ここは俺の知る世界ではなかったか。」と。
ありえない話ではない。
むしろ、自分の身に起きた現象を考えれば当然行きつく結論だった。
だが、確証はなかった。
自分の過ごしてきた世界はあまりにも狭く、テレビやPCなどの情報端末上の画面での世界しか知りえない。そんな知識の浅さでどうしてこの世界を自分の知ってる世界と断ずることが出来るのか。
・・・いや、違うな。
小難しいことを並べたが、そうじゃない。
俺はただ自分の身に起きた事象を否定したかった。
もしかしたら、あの衝突事故も白昼夢で、なんらかの理由で別の場所に誘拐されて連れてこられたのだと。ここは一般人も知らぬ様々な人種が行きかう外国のようなものなのだと。
そしていずれ必ず元の日本に帰ることが出来るのだと。
便利を知ってしまうとそれに依存せざるを得ないのが人間の性だ。
PCもスマートフォンも、車も家電はおろか電気も存在しない世界に辟易し始めていた。
帰りたい欲求は日に日に増していたが、世界が違うという事に合点が行った際にそれは消え失せた。
元の場所に帰るという願望も。
どうやら、俺はこの世界でやっていくしかないのだと。
生きていく覚悟はしていないが、諦めはついた。
「と言えども、どうしたものかね。」
異世界。
俺のいた世界で確約されていた治安と安全など皆無な世界。
自分の身は自分で守らねばならない世界。
剣と魔術が世界を牛耳り、魔物という魔獣たちが跋扈する世界。
エルフ、獣人、ドラゴニュートなど様々な種族がいる世界。
未知の病魔が蔓延る世界。
色々と並べてみたが、うん。酷く不条理な世界だ。
そんな世界で俺は生き残れるのか?
何も考えず働き、食べて、寝るを繰り返していた俺が?
ぬくぬくと堕落した生活を送っていた俺が?
どうにもイメージは沸かない。
だがやるしかない。どうにかしていくしかない。
幸い、寝食付で金も程ほどに手に入れる事が出来ている。
これを元手に何をしていくか今後考えていくとしよう。
俺には考えて実行に移すだけの時間はあるのだから。
◆
よくよく考えれば、俺にはこの世界で通用する情報を仕入れることが出来ていても、せいぜい世の中で騒がれている事や良くて噂程度だ。俺には堂々と大手を振れる程の知識のような深い教養がない。
ならば、この世界の知識を深めるべきだと考えた。
だが、知識を深めるにしてもこの世界における膨大な知識を一から習得するのは困難だ。
ならば、自分の利になる知識を深めるべきだと考えた。
「ララエラさん、少し聞いていいか?」
食材の下処理をしながら女将のララエラに声をかける。
「仕事中に話かけるなんて随分余裕じゃないか。」
「いや、聞きたい事があってさ。」
「なんだい、改まって。何を聞きたいってのさ。」
下処理した野菜を笊に放り投げながら怪訝な表情を向ける。
「例えば、なんだが。今の給金を更に上げるにはどんな技術がいるかな。」
俺がそう問うとララエラは「はぁ?」と頭に疑問符を浮かべてそうな顔で首を傾げた。
「今の給金は十分ではないとでも?随分業突く張りだね。」
ララエラの言葉に俺は真っ向から否定する。
「そうは言っていない!十分に貰っているさ。俺自身出来ることは少ない。せめてもう少し他でも通用するような事を出来ることを増やしていけないかと、そう思っただけだよ。」
俺の言葉にララエラは「ふぅん」と返す。
「働き始めて数週ちょいでもう他の所に移ることを考えているとはね。随分とまぁ気が移ろいやすいこった。少し仕事が出来るようになって図に乗っているんじゃないかい?」
「いずれはって話だよ。女将の所にはまだまだ居させて頂きますよ。」
「それはそれで気が滅入るね。」
「おい、俺はどう答えたらよかったんだよ。」
軽口の応酬。
俺の言葉を最後にそのまま無言で食材の処理を続ける。
もしかしたらララエラの機嫌を損ねてしまったかな、とも思ったが、食材の乗った笊を持ったララエラがすれ違いざまに――
「アンタ、よく冒険者の客と話しているだろう。そいつらに役立つ事ができればいいんじゃない?」
「金になるかはアンタ次第だけどさ。」とだけ言い残しララエラは厨房の奥へと消えた。
ララエラのいなくなったその場で俺はその言葉を反芻する。
俺の出来る事で、冒険者の役に立つ事か――。
◆
その日、宿の買い出しで食材を抱える傍ら。
俺の手にはもう一つ抱えている物があった。
錬金術の本だ。
錬金術は複数の物から一つの物を作り出す技術の一つだ。
俺のいた世界での錬金術は化学物質を掛け合わせることで別の物質に性質変化させるだけのものだったが、この世界における錬金術は全く別の物質へと変化させることが出来るという。
薬、金属、武器、防具、道具など出来るものは様々。正に夢の技術だ。
(まぁ、宿屋の給金一月分でようやく買えたのが入門編・初級の本で錬成できるのはたかが知れているのだが。)
しかも、この技術には魔力の素質など関係がないという。
必要なのは錬成に必要な陣と空気中に散らばる魔素という魔力の元のみ。
この世界において魔力を持ち、魔術の才能を持ち合わせているの人間はほんの一握りらしい。
ましてや異世界出身の俺が魔力の素質を持ち合わせているかどうかは不明。いや、この世界でもこの状況ならまず俺は持ち合わせていないと考えるべきだろう。
故に、錬金術を選んだ。
その日から俺は錬金術の勉学に勤しんだ。
業務終了後の僅かな空いた時間に本を読み込み、専門的な用語は懇意にしている冒険者やララエラから聞きながら本を解読。一週間の勉学の上で何とか陣の作成まで漕ぎつけた。
まずは基礎的な合成だ。
合成は二つの物から一つの物を作る技術の事だ。
例えば、ゴムのように伸縮性の高い物と二股に分かれた木の枝を合成する場合。
木の枝を一部分解しつつきちんと二股を左右対称に整形する必要がある。
分解は空中に蔓延る魔素という魔力の元を陣に手繰り寄せて魔力として精製し、分解するための魔力として応用する。
加えて先端にゴムをひっかけるためこれもまた一部分解しつつ整形。
そして組み合わせる。
結果、不格好なパチンコが出来上がる訳だ。
・・・・。
いや錬金術難しっ・・・。
錬金術ってもっとこう一気に物質を生成したりするもんじゃないの。
こうバーって、ピカーって感じでさ。
物質を分解して整形して構築しなきゃならないとか、それ手を使ってないだけで武器職人と同じじゃない?
合成は確かに成功した。
しかし合成するのに数十分程浪費した。
身体的・精神的疲労もそれなりにある。
これが本当に俺に合った技術なのだろうか。
いや、しっかりしろ。
最初なんてこんなものだ。
何事も最初っから上手く行くことなぞありえない。
自身を持て。
むしろ一回目で錬金の基礎である合成に成功したんだ。
今は錬金術を初めて実現させた事を素直に喜ぼうじゃないか。
俺は自分にそう言い聞かせる。
だが、一回の成功で次も成功するという訳でもない。
そんな確証はどこにもないのだ。
ならば再び研鑽に勤しむのみだ。
幸い、ゴミ捨て場から不用品という名の材料を拾ってきていて練習するのに事欠かない。
こんな光景ララエラに見られたらヤバいが、役に立つ物に変換するか、見つかる前に片づければまぁ大丈夫だろう。
鉄は熱いうちに打て、だ。
その後、夜更かししすぎて寝坊をした上に、起こしに来たララエラに部屋の惨状を見られて雷を落とされたのは言うまでもない。




