プロローグ
◆
俺はただ堕性に生きてきた。
流されるがままに、働き、食べて、寝る。その繰り返しだ。
生きているのが楽しかったか、といわれると否ともいえない。それなりに楽しいことはあった。だが辛いことの方が多かった。そしていつしか深く考えるのをやめた。
俺の人生は無味となった。だから生にしがみつく理由もない。このまま老いてただただ苦しみながら死ぬのであれば楽に死にたいものだと、生死を考える程の年でもない癖にふとあるごとにそんな考え事をしていた。
だからだろう。
俺が目の前に迫ってくる巨大な物体。
それに引かれる間際だっていうのに避けようとする動作すら取らなかったのは、そう言った理由だろう。
痛みすら感じずに人生ログアウトできたのは幸いだった。
下手に生き残って余生を病院のベッドの上で過ごさなきゃいけないというのは流石に御免被りたい。いくら堕性極まりない俺でも、ベッドの上で一生過ごしたいなんて願望は持ち合わせていないのだ。
そんなこんなで俺は死んだ。
あぁそうだ死んだんだ。
死んだはずだ。
なのに、何故意識があるんだ。
世の中色んな宗教がある。
それぞれの宗教にはそれぞれの生死の観念、様々なあの世の考え方がある。
だが、結局人間死ぬ時は一人。あの世なんてものはない。肉体は消え、意識は完全に消え去る。全て無に帰す。死んだら天国、地獄なんて物はない。人間の都合のいい解釈、思想だに過ぎない。
俺はそう断じてきた。
なのに何故俺はこうして立っている?
俺は目の前に広がる草原と自分が持ち合わせている2つの足で立っている現実に信じられず、ただただ立ち尽くしていた。
「五体満足っていうのも不可解だ・・・。」
あの物体、もといトラックによる衝突で骨はおろか擦り傷すらない状態。服も解れすらない。
「これが所謂トラック転生、ってか・・・。」
自分で言っておいて、まさか、と否定する。
だが、目の前の現実は認めざるを得ない。
死んだはずの自分が、こうして傷一つなく五体満足で、しかも自分の知らない場所にいるという事に。
立ち尽くしていても現実は待ってはくれないし、状況は進展しない。
俺は目の前の現実を納得しつつ、足を進めた。
◆
都合のいいことに人の集まる街にたどり着くことができた。
というのも、目の前に広がる草原の先に既に石造りの壁に覆われたその街は見えていたのだ。
まぁ、目の前に見えているからと言って直ぐにたどり着けるという訳ではないのだが。(体感で30~40分ぐらい掛かった。)
街へは旅人であると門番の衛兵に告げたらすんなりと入ることができた。しぶられて押し問答になることも考慮していたが、警備がざるで助かった。
ここまで色々な出来事があって少々疲れたが、そうも言ってはいられない。
ここがどこなのかは兎も角として、ここが俺の知らない土地である以上、今までの常識が通じないと考えるべきだ。
実際、見たこともない肌の色や鱗に覆われた人種や耳が異様に長い人種、何という事もないように普通に武器を腰にぶら下げている様子がちらほらと見受けられる。
言葉は聞き取れる。という事は普通に常用語として日本語を話しても問題はないと思うが、常識が通用しない事を考慮すると、今のまま何の常識もないままであれば何らかのトラブルに巻き込まれる可能性もあるし、命を無為に取られるやもしれない。
生にしがみつくつもりはないが、無駄に二度も命を散らすつもりは毛頭ない。
早急にこの地での生活基盤を作る必要性がある。
といえども、俺の手元にあるものは財布と中にある数枚の紙幣、小銭。スマートフォンは事故の際に紛失したのかポケットにはない。
スマートフォンがあれば、もしかしたら物好きな奴から少々の金と交換できたやも知れんが、無い物強請りだ。
であれば、どこでもいい。
住み込みで働ける場所を探す他ない。
しかし、俺に出来ることか。大した資格もないし、出来ることなぞ人の相手ぐらいしか務まらんぞ。
人の相手をする場所か。商人の下働き、もしくは――
◆
宿屋『狼の猟宅亭』
「という訳で働かせて下さい。」
宿屋の主人である女将に俺は地べたに土下座をして乞う。
『なにがという訳・・・?』と呟く女将に対し、俺はもう一言。
「働かせてつかぁさい。」
「駄目だね。素性も分からない、変な服を着た不審者をうちでは働かせられないね。っつーか、何その妙な言葉遣い・・・。」
何という事だ。日本の懇願のスタイル『DOGEZA』が通用しない・・・?
待て、変な服、と申したな。
この服を着ていること自体いけないのか。であればこの服を――
「服を脱いだら問答無用で追い出すからね。」
「うぃっす。」
ほんの冗談じゃないすかー、やだー、もう。
さて、気を取り直して。
「働かせて下さい。」
「いいかい、覚えておきな。物事に振り出しに戻るは存在しないのさ。」
「働かせろコノヤロー。」
「とうとう取り繕うことも辞めたねこの男。っつーかうつ伏せに寝るんじゃないよ。」
馬鹿な、日本の最上級の懇願のスタイル『GOTAITOUTI』が通用しない――
「もういいよ、その下り。いつまでやってんだい。」
「うぃっす。」
俺は地べたから立ち上がる。
困惑した女将の尊顔と面しながら俺は改めて乞う。
「住み込みでそちらで働きたい。証明する物こそないが犯罪歴とかもない。給金は出来高で構わないし最低賃金でも構わない。この街での生活基盤を作るまでの間でいい。雇って欲しい。」
俺は頭を下げる。
「急な態度の変えようで風邪引いちまいそうだね。」
「それだけ、俺も必死なんですよ。家事全般こなせるつもりです。身を粉にして働きます。お願いします。」
これが一般企業ならば一笑に付すアピールポイントだ。というかなんのアピールにすらなっていない。だが、これが今俺に出来る精一杯だ。
「・・・そこまでしてうちで働きたいっていうのが分からないね。常に人手は足りていないってとこを踏まえてうちに来たのかまで分からないけど。大体犯罪歴がない上で働きたいっていうんだったら冒険者にでもなってギルドで仕事を貰うのが常識ってもんなんじゃないのかい。」
街にまで来てなりたいのが宿屋の従業員ってのが解せないね。と女将は更に呟く。
冒険者、ねぇ。ファンタジー世界でお馴染みの。
「冒険者っていうのはそんなにいいものなのか?」
「この街で一番金を回しているのが冒険者共さ。羽振りはいいが、命のやり取りが日常茶飯事。生き残って稼業を続けられているのはほんの僅かさ。」
ハイリスクハイリターン、いやローリターンの方が多そうだな。
金を得る前にこっちの命が尽きちまいそうだ。
「少なくとも今の俺には過ぎた職業ですね。宿屋の従業員で性に合っていますよ。」
俺の言葉に女将は鼻を小さく鳴らす。
「ふん、冒険者より宿屋の従業員の方が楽だって?言うじゃないか、青二才。」
そういう意味じゃないんだがなぁ。そう取られちまったか。
「宿屋の方が働き甲斐があるってことですよ。それに人に青二才っていうには女将は若々しい。俺と同年代くらいじゃないですか。」
俺は焦りを覚えつつ取り繕う。
実際、女将は若々しい。俺は28歳だが、女将はそれよりも若く見える。
俺の言葉に女将は鼻を小さく鳴らしながらそっぽを向く。
「ふん、口だけは上手いね。」
「それだけは取柄ですので。」
そんなやり取りの後、女将は考えるような動作をして―
「いいだろう、その口がどこまで通用するか、試してやろうじゃないか。」
俺にそう言い放った。
交渉成立。上手く行った。
「コウダイです。女将、これからよろしく。」
「女将のララエラ。うちは忙しいんだ。アンタに使った分の時間すら惜しい。使えなきゃ張っ倒すから覚悟しな。」
「お手柔らかに願います。」
「アンタの働きぶりによるよ。」
お互い、軽く握手を交わす。
こうして俺の見知らぬ土地での新生活が始まるのだった。




