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海にゆらぐ泡のごとく  作者: 北海 犬丸


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4

 いくつかの地点を巡ると、すっかり日は西に傾いていた。

「ここが最後か。」

 そこは、最後に爆発音を聞いた司令支部だった。ここでは、山の裏側にある潜伏場所を統括していた。

 万歳と叫ぶ声も、ここから程近くだったのだろう。すえた匂いは濃く淀み、ねっとりと纏わり付いてくる。その死の気配は、加藤と吉野を甘く誘惑してくるようだった。

「加藤、俺、やっぱり……。」

「何も考えるな、吉野。ただ手を動かそう。で、ここを離れるんだ。」

「でも……。」

「俺たちは、何のためにここまで来たんだ? 言っとくが、俺は一人じゃ隣の島には行けないぞ。」

 吉野の気持ちが揺らいでいる。使命感だけで前を向けるほど、自分たちは強くない。加藤はそれを、よく分かっていた。

 家族のようだった仲間たちが、皆逝った。自分たちを遺して。笑って前を向けるはずが無い。それでも、足を進めなければならない。

 加藤は自分に言い聞かせるように、吉野へ告げる。

「今逝ったら、怒られてしまうぞ。島崎さんから拳骨を食らうかも。」

「……会津兄さんなんか、切腹しかねないね。もう死んでるのに。」

「それは嫌だな。」

 加藤は困ったように言えば、吉野が空笑いをした。その様子に、加藤は肩の力を抜く。作り笑いを浮かべられるなら、ひとまずは大丈夫そうだ。

 会津と呼ばれていた野中一等兵は、武士のような人だった。実家は商家ではあるものの、もともと御一新の折にも幕府に最後まで付いていた家柄らしい。凛々しくて厳格で、でも仲間想いの男で。

 彼が特別に携帯を許されていた護り刀は、遺書と共に大事に置かれていた。

「加藤、小柳先生の荷物だけ無い。」

 一通り回収が終わり、麻袋を確認していた吉野が声を上げた。加藤は、そのまま周囲に目線をやる。しかし、確かにそれらしいものは無い。

「遺書はどこにあった?」

「ここだ。近くにあるかなと思ったんだけど……。」

「先生の持ち場は、もっと下ったところにある、見晴らしの良い洞窟だった。もし慌てて集まったのだとしたら、そこに置きっぱなしになっているかも。」

「なるほど。行ってみよう。」

 加藤と吉野は、足早に小柳上等兵の待機していた洞窟へと向かった。

 司令支部からは下り道で五分ほどの場所で、敵からは見えにくいが、こちらからは海がはっきりと見える場所だった。

 潮騒が亡き人を惜しむように、薄暗い洞窟に反響している。

「あった。先生の荷物だ。」

 少佐の荷物から拝借したライターで中を照らすと、乱雑に置かれた荷物が浮かび上がる。急いでいたのだろうか。

 小柳上等兵は、小さな村にある尋常(じんじょう)小学校の教師をやっていたのだという。昨年徴兵され、この島にやって来た。闊達(かったつ)で博識な人だったから、誰からも慕われていた。

「先生なら、これだよな。」

「うん、間違いないね。」

 英語の辞書を手に取る。軽く(ぺーじ)をめくれば、癖のある走り書きが並んでいた。必要になるかもしれないから持ってきたと笑っていたが、随分と度胸があると感心したものだ。工作員と疑われかねないのに。彼は、最後まで敵との対話を考えていたのかもしれない。

「あれ?」

 吉野が不審そうに声を上げたので、辞書を麻袋に入れてそちらを見やる。吉野が荷物を確認しながら、首を傾げていた。

「弾はあるのに、銃が無い。」

「他と一緒に、捨てたんじゃないか?」

「でも、それなら弾も捨てるんじゃないかな。他の人達は皆そうしていた。多分、少佐の指示だと思う。」

「見たところ慌てて司令部の方へ向かったようだし、回収し忘れたのかもしれない。先生、抜けてるところがあったしな」

「確かに、ふふっ、忘れ物もよくしていたしね」

 吉野が頷いて笑った。加藤もつられてクスリと笑った。島崎少尉によく怒られていた姿が目に浮かぶ。

 懐かしみながら外を見ると、すっかり暗くなっていた。

「今日はここで夜を明かそうか。で、未明に出立だ。」

「そうだね。暗い中での移動は危ないし。そうとなれば、食事か。明日は何があるか分からないから、少しでも食べておかなくちゃ。」

 吉野の言葉に頷いて、加藤は日干ししていたトカゲを取り出す。この島には、幸いなことに食料となる生物がそれなりに居た。内臓の処理をしてから日干しをすると少し長く持つので、携帯食のように持ち歩いている。

 だが、吉野は加藤に制止を掛けた。

「今日くらいは、豪勢でも良いんじゃないかな。皆を盛大に送ろうよ。」

 吉野は、軍用缶詰を取り出して、並べる。おそらく司令支部の食料保管庫から持ってきたのだろう。

 いつまで続くか分からない戦争を前に、闇雲に物資を費やすわけにはいかず、節約を重ねていた。そのため、届かなくなって久しい軍用缶詰も、この島にはまだいくらかあった。

 加藤は少し考えて、頷く。

「そうだな。……もう、食べる人はいない。」

 これからどうなるかは、分からない。ただいずれにせよ、全部を持って行くことが出来るわけではないのだ。ならば、彼らへの餞として開けたとしても、怒られはしないだろう。

「お湯沸かすね。……もう、誰に怯えなくても良いんだから。」

 戦時下では、明かりにも気を遣っていた。大きな島は敵襲を受けたとしても、この小さな島は見逃される可能性がある。だから、とにかく敵に見つからないようにすることと、人がいると察知されないようにすることが、この島の重要な任務の一つだった。

 火を起こす時も、十分に注意した。煙一つで感知されるかもしれなかったから。

 でも、もうその必要も無いのだ。戦争は終わった。

「俺も、準備するよ」

「いいよ、加藤は座っていて。俺がやるから。」

「いや、でも。」

「いいから。何かやってないと、落ち着かないんだ。」

 吉野にそう言われてしまえば、加藤はただ眺めるしかない。

 本人に言うつもりはないが、加藤は吉野の行動を、少し意外だと思った。彼は遺品を集めている最中、何度も涙を流していた。親しい者の死に取り乱してもいた。心は疲れ切っているはずだ。

 それでも、食事をしようと言った。食事とは、生きようとする行為だ。きっと腹など減っていないのに、それでも口に何か入れようとしている。今にも仲間のもとへ行こうとしていた、彼が。

「ほら加藤、お茶。」

「あ、ああ、ありがとう。」

 水筒の(ふた)を外して、吉野に渡す。彼は粉末を入れてお湯を注ぎ、加藤へと手渡した。

 ほのかに緑茶が香る。

「乾杯。」

 蓋を(さかずき)に見立てて掲げる。酒ではないけれど、雰囲気は出るだろう。

 一口、含む。鼻を抜ける香りは、確かに緑茶だった。今までの、色が付いただけのお湯ではない。何年かぶりに飲む味に、加藤はホッと肩の力を抜く。

 鼻を啜る音がしてちらりと横を見ると、吉野がうっすら目に涙を浮かべていた。張り詰めていた緊張がほどけたのだろう。

 じんわりと沁みる、故郷を思わせる温かさが、目の前の現実を優しく包み込んでいく。

「缶詰、開けるね」

 吉野が静かに言った。

 彼は小刀を取り出して、缶詰の蓋に差し込む。器用に開ければ、大和煮(やまとに)の甘辛い香りがふわりと鼻腔を擽る。

 食欲をそそる匂いに、腹がかすかに鳴った。食欲なんてない癖に、体は生きたがっているらしい。

「聞いて驚け、加藤。なんとこれ、牛肉なんだよ。」

「馬じゃないのか? 贅沢品だな。残ってたのか。」

「馬肉のやつに紛れていたから、もしかしたら輸送隊の方で手違いがあったのかもね。何にしても良かった。皆を送るなら、これくらいじゃないと。」

「お前たちばかり贅沢してずるい、と怒られるかもな。」

「いいや、大丈夫だよ。皆どうせ、靖国で美味い飯でも食っているさ。」

「それもそうか。」

 死後の世界がどういう場所かは分からないけれど、吉野の言う通り、きっと仲間たちと宴会でもしているに違いない。彼らはもう、苦しむことは無いのだから。

 大和煮を飯盒(はんごう)の蓋に乗せて、食べる。米があれば良かったが、さすがにそれは高望みしすぎか。

 口に含めば、ほろほろとした牛肉から、じわっと醤油と砂糖の風味が舌の上に乗る。馬肉も美味しかったけれど、やはり牛は格別だ。疲れ切った手足の指の先まで、優しい甘さが広がっていくようだった。

 声を掛けようと吉野を見ると、彼は一口食べた後、大和煮を見つめながら何やら思いに耽っているようだった。

「吉野?」

 何を考えているか分からず、変な気でも起こしているのではないかと不安になる。食事を取ろうと思えるようになっていたのに、その食事でまた気持ちが揺らいでいるのではないかと思ったのだ。

 吉野は、大和煮を見つめながら、ぼそりと呟いた。

「まだ、負けたなんて、信じられないよ。加藤もそうだろ?」

「……まあな。」

 加藤は箸を止めて、茶をこくりと飲む。

 一億玉砕。最後の一人になるまで戦うつもりで、ここまで来た。

 でも、戦争に負けた。それが現実だ。

「俺、ここに来る前までは別の場所にいたんだ。そこでは毎日のように、人が死んだ。戦闘じゃない。病気だ。小さな傷で、人が死ぬこともあった。」

 加藤は、吉野の話に黙って耳を傾ける。

 以前、別の場所にいたとは聞いたことがあった。けれど詳しくは話したがらなかったから、初めて聞く。

 戦って死ねるならば、それも本望だったかもしれない。だが、それはただの理想でしかなかったのだ。それがどれほど悔しいか、加藤には分からない。

「それでも、それが国を守ることだと信じて来た。だから、皆、生き残った俺達に後を託して……っ。」

 震えた声が途切れる。目からは大粒の涙が流れ、岩肌を染める。

 加藤は吉野と違い、ここが初めての戦場だ。竹畑少佐がよく分かっている人で、兵は病気で死ぬこともなく、飢えて死ぬこともなく、そして、戦闘もなかった。だから、今日に至るまで、正直なところ死というものがどこか遠かった。

 だからだろうか。目の前に起こっているすべてが、まるで映画でも見ているかのように、どこか遠いものに感じるのは。今見ているのはすべて夢で、明日も戦友たちが笑って飯を食っている気がしてしまうのは。

「負けちゃったら、あいつらの死は、何になるんだよ。意味がないじゃないか。」

「そんなことはない。吉野、俺たちが居たから生きられた人だって居たはずだ。」

「そんなのは詭弁だ! 実際はどうか分からないじゃないか!」

 吉野が痛みに耐えるように言った。その言葉に、加藤は顔を顰める。そして、責めるように吉野に返した。

「なら、吉野はさっさと降伏していれば良かったと言いたいのか?」

「そ、そんなことは、ないけど……。」

 降伏して捕虜となれば、どうなるか分からない。実際、そうやって戦勝国に政治を奪われた国は少なくない。捕虜となった者がどうなったか、かつての戦争に参加した先輩方から聞かされている。

「吉野。戦争の勝ち負けは、ただの結果だ。義に殉じた仲間を、貶めるようなこと言うな。」

「……ごめん。」

 吉野が項垂れて、静かに謝った。

 吉野は、彼らを蔑ろにするつもりなどなかった。それは分かっている。

 ただ、それでも。遺された人間が言って良いことと、言うべきではないことがある。

「吉野。これからどうなるか、俺には分からない。多分、他の誰にも。だから、色々考えるのは、全てが終わってからにしよう。本土がどうなっているかだって、分からないんだ。もし本土が蹂躙(じゅうりん)されるようなら、そのときは。」

「……そうだね。米兵どもが何をするか分からない。もし何かあれば、俺達が助けないと。」

「もし戦争が終わって、世の中が平和になるなら、それだって良い。俺たちが戦って勝ち取った平和だ。そうだろ? 負けたからって、全部が無に帰すわけじゃない。」

「うん、そうだね。そうだ。」

 ただそう言い聞かせたいだけなのかもしれない。それでも、死んでいった仲間たちが、彼らの志が、意味の無いものだったなどと思いたくなかった。

 ――いや、思うことは許されないのだ。生き残った自分たちが。

 加藤は横に置いた麻袋に触れる。ずっしりとした重みが、その存在を主張していた。

「吉野。俺たちは、これを届けなくちゃいけない。これは、声だから。」

「声?」

「そう。ここで生きた仲間たちの、最期の言葉だ。俺たちが届けなきゃ、遺された人たちは、この島の連中がどうやって生きたのか、何を思って死んだのか、分からないままだ。俺たちが、仲間のことを、伝えないと。」

 この遺品たちは、死んでいった者たちの生きた証だ。

 もしただ朽ちて消えるだけならば、彼らがここに存在したことまで消えてしまうだろう。

 だが逆に言えば。こうして遺書や遺品を届けたならば、彼らは確かにここに生きていた証になる。

「生き残ったことを、責められるかもしれない。それでも、俺たちは、届けなきゃいけないんだ。やることは沢山ある。俯いてられないぞ。」

「そうだね。うじうじしていて、ごめん。」

「いや、良いんだ。こんな状況で、落ち込むなというのは、無理な話だからな。」

「でも、加藤は冷静だよね。強くて羨ましいな」

 吉野の言葉を、加藤は少し考えて否定する。

「いや、強くなんかない。仲間を思って泣ける吉野の方が、ずっと強いさ。」

「そうかなぁ?」

 吉野が笑った。加藤は、そうだと頷いた。

 冷静なわけではない。実感が湧かないから、動揺しないだけだ。死んでいった仲間たちの顔を思い浮かべて、心が(きし)む音はするのに、まるで他人事のように感じる。

 たぶん、現実から逃げているだけなのだろう。だが、たとえ現実から逃げているだけだとしても、それでいい。やるべきことがある。与えられた使命を果たすためならば、わざわざ正面から受け止める必要なんてない。

 そう思っていたからこそ、戦友の死を受け止めている吉野の方が、ずっと強く見えた。

「とにかく今は、食事を済ませよう。」

「そうだね。明日も早いし、仮眠もしたほうが良い。」

「未明に出た方が良いんだったな。何時に立つ?」

「今の時期なら、五時には島を出たいな。四時ごろ出発が良いと思う。」

「なら、そうしよう。」

 加藤と吉野は仲間たちの思い出話に花を咲かせながら、御馳走を堪能する。吉野が時折泣きそうに眉を寄せては、笑って誤魔化した。加藤もそれに合わせて、大げさに笑った。

 穏やかな時間は、亡き戦友たちへの餞別(せんべつ)として申し分ないものになっただろう。

 腹が満たされれば、自然と心も落ち着いてくるもので。食べ終える頃には、吉野も以前の調子を取り戻していた。

 仮眠は加藤からということになった。船に乗れば、海の知識がある吉野が指揮を執る。ぎりぎりまで寝ていられる方が良い。


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