12.戻る平穏
主な仕事は片付いた。残りは、村そのものの後始末だ。
「そろそろ連中も下りてくる頃だろ」
緑青子の予想通り、山の方にいくつもの明かりが見え始めた。慌ただしい足音に騒がしい声。あの祭壇にいた人たちが下りてきたのは明らかだ。
問題は、その姿。
緑青子は最後までかばんを握る手をゆるめることなく、明かりが大きくなっていく様を観察した。
たいまつやら懐中電灯やらに照らされる彼らの顔――それは、至って普通の人間だった。
ホッと息をつく。
昼間に見た異様に大きな目や手足、それらの影はもうどこにもない。ただの人間たちが、「一体なにがあった」とけたたましく駆けてくる。
「あ? あそこにいるデカいのは……食堂で会ったねーちゃんか?」
「あんたァこんな時間に、そこで何してんだ? ……ワシらも何してたんだ?」
「そんなことより! 助けてくれぇ!」
彼らは思い思いに口を開いたかと思えば、その口から次々と黒い塊を吐き出した。
「うぶおええええ」
「ヒィィィィまただ! みんなおかしく……ぐぇっ、お……あっ」
ダゴンの欠片は、しばらくすると消えていく。だが吐瀉物の悪臭まではなくならない。
おぞましい物など見慣れている緑青子にとっても、その光景は顔をしかめるものだった。
「セ、セシル、とりあえず村人は大丈夫そうだ。それに何があったか曖昧みたいだし……〈記憶処理〉の必要はないかもな」
『それは好都合ね。いったん検査は受けてもらうけど』
漁師たちのゲロを避けながら、緑青子はある人物を探した。先に派遣された調査員だ。ひとりは緑青子自身の手で葬ってしまったが、もうひとりいるはずだった。
「あ……三原色さん」
「アタシの呼ばれ方安定しねーな……まあいいや、元気か?」
「はい……どうにか」
衣服に描かれた機関のシンボルのおかげで、彼は簡単に見つかった。
「その……お前と一緒に来た奴のことなんだけど……」
「下りてくる途中で見ましたよ、穏やかな顔でした。……心配しないでください、みんな覚悟の上ですから」
まるで動揺する素振りもなく、彼は同僚の死を受け入れた。
扱うモノがモノだ。人の死など日常茶飯事、それは緑青子とて同じ認識だ。だが、たとえばセシルが死んだ時、自分は彼と同じように冷静なままでいられるだろうか?
どうやって心を保っているのか、彼に聞きたい気持ちもあった。それでも緑青子は感情を払拭し、一言だけ彼にねぎらいの言葉をかけてから、仕事の話に戻った。
「マテリアルはふたつだ。回収班が来るまで、村人が触ったりしないように見ててくれ」
「はい」
緑青子は彼を連れて少年のところまで戻り、まだ動いている塊を指さして、球体を隣に置いた。
調査員の彼はうなずいて、緑青子から紙とペンを受け取ると、何やら記録を始めた。
「三原色さん、こちらの男の子は……」
「……本来の回収対象。今は何もしないでくれ」
マテリアルを調べることが、調査員である彼の任務だ。それを放棄してこの少年を野放しにするなど、あってはならないことである。
だが彼は緑青子に従うことにした。同僚を苦しませずに葬ってくれたことへの礼のつもりであったし、自分を救ってくれたことへの感謝でもあった。それを口には出さず、彼は淡々と仕事をする。何も言わず、緑青子に余計な負担をかけない、それが彼の礼儀だった。
彼に感謝を告げたあと、緑青子は不安そうにうろついている少年とおばちゃんを落ち着かせてから、教祖を探した。
「星守辰並はどこだ……?」
今回の件の元凶である男、あいつを逃がすわけにはいかない。
何が起こったのかと混乱している村人たちを押しのけ、目標を探す。
すると山の方から、人影らしきものがおそるおそる下りてくるのが見えた。村の方へ近づくわけでもなく、様子をうかがうように動く影。怪しさ満点だ。
いつでも武器を取り出せるようにしながら、影の元へ急ぐ。
長身の女が目の前に立ちはだかり、影はへたりこんだ。
「ようオッサン、ダゴンは倒してやったぞ」
「ダ、ダゴン様を……?」
「ン?」
ダゴン様だと? 他の村人はもう解放されてるのに、ダゴン様?
星守の様子を不審に思った緑青子は少年を呼んだ。
「しょうねーーん! お姉さんとこ来て!」
呼ばれた少年は、村人の間をとてとて走り抜ける。
(子犬みてぇ)
無性に少年をかわいがりたくなった緑青子は、駆け寄ってきた彼のあごをわしゃわしゃなでた。
「な、なに……? くすぐったい……」
「あ、そうだった。少年、教祖からまだダゴンが抜けきってないみたいなんだよ」
我に返り、緑青子は星守を指さした。
星守と少年は、互いに何か言いたげな表情で見合った。少年は大きく呼吸した後、星守に近づき、手を当てた。
「……う、ぷ」
「よしよし、いいぞ。そのまま吐き出せ」
星守は順調に体内のモノを吐こうとする。ところが、その動きが途中で止まった。
「……あれ?」
「オイオイ少年、どうなってんだ? アタシの時は一発でキメたろ」
少年と一緒に首をかしげながら、星守の様子を見守る。しかし一向にダゴンの欠片が出てくる気配はなかった。
「さっさと吐けよオッサン、アタシ帰れなくなっちゃうだろ。おら出せっ、出せっ」
緑青子は星守の腹を何度も押し、欠片を取り出そうと試みた。衰弱した中年の口から出てくるものは、胃液だけだった。
『暴行はやめなさいミオちゃん、今回の件だけで言うなら、彼も被害者なんだから』
「そう言われてもな……そうだセシル、お前も手伝え」
『私?』
緑青子はインカムを押さえて、ボソボソと何かを話した。
『それ、やらなきゃダメ?』
「ものは試しだ」
インカムを外し、星守の耳に当てる。
「なにを……」
『ぜんぶ、出して』
「!? うぐっ、う、おおおお、おおおおおおっっ」
セシルが星守に囁いた瞬間、彼は腹をビグンビグンと動かし、他の村人よりも大きなダゴンの欠片を戻した。食道がせり上がり、口中が深海のように真っ黒になる。ようやく吐き出した時、星守は虫の息だった。
そんな彼を、緑青子は容赦なくひっぱたく。
「ほんとに出すんじゃねえよ気持ちワリぃなあ」
『ミオちゃん、言ってることめちゃくちゃ』
「フンッ、まあ一件落着だな。さすがは男殺し」
『たまたま吐くタイミングが被っただけだと思うんだけど……』
星守を縛り上げ確保した後、緑青子は村全体の様子を確認しに回った。
とは言っても、みんな何が何だかわかっていないため1か所に固まっており、これ以上不審な人影は見当たらない。
「よし、最後……〈図書館〉だな」
緑青子の脳裏に焼き付いている、地下で見た〈2人〉。彼らの無事を確認しないことには、帰りたくても帰れない。
少年とおばちゃんを連れて、目的地へ向かう。中は荒れ放題だったが、仕掛けがある棚は無傷だ。
「おばちゃん、踏み台どこだっけ?」
「あっちよぉ、取ってこようか」
その時、少年が残念そうな顔をしたのを、緑青子は見逃さなかった。
「おやおやおやおやおや、どうしたのかな少年」
「ううん、なんでもない」
「そうか、ならいい。早く地下の2人助けないとな」
ぽかんと口を開ける少年を横目に、緑青子は覚えている通りに本を並べ替えていく。だが、最上段だけには手を付けない。
「ここの順番だけ覚えてないな~、少年、やってくれる?」
少年はムッとした表情でぴょんぴょん跳ねた。どれだけジャンプしても、彼が上の段に届くことはない。だが彼は意地になって手を伸ばし続けた。
「っとにカワイイな少年」
意地をぶつけ合っても良かったが、緑青子は戦うまでもなく折れた。少年の愛らしさに、彼女は勝てなかった。
少年としては喜ばしくも納得のいかない結果で勝負はつき、彼は抱え上げられる。背中にもっちりとした体温を感じながら、彼は本を入れ替えた。
「はいおつかれ」
緑青子は誰が見てもムカつく〈ニヤついた表情〉で少年を下ろす。おばちゃんはそれを温かい目で見守っていた。
そんな彼女たちの後ろで隠し扉が動く。
ゴゴゴ……という音に混ざって、男のうめき声が漏れ出した。
「やっと出られたァァァァーーーー! さっきの姉ちゃんやろ? 姉ちゃんありがとうーーーー!」
「うおおおおおおおッ! なんだよお前はッ、抱き着くなッ! ……って、田村さんじゃん」
いきなり飛び出してきた男に抱き着かれた緑青子は、彼の正体を理解し、顔をほころばせた。
「姉ちゃんが来た時な? 助けてーって何度も言うたんやけど、姉ちゃんどっか行ってまうやんかー、絶望したでホンマ」
「そん時はこっちもテンパってたんで……すんません」
人間の姿に戻ったお笑い芸人の〈田村明〉、その後ろからは、ひとりの女性が姿を現した。
「そっちは〈葉山凛〉かな?」
「は、はい……」
星守辰並の娘で番組への依頼者である葉山凛も、ちゃんと人間の姿に戻っていた。しかし彼女の目はやや虚ろで、しきりに周囲を見渡していた。
「あの、パパは……」
「星守か? 一応無事だよ、縛り上げてあるけど」
それを聞いた葉山は、緑青子を突き飛ばして図書館の外に出ようとした。ところが、葉山の力では緑青子の体はビクともしなかった。緑青子は無理やり葉山を振り向かせ、胸ぐらをつかむ。
「待てコラ、元はと言えばお前のせいでもあるんだぞ。同情の余地はいくらでもあるけど、〈逃げる〉のはダメだ」
「ちがっ、私はパパが心配で……」
「姉ちゃん、手ぇ放したってや」
田村が優しく仲裁に入る。葉山に騙された一番の被害者である彼にそう言われては、緑青子は口出しできなかった。
「檻に入ってる間、その子といろいろ話したんや。葉山さんは本当に親父さんを心配しとるだけや」
緑青子に胸ぐらをつかまれたことで逆に冷静になったのか、葉山は大人しくなって緑青子に頭を下げた。
「お姉さん、もう大丈夫だよ。行こう」
少年にも促され、緑青子は完全に牙を収めた。少年の言う通り、事件はもう終わったのだ。これ以上争う意味はない。
全員無事なのだから、これ以上望むことはない。そういう結論で、緑青子たちは図書館を出た。




