11.対異質砲ヨルムンガンド
銃弾が自分の体を撃ち抜いた。緑青子はそれを認識はしたが、意識がまだ追いつかない。
一瞬の間を置き、穿たれた穴が急激に熱を発する。
「がっ……」
『ミオちゃん!?』
緑青子は血を吐いて後ずさった。
馬鹿な、確かに肉に撃ち込んだ。通ることも先に確認した。弾かれるわけが――。
緑青子の前で、空間が揺らいだ。
「なるほどね……」
ダゴンはあの球体を持っていた。出現時にも使った、空間をゆがめる球。あれで弾丸の起動を変え、緑青子の方へ返したのだ。
緑青子はうつ伏せに倒れた。一瞬で血の海が広がり、ダゴンの足元まで伸びていく。深海の申し子たるダゴンには、それが何よりも心地良かった。
(セシル……お前の予感が当たったな)
機関を出発した時のことが、走馬灯のようにフラッシュバックする。この仕事はいつもと違う、セシルはそう言っていた。
今この瞬間も、セシルの声が耳元で響いている。必死に呼びかけてくれているが、緑青子には答える力が残っていなかった。
緑青子は這いつくばりながら、血が流れ続ける体を引きずって、ダゴンから逃げようとした。
ダゴンはこの状況を楽しむように、わざと一定の距離が開くまで待ってから、じっくりと緑青子を追い詰めていった。
ズル……ズル……ズル……ズル……。
弱い呼吸を繰り返し、緑青子は離れる、離れる、離れる。ダゴンがすぐ後ろにいる。
離れる、離れる、離れる、離れる、またダゴンが後ろにいる。
どれほど鬼ごっこを繰り返したか、ダゴンはそろそろ飽きていた。所詮人間とはこの程度。遊び相手にはなったが、こんな女、もうどうでもいい。
いっそ踏みつぶしてしまおうか。この女への当てつけに、何度も切り付けられた足で、何度も踏みつぶしてしまおう。
ダゴンは足を上げた。
後は下ろすだけでいい。クトゥルフ様の花嫁にと思ったが、この女は殺してしまおう。
満身の力を込めてつぶしにかかる。そのとき。
「ちゃんと見てやってればな」
緑青子が笑った。
突然の微笑に、ダゴンは戸惑いを隠せない。思わず体が固まり、ゆっくり足を元の位置に戻した。
もう一度緑青子を見た時、ダゴンは己の失敗を悟った。
緑青子が転がっている場所の、すぐ側にある建物。その陰から、少年が飛び出してきた。
少年は緑青子に覆い被さるように抱きついた。少年の元から強烈な光が発せられ、収まる頃には、赤崎緑青子がそこに立っていた。
流血し、傷も完全に塞がったわけではない。だが、動くくらいなら問題ない程度の生命力を、彼女は放っていた。
「お前たちがしっかり少年を見ていれば、こんなことにはならなかった」
緑青子は見せつけるように少年を抱き上げ、頬ずりした。少年はもじもじしながらも、緑青子を助けることができた喜びから、されるがままを受け入れた。
「やってくれるって信じてたよ」
「僕も間に合うって信じてた」
「やっぱいい男だな、少年。こんな子を呼んどいて落胆するなんて、深海の価値観は理解できないね」
ダゴンは目に映るものを信じられずにいた。
確かにあの少年が現れた時、自分は落胆した。もちろん、クトゥルフ様を呼べなかったというのもある。しかし一番の理由は、あの少年からは何の力も感じられなかったからだ。時間を費やし、同族を生贄に捧げたのに、なんの価値もない存在を呼んでしまったからだ。
なら、あの光はなんだ? なぜあの女は立っている?
ダゴンは思考する。だがそれは、答えにたどり着くためではない。己の中で明滅する、ひとつの懸念から逃れるためであった。
〈神性としての規模〉
あの少年が何の力も持っていなかったのではなく、力が大きすぎたのだとしたら?
自分の器では、大きすぎる力を測りきれなかったのではないか?
しかし、目の前で大女に抱え上げられ「おろして」と騒いでいるあの少年は、見た目相応の小僧にしか思えない。
どちらにせよ、認識を改めねばならない。アレを放置してはいけない。
あの小僧から目を離してはならぬ。
ダゴンは迷うことをやめた。
「だからちゃんと見てろって」
ダゴンの意識が再び引き止められる。
緑青子は少年を下ろし、ダゴンの前で両手を開いて見せた。
ヒラヒラと振る両の手、そこには何も握られていなかった。〈武器〉も、〈かばん〉も。
緑青子はダゴンを指さした。指先を追い、ダゴンは自分の傷を見る。傷は深いが、それ以上のことはない。
「そこじゃない」
否定しつつも、緑青子の指先はさっきと同じ方向を向いていた。
彼女が示す方向──ダゴンの背後。
後ろを見ると、緑青子が這ってきた血の道の先に、彼女のかばんが置かれていた。
「振り返ったな? じゃあそれが見えてるよな」
血溜まりにポツンと佇むかばんが、静かに開いた。
その見た目には似合わない、機械じみた音を立て、かばんは形を変えていく。ボディが折りたたまれ、ジャキン、ジャキンと、一段階ずつ伸びていく。
内部の闇をそのまま外装にしたような、漆黒の〈銃身〉。一言で言うならば、それは〈ライフル〉だった。見るからに長大で、極太で、とても人間に扱えるような代物ではないが、とにかくライフルだ。
さらに、外装の闇は黒くうねり、複数の砲門を生み出した。元のかばんには到底収まりきるはずもない巨大なライフルと、それを囲む複数のサブ砲門。それがダゴンを狙っていた。
「なに驚いてんだ? 空間ゆがめるのはお前の専売特許じゃないぞ」
挑発するように、緑青子はダゴンの背に投げかけた。ダゴンは慌てて振り向くが、もうそこに人影はなかった。
相手からは見えない死角。緑青子は少年が元々いた建物の陰に入り、〈射線〉から逃れていた。
「みみみ緑青子ちゃん、あんた大丈夫ね!?」
「問題ない! それよりおばちゃん、少年も、最後にもうひと踏ん張りだ!」
心配そうに寄り添う2人を聞き流し、緑青子は叫ぶ。
「対異質砲〈ヨルムンガンド〉、起動!」
閃光。
世界蛇の名を冠されたその銃は、緑青子の声に合わせて光の奔流を放った。
蛇は射線上にある物質全てを食らわんと、一直線に駆け抜けていく。当然その中心にいるのは、ダゴンだ。
ダゴンは直撃の寸前で背後を向き直り、光を受け止めようとする。自分がいた深海とは真逆の、何もかもを焼き尽くす光の海、それが触れたそばから己の身体を焦がしていくのを感じながら、それでもダゴンは耐えようとした。
「もう少し……もう少しで……!」
あどけなくも力強い声が、ダゴンの耳に届いた。ダゴンはその声に聞き覚えがあった。
あの小僧だ。あいつが、私に何かしたのだ。
「倒れろ、ダゴン!」
命令のごとき強制力を持った少年の声が、ダゴンを襲った。その言葉を脳で認識した瞬間、ダゴンは自分の体が小さくなったように感じた。
自分の体格に変化はない、だが確実に、力が失われた。ダゴンにはその実感があった。
一歩、また一歩。己の後退を止めることができない。光を抑え込むことができない。
小僧、あいつが私の力を……。おのれ小僧! 熱 いつから 星辰 小僧! 小僧! なぜ 光
集中 球体 空間を 否 もう遅――
世界蛇は、旧き海の神性を飲み込んだ。
「少年! おばちゃん! 終わったよ……」
緑青子は壁にドッともたれかかり、大きく息を吐いた。そのままズルズルとずり落ちていき、燃え尽きたようにしゃがみこんだ。
「お姉さん!」
少年が緑青子の手を取り、必死に握る。これで緑青子は治るはずだったが、何も起きなかった。
「あ~、ケガには効くけどそれ以外は……って感じか。心配すんな少年、クソ疲れてるだけだから。あのかばん燃費最悪なんだよな~」
あのかばんは何なのか、あの光は何なのか、聞きたいことは山ほどあったが、少年は何よりもまず、緑青子のことを心配した。
「だ~からだいじょぶ……いや、やっぱ無理かも」
「そんな……」
「でも少年が協力してくれたら治る気がするゥーー」
「ほ、ほんと!? 僕にできることなら」
なんでも言って、と少年が言う前に、緑青子は少年を抱きしめた。無遠慮に体と体を擦り合わせ、その柔らかさの中に、少年を包んでいく。
「スゥーーーーッ、フゥ~~~~ッ。やっば、コレ最高……」
「緑青子ちゃん! 御子様が! 御子様が!」
緑青子の肉体に食われて身動きが取れなくなっている少年を、おばちゃんは何とか引きずり出そうとする。
「ちょっと待っておばちゃん。もうちょいこうさせて……」
命がけの戦いの直後とは思えないようなダラけきった表情で、緑青子は少年を堪能した。
「うっし! 回復ッ」
しばらくして、緑青子はとろけた顔の少年をようやく解放した。
『音だけだけど何したか察しはつくわ。ミオちゃん、その子が保護対象って忘れてない?』
「必要だからやっただけだ。アタシほどのお姉さん力を持つ女が少年と体を重ねるとな、エネルギーフィールドが発生して回復エリアが生まれるんだよ」
『〈新種の成人女性型マテリアルを発見した〉って調査班に連絡しとくわ』
「待ってごめん。お前今けっこう本気だっただろ」
緑青子はセシルとのかけあいもそこそこに、ぼーっとしたままの少年を見た。
「少年、お前がダゴンを抑えてくれたおかげで勝てたよ。ありがとう」
「あっ、う……うん……」
「ふふふ……少年さえ良ければ……もっかいやったげよっか?」
「え、遠慮しときます……」
「なぁーんで敬語なんだよ~、うりうり、まんざらでもないんだろ~?」
肘で小突き、少年をからかう。緑青子はバッチリ元気だった。
「こ……これでもう……大丈夫なん? ちゃんと見た方が……」
「ン! そうだなおばちゃん、しっかり確認しとこう」
おばちゃんのごもっともな指摘により、緑青子たちは勝利の余韻もさておいて、ダゴンがいた場所を見に行った。
「にしてもさっきは焦ったな、セシルがいなきゃ死んでたわ」
『私も久々に本気で焦ったわよ。御子くんがケガを治してくれたって情報がなかったら、お手上げだったかも』
「マジで意識飛びそうだったけどさ、セシルが『あの場所へ行きさえすれば』って励まし続けてくれたから、少年のとこまでたどり着けた」
『ったく……聞こえてたなら返事してよね』
そんな余裕ねーよと笑い、緑青子は少年の頭をなでた。
「少年も、アタシが来た瞬間にすぐ出てくれた」
「お姉さんがこっちに向かってるってわかったから」
少年は得意げに胸を張った。あの瞬間、少年は誰よりも早く状況を理解し、動いてくれた。
「ダゴンのことまでしっかりやってくれたしな……で! ダゴンって言ったらおばちゃん!」
「へ? わ、私?」
「おばちゃんが少年を見ててくれたから上手くいったんだよ」
「そ、そうかね……」
「おばちゃんがいなかったら、僕、そもそも何もできなかった」
「元をたどれば、アタシが村に潜入できたのもおばちゃんが計らってくれたからだし。つーか何気におばちゃんMVPじゃね?」
勝利の要因となった全員を称え、緑青子はダゴンがいた辺りを操作した。そこには、村で食べた〈ゴンダ〉よりもひと回り大きな黒い塊が、力なく蠢いていた。
そのそばには、空間をゆがめる球体も。
「最悪ダゴンは消し飛ばしてもいいかと思ったが……案外ちょうどいいサイズになってくれたな」
緑青子は球体を拾い、黒い塊の方は足のつま先でツンツンつついて、安全を確認した。
「セシル、回収班頼む。マテリアル2つ、内ひとつはクトゥルフ神話の怪物だ。調査班で神話に詳しいやついたら叩き起こしといて」
『了解。最後まで気を抜かないでね。ああそれと、アレ使う時はできれば先に言って、で、人目につかないとこでやって。外部に漏れたら大変なんだから』
「ハイハイわかってますよ、でも見せたいじゃん? 最終兵器」
報告も終え、かばんを取りに向かう。強烈な光をぶっ放したライフルはすっかり隠れ、ただの旅行かばんに戻っていた。




