10.ダゴン解体ショー
「やっとボス戦か、いいよ、相手してやる」
鱗やヒレに覆われた巨人の眼窩には、深海をそのまま球体にしたような眼が埋まっていた。その目は、緑青子に本能的な恐怖を与えた。
加えて、脅威はダゴンだけではない。周囲を取り囲む眷属の魚人たち、まずはこちらをどうにかするべきだった。
(殺したくはないが……少しは減らさないとキツイか)
緑青子は再び刀を取り出した。緑青子の長身に合わせたこの刀は、一対多をものともしないリーチを誇っていた。
腕を引き、居合の構えをとる。腰を切り、刃が光った瞬間、少年が緑青子を止めた。
「お姉さん、ダメ……もう殺さないで……」
「少年……」
この魚人たちは村人のなれの果てだ。少年が彼らを助けたがっているのは、緑青子も知っている。それでも……。
『ミオちゃん』
セシルが凛とした声で名を呼んだ。それだけで、彼女が何を言いたいのか理解できた。
「しょうがねーなあ~~~~。アタシら、いい男の頼みは断れないもんなあーーーーッ」
全身に気合をみなぎらせるため、緑青子は叫ぶ。
「この女たらしめ」
緑青子が微笑むと、少年は満面の笑みを見せた。
反対に、星守の表情は険しくなる。
「彼らを殺さずに乗り切ると? どうやって?」
「逃げる」
「は?」
星守が初めて面白い表情を見せた。写真を撮ってセシルにも見せたいところだが、緑青子はサッと背を向けた。
「聞こえなかったか? 逃げるんだよォー!」
言葉通りに、緑青子は走り出す。腰を抜かしたままのおばちゃんを連れて、少年を促して。
おばちゃんは自力で走れそうもないので、まずは彼女を背負った。もう一人、少年の方は、どうしても緑青子のペースより遅れてしまっていた。
「少年!」
右腕を広げ、体を差し出す。少年はすぐにその意図を理解し、緑青子に飛びついた。
緑青子は少年をしっかりと受け止め、胸に抱える。
「今度は変なとこ触んなよ、アタシ弱いからさ」
和ませるために言った冗談だったが、少年は真に受けてしまったようで、真っ赤になってあたふたしていた。これでは少年がずり落ちてしまう。
仕方なく、緑青子は強く少年を抱き寄せ、再び自ら体を押し当てた。
「セシル、少年へのセクハラって査定に響く?」
『響くけど、聞かなかったことにしてあげる』
「ククク……悪いお姉さんたちに捕まっちまったなあ少年」
緑青子は恥ずかしがっている少年に構わず、さらに体をホールドする。
(実際こうしないと落ちそうだし……)
背中におばちゃん、胸に少年。2人がしっかりしがみついてくれなければ、逃げ切るのは不可能だ。
「いくぞふたりとも、気合入れろよ!」
そう言って、緑青子は左手に持っていたかばんを前方に投げ出した。走る勢いのまま、そのかばんを踏みつける。
「アルキュミア!」
叫びに呼応し、かばんがバンッと開いた。分厚いトランク型のかばんは、3人分の体重をものともせず、開いた衝撃で3人を射出する。
深い深い縦穴を大幅にショートカットし、緑青子たちは炭鉱部分まで飛んだ。
ズシンという着地の衝撃が体を貫く。緑青子の胸が大きく揺れて、少年の顔を暴力的になでた。
「おばちゃん、無事!?」
「だいじょうぶ……だいじょうぶよぉ……」
「少年は!?」
「う、うん……」
背後からもう一度バンッと音が鳴り、かばんが飛んでくる。緑青子はそれも左手でしっかりとキャッチした。
「逃げ切ったぞ! 見てるか魚ども、お前らはそこでピチピチ跳ねてろ! アッハハハハハハハーッ」
階段にごった返し、詰まってしまっている魚人たちを見下ろして、緑青子は笑う。呼び止める星守を無視して、緑青子たちは炭鉱の外に出た。
家屋群を走り抜け、ゲートに向かう。入るときに気絶させた魚人が、今にも立ち上がろうとしているのが見えた。
「どけコラァッ」
緑青子は全体重をかけて、ドロップキックをぶちかました。顎にヒットした蹴りは、魚人の意識を飛ばすにはじゅうぶんすぎた。
異界と現世を結ぶゲートも抜けて、緑青子たちは山を駆け降りる。
村までたどり着き、ようやく一息。
「少年、まだ終わりじゃないぞ。ヤツはすぐ追ってくる」
2人を下ろしながら、緑青子は最も真剣な様子で言った。
「おそらく、ここがダゴンとの戦場になる。強さには自信があるが、相手は神話のバケモンだ。アタシが勝てるかどうかは、少年にかかってる」
「僕に……」
「少年の力で、ダゴンを限界まで弱くするんだ」
「でも、もう抑えきれるか……」
緑青子は何も言わず、ただ少年を見つめた。
深い夜を照らす月光よりも眩い光が、少年を射抜く。
「やる、やるよ、お姉さん」
「よく言った。アタシの命、少年に預ける」
緑青子はおばちゃんにも同じ眼差しを向けた。
「おばちゃん、あんたは少年を応援してあげて」
「わ、私も……?」
「村人の中で、少年の味方はおばちゃんだけだ。そのあんたがそばにいてくれるってだけで、少年の力は跳ね上がるはずだ」
「……わかった」
全員が覚悟を決めた時、村の中心部の空間が歪んだ。
大きく、禍々しいねじれ。その中を通り、旧き異質が姿を現す。
「やっぱりな……あの球で空間を操ってやがったか」
ダゴンはその手に青黒い球を持っていた。球の周辺には、ダゴンが通ったものと同じねじれが蠢いていた。
緑青子は少年とおばちゃんを残し、ダゴンの元へ歩を進める。
月下で2体が対峙する。先に仕掛けたのは、ダゴンだ。
聞くに堪えない声を発する喉、それを最大限に震わせ、絶叫する。地が震え、破壊的な威圧が緑青子を襲った。
「叫んだだけでこれかよ……」
後ろの少年たちが気になったが、そっちを見ている余裕はない。今の緑青子にできるのは、少年たちを信じて戦うことだけだ。
遮蔽物となるものを瞬時に認識し、その点を結んでダゴンまでのルートを作る。
「魚といえば解体ショーだよな!」
刀を幾重にも振るい、ダゴンの足を切り付ける。
「ム!」
硬い。鱗が硬すぎる。考えなしに切ってしまうと刃こぼれしそうだ。
「じゃあ考えて切ろう」
刃が弾かれたからといって、方法が無いわけではない。
鱗ごとの継ぎ目、重なっている部分。ダゴンの鱗の構造は結局のところ、一般的な魚のものだ。弱点を見極めるのはそう難しくない。
緑青子の剣術は、その隙間を性格にとらえ、肉体まで刃を届かせた。
「神話生物も血は赤いんだな」
返り血を浴びながら、緑青子は高らかに笑った。
『楽しそうね、ミオちゃん』
「楽しまないとやってられない!」
もう片方の足を狙う。ダゴンはそれを察知していたのか、蹴り上げる構えを取った。
「やっべ」
次の瞬間、骨が折れる音が聞こえた。緑青子は咄嗟にかばんを挟んでダメージを軽減していたが、それでも数本はやられた。
ダゴンは足を振りぬき、緑青子を吹き飛ばす。飛んで行った方向は「おかえり食堂」――おばちゃんの店がある所だ。
コンクリートの壁を壊し、緑青子はそのまま2階の部屋に叩きつけられた。
「痛ってェェェェーーーーッ!」
ダメージは大きいがすぐに立ち上がり、周囲を確認する。壊れた壁の方から身を乗り出すと、地面に食堂の看板が転がっているのが見えた。
「おかえり食堂……!? じゃあここは……アタシが寝てた部屋か。クソッ、送り返された」
『おかえり』
「やかましいわ。おばちゃん、修理代は機関に請求してね!」
緑青子もセシルも笑っていた。女性である2人が「武装鎮圧部」などという部署に配属されているのは、戦闘を極限まで楽しむことができるこの精神が理由だった。
「とにかく、隙間と肉には刃が通ることはわかった」
『ケガは?』
「あばらが何本か」
事もなげに言ってのけ、緑青子は2階から飛び降り、ダゴンへ走る。
『普通は肋骨折れたら動けないんだけどね』
「アタシめっちゃタフだから」
ダゴンは再び足を引き、蹴る姿勢を取った。身長差からして、敵の女は足を狙うことしかできないと学習していた。
バカ正直に突っ込んでくる女に向かって、足を叩きつけるッ!
そのつもりだったが、ダゴンの足は空を切った。
「お前ケンカ弱いだろ。まっ、所詮クトゥルフに従ってるだけの魚なら無理もないか」
伸びきった足の先、そこに緑青子は乗っていた。蹴りが飛んでくるタイミングを見計らって、完全に威力を殺し、そこに乗ったのだ。
鱗の一枚一枚が滑り止めになり、緑青子はおそろしい速さでダゴンに接近した。
「お前のその目、気に入らない」
緑青子は飛び上がり、落下の勢いに任せて、ダゴンの眼球に刀を突き立てた。若干の抵抗の後、刃が沈んでいく。顔を裂き、肩を裂き、胸までも裂いていく。はがれた鱗が宙に舞い、月を反射して水しぶきのように舞った。
ダゴンには何が起きたか理解できなかった。人間とはこれほどまでに強かったか? 遥か昔の人間とは違うのか?
ダゴンの体が震える。だがそれは緑青子を恐れたからではない。こんな小娘に傷を負わされた、その事実に激しい怒りを覚えた。
「何が起きてるかわかんねーってツラしてんな、アタシにもどうなってるかわからねーよ」
嘘をつくな、と、ダゴンは緑青子をにらみつける。
「嘘じゃないよ。おっさんもお前も、アタシの言うこと信じてくれないなぁ」
緑青子はニヤニヤとダゴンを見る。質が悪いことに、嘘をついていないのは事実だ。少年がダゴンを弱めてくれているのは間違いないが、その正確な方法を緑青子が知るわけはないし、少年自身ですら、力の全容を把握しきれていないのだから。
「さて……肉が見えたな」
緑青子はかばんを開き、手を突っ込む。引いた先には、重厚な構造の機関銃があった。
ダゴンの残った目に、光が焼き付く。視界が戻った時には、何発もの弾丸が体内に撃ち込まれていた。
「魚のウロコとか皮ってよォ~、びっくりするくらい硬いんだよ。古代魚の中には象牙質やエナメル質でできた鱗を持つやつもいるらしい。下手すりゃ銃弾も弾くかもな」
マズルフラッシュを瞬かせ、緑青子は駆ける。片手に携えた刀が、鱗をそぎ落としていく。
「でもこうして隙間に入れてやれば、鱗を落とすのは難しくない。そうすりゃ後は……」
一気に距離をとったかと思えば、もう片方の手に握られた銃が火を噴く。むき出しになった皮膚、そして肉に、弾が撃ち込まれる。
通り抜けた弾丸には、緑青子の肉片がこびりついていた。




