34 ヘルガとアスカ
アスカは本気だった。片手に剣を握ったまま、周囲にいた男の一人に近づくと、服の上から武器の有無を確認しようと、左手を伸ばす。
このとき――男が唐突に声を上げた。
「――殺戮と再生の女神メルカーナを冒涜するものに、血の裁きを!」
最初の声に呼応するように、多数のテーブルで客たちが叫んだ。
「神を冒涜するものに、血の捌きを!」
動き出した客の数は、五十人を超えていた。剣と銃で武装する集団は、アスカを取り囲もうとする。立て続けに銃声が響いて、襲撃者のマスケット銃が火を噴く。しかし、アスカは涼しい顔で、避けることもしなかった。
「愚かなことを――」
青みを帯びた漆黒の目に、苦笑を浮かべる。
「貴様たちが最初から行動を起こさなかった理由は――ここに私かいると、仲間から忠告されたからだろう?」
蒼い炎を纏う剣を身体の正面に構えると、切っ先から炎の線を放った。角度を変えて連射される炎が、襲い掛かる男たちを、次々と貫いていく。
しかし、数で押す狂信者たちは、仲間の犠牲を無視した。倒れた仲間の身体を踏みつけて、アスカに迫る。瞬く間に、アスカは襲撃者に取り囲まれて、見えなくなった。
――これが、あの人がやろうとしていたことなの?
ヘルガは呆然とした顔で、惨劇を見つめた。今、周囲で起きている状況から、アスカの意図を理解する。襲撃犯が動いたのと同時に、黒服たちも行動を始めていた。しかし、彼らの目的は、アスカの援護ではなかった。
襲撃犯が動いたことで、フロアに生まれた空間。黒服たちは、そこに割り込むように移動すると、取り残されていた客たちを背に庇うようにして、防御態勢を取った。多勢に取り囲まれて、アスカが危機に陥っていることを、完全に無視して――。
「おまえたちは、客人の安全を最優先に行動しろ――それから、私が、どのような状況に陥ろうとも、一切眼中に入れるな」
アスカは行動を始める前に、命令を下していた。黒服たちは言葉に従って、彼女を囮にしたのだ。
「いくら強いって言っても――」
ヘルガは思わず、声に出して呟いていた。
「――こんなの、自分から殺されに行ったようなものじゃない!」
さらに信じられない光景が、ヘルガを襲う。一般客の安全を確保した黒服たちは、一斉にマスケット銃を構えた。銃の照準は、フロアの中央にいる襲撃犯を――まだ生きている可能性があるアスカごと狙っていた。
「――駄目よ!」
考えるよりも先に足が動く。ヘルガは、アスカを取り囲む集団に向かって、一直線に突き進んだ。斜線に飛び出した少女の姿に、黒服たちが躊躇する。その隙を突いて、ヘルガは走りながら印を結ぶと、両手の間に、光の玉を出現させた。
光球は回転しながら、徐々に大きくなっていく――麻痺光球。幻覚系技術と知覚系技術を複合させた『人を殺さない』選択肢だ。
ヘルガの接近に気づいた襲撃犯二人が、抜き身の剣を手に振り返る。狂信者の血走った双眼は、猛禽類のような獰猛さで、獲物に襲い掛かった。
「――邪魔をするなと、言っただろう」
再び、耳元で響いたアスカの声に、ヘルガは足を止めた。その瞬間、武装集団の中心点から、蒼い炎の渦が噴き上がる。炎は、瞬く間に膨れ上がり、襲撃犯たちを次々に飲み込んでいった。マナで増幅された五千度の炎は、人間の身体を一瞬で炭に変える。
「――メルカーナ神よ、我をお守りください!」
仲間の身体が焼き尽くされる光景を目にして、襲撃犯は原始的な恐怖に駆られた。総崩れになって逃げ惑う彼らを、蒼い渦から伸びた無数の炎の線が、無慈悲に貫いていく。
十秒と経たないうちに、襲撃犯は壊滅した。残されたのは、炭化した無数の死体と、その中心に立つ無傷のアスカだった。
「――人を盾にできなければ、こんなものか」
アスカは淡々と口にして、炎が消えた剣を、鞘に収める。
ヘルガは光球を握り潰すようにして掻き消すと、無数に横たわる死体の前に進み出た。
「こんなものか……ですって?」
今にも泣き出しそうなほど悲しみに満ちた青い目は、震えながらアスカを見つめる。
「結局、あなたは皆殺しにしただけじゃない――最後は、みんな逃げていたのよ? 追い掛けてまで、殺す必要はなかったわ!」
ヘルガを行動の意味を、黒服たちは諮りかねていた。言錬技術を使う少女は、彼らにとって、新たな驚異かもしれない。警戒心を優先させた一部の黒服が、抜刀したまま駆け寄ってくる。
ヘルガは彼らの行動に気づいて、新たな印を結んだ。自分の身体を中心に白い光の半球形が広がり、黒服たちの行く手を阻む。
「魔力の障壁だと――少佐、気をつけてください!」
思わぬ抵抗に、黒服たちは殺気立った。
「間の抜けた話だな。手に負えない相手に、不用意に近づくものではない」
アスカは苦笑すると、ヘルガの方に向き直った。
「それに。この子供は、私に危害を加える気などない――なあ、そうであろう? 貴様は、ただ、私に文句を言いにきただけだ」
「馬鹿にしないで……」
ヘルガは真正面から、アスカを睨んだ。
「あなたは間違っているわ……相手を殺すことが、解決する方法の全てじゃない……力を見せつけるような、あなたのやり方は……深い悲しみと、新しい憎悪と産み出すだけよ」
「その通りだ。理屈としては、間違っていない」
アスカは、ゆっくりとした歩調で、ヘルガに近づいていく。
「しかし、子供の理屈だな――敵軍の配置も、総数も不明な状況で、味方の安全を確保するには、視界に入った敵を全て殲滅することだ。それを怠り、背走する者に慈悲を掛ければ、敵の増援を招いて全滅に繋がる」
諭すようなアスカの言葉に、ヘルガは反発を覚える。
「ここは、戦場じゃないわ。あの人たちは、犯罪者かもしれないけど――それが殺して良い理由にはならない」
「いいや、違う――規模の大小ではない。人が武器を手にして、それぞれの理由のために戦ったのだ。ここは間違いなく戦場だった」
青みを帯びた漆黒の目が、真っ直ぐにヘルガを射抜く。
「だから、私が奴らを殺した理由も、裁くためではない。自分たちが殺される前に、相手を殺した。それだけだ――感情論を優先させるのは貴様の勝手だが、そんなことでは、本当に大切な者を、失うことになるぞ」
ヘルガは動揺していた。自分のせいで、大切な人を亡くしてしまう……そんなはずが……。ヘルガは葛藤と戦いながら、必死でアスカの言葉に抗おうとする。
このとき――アスカは、ヘルガの中にある揺らぎの正体に気づいた。
「そういうことか――」
アスカは小さく頷くと、足を速める。ツカツカと靴音を響かせて、魔力の障壁の前に立つと、手を伸ばす。軽く触れただけで、魔力の障壁は消失した。
「えっ――」
信じられないという顔で、立ち尽くすヘルガ。アスカはさらに詰め寄って肩を掴む。尚も抵抗しようとするヘルガを、引き寄せた。
「気づいていないのなら、教えてやる――」
ヘルガだけに聞こえるように、耳元に囁く。
「貴様が本当に拘り、拒絶しているものは、『殺戮』自体ではない――自分自身が『人を殺してしまう』ことへの恐怖だ」
アスカの言葉は、心を打ちのめした。ヘルガは目を見開いて、何かを言おうとするが、言葉にならない
――他人を気遣う綺麗ごとで隠してきたものは、自分の中にある『弱さ』なのか?
――ここまでか。
呆然と宙を見つめるヘルガに、アスカは小さくため息をついた。
そして、ヘルガを残したまま立ち去ろうとしたとき、声が聞こえた。
「そんなこと……解っているわよ……」
振り向いたアスカの視線が、ヘルガと重なる。海のように深く青い目は、激しい感情をたぎらせていた。
「好き勝手を……言ってくれるわね……。今さら、あなたに言われなくたって……自分のことだもの、全部知っていたわ……」
本当は気づいていた。けれど、認めたくはなかった――でも、いつまでも誤魔化しては、駄目なのだ。悲鳴を上げる心に、自分自身で爪を突き立てて、ヘルガは血を流しながら、這い上がろうとする。
「誰かに守られるだけの存在なんて――そんなこと、私は絶対に嫌よ。だから――自分の手で、切り開いてみせるわ」
アスカの漆黒の目が、微かに笑った。
「だったら、強くなれ――おまえが自分の考えを貫きたいなら、それしかない」
「なるわよ――強くなってから、あなたのやり方は嫌いだって、もう一度はっきり言ってあげるわ」
「そうか――」
アスカは再び背を向けて、待機している黒服たちの元に向かう。
「我々は、『不死者の宴』全館の安全の確認が取れるまで、このフロアに待機するが――貴様の面倒は見切れないから、好きにしろ。さっき出て行った馬鹿が、貴様のツレなのだろう?」
「……ありがとう……ございます!」
ヘルガは慌てて頭を下げると、扉に向かって走り出す。黒服と客たちの間を駆け抜けて、大きな扉に迫る。扉の脇を固めていた黒服が、反射的に立ち塞がろうとするが、アスカが制した。
「構わないから、行かせてやれ」
ヘルガはもう一度、アスカの方に頭を下げてから、身体をぶつけるようにして扉を押し開いた。そして、転がり込むように広い廊下に出ると、正面玄関に向けて全力で走っていく。
「――少佐。本当に、よろしいのですか?」
黒服の問いに、アスカは強かに笑った。
「良いも何も。馬鹿は言うことを聞かないからな、諦めるさ」
三分の二に減ったフロアの客。それでも百人近い人間の警護を、黒服だけに任せる訳にはいかないだろう。
「本命は、これからだな――」
漆黒の目が鋭く煌いた。
「――少佐? 今、何と――」
戸惑う黒服に、アスカは苦笑する。
「独り言だ、貴様は気にするな――それよりも、飲み物でも出して、客人たちを落ち着かせてやれ。もう暫くは、ここに留まる必要があるからな」
アスカは扉の向こう側を見据えて、ヘルガに思いを馳せた。
――馬鹿どもが、死に急ぐなよ。
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