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29 アスカ・アララギ


 鋼の扉の真下、ヴァレルたちの正面には、もう一つ別の扉があった。あの音楽は、開け放たれた扉の奥から聞こえている。


 ヘルガは期待に満ちた笑顔を浮かべて、振り向いた。


「―――ヴァレル、急ぐわよ!」


 ヘルガはさらに加速する。ヴァレルは手を引かれながら、ヘルガとはまったく別のものを見ていた。

ホールの一階と二階には、それぞれ十人以上の警備の黒服がいる。他のフロアには、せいぜい数人がいるくらいだったから、それだけでも違和感があった。しかも、彼らは、そこにいるだけではなく、マスケット銃と剣で、あからさまに武装していた。


 立ち位置から、螺旋階段と鋼の扉を警護しているのは明らかだ。


―――二階はVIPルームか。それにしても、目立ち過ぎだぜ。


 ヴァレルは、もう少し様子を伺っていたかった。しかし、ヘルガは強引に腕を引っ張って、開かれた扉の中に飛び込んでいく。

 扉を潜った瞬間、音楽と歓声は数倍に大きくなった。


「―――対抗魔術障壁か?」


 ヴァレルは目を細めて、周囲を観察する。

 五十メートル四方のフロアは、一番奥がステージになっていた。派手な服を着たオーケストラが、グランドピアノに、様々な弦楽器、真鍮製の管楽器を演奏している。


 入口付近からステージの手前まで、沢山のテーブルが置かれ、観客たちは飲み物を片手に、テーブルを囲んでいる。各々のテーブルの傍らには、黒ベストと白シャツの従業員が控えている―――テーブルの上に積み上げられた大量のチップに、ヴァレルは気がついた。


 ヘルガは演奏に聞き惚れている。ヴァレルは、からかうような笑みを浮かべた。そして、ヘルガの肩を叩いて、耳元に囁く。


「ヘルガ―――面白そうなことが始まるぜ」


 ほんの数分で、ヴァレルの予告は実現した。


 不意に、オーケストラの演奏が小さくなる。これを見計らったかのように、白いジャケットを着た女が、ステージに上がった。肩で切り揃えた艶やかな黒髪。微かに青みを帯びた黒い瞳と、色白の肌。切れ長の目といい、小ぶりの唇といい、東方系美女という言葉が、ぴったりとくる。


「―――これより、第四試合のビットを開始します」


 女の声は、不自然なほど大きく、フロア中に響き渡った。その声に反応するように、オーケストラの後方の白い壁面に、巨大な絵が浮かび上がる。描かれていたのは、鎧を纏う五人の戦士が、薄暗い迷宮の中で、異形の怪物と戦うシーンだった―――全身を金属質の鱗に覆われた人型の怪物は、鉤爪のある蝙蝠のような翼と、山羊のような二本の角を生やしている。


「―――知覚系技術に、幻影系技術?」


 ヘルガが思わず叫ぶと、ヴァレルが口に指を当てて止めた。


 女の言葉に従って、客たちが一斉に、テーブルのチップを動かす。ヴァレルは、一番近くのテーブルに刻まれた文字と模様を観察した。バカラテーブルのように、盤上には幾つもの枠が描かれており、それぞれの枠の中に、一から五まで数字と、『LOST』という文字が書かれている。客たちは積み上げたチップを、思い思いの枠の中に移動させた。


 客たちのチップを動かす手が止まるのを見計らい、ステージの男は再び告げる。


「それでは、ビットを締め切らせて頂きます―――皆様、ゲームをお楽しみください」


 女がステージを降りると、オーケストラの演奏は、再び大きくなった。曲調も、絵にイメージを重ねたのか、これまでの軽快なものから、荘厳で激しい感じに変わる―――絵が動き出したのは、このときだった。

 壁面の戦士たちは、怪物を取り囲むように展開する。剣が三人、戦斧と戦槌が一人ずつ。それぞれの武器と鎧は、淡い光を帯びている。


簡易付与イージー・コンフォートか―――無いよりはマシというレベルだな」


 ヴァレルは、吐き捨てるように言った。ヴァレルの剣のような中枢結晶体を埋め込んだ特殊装備とは違い、普通の剣に一時的にマナを付与する技術だ。使い手の技量により継続時間は異なるが、少なくとも数時間は武器の威力が増す。


 普通の人間に対して使うのであれば、簡易付与でも十分だが、相手が怪物とあっては話が違った。それでも、多少なりともダメージを与えられる代物ではあるが―――。


「戦力になるのは、二人だけだな―――戦斧の奴と、一番左の剣の奴。他の連中は、動きが鈍過ぎて、相手に当たらないぜ」


 ヴァレルの読みは正しかった。宙を舞う怪物が、両腕の爪と尾を数回振り回す間に、兵士たちは相手に一撃を加えることもなく、二人になる。


「幻影系技術? それとも、知覚系技術―――あの人たちは、本当に戦ってるの?」


 ヘルガは驚愕を隠せずに、映像を見つめた。


「賭けの対象なんだからさ、幻影ってことはないだろうな」


 ヴァレルが平然と応える。ヘルガは自分だけ驚いていることが腹立たしく、ヴァレルを睨みつけた。


「どこかで実際に戦っている様子を、ここに投影しているっていうこと?」


 何を今さらと、ヴァレルは苦笑する。


「ここはマナ・テクノロジーの本場なんだぜ。そんなに驚くことでも、ないだろ?」


「そんな―――」


 ヴァレルの服を掴んで、詰め寄る。ヘルガが驚いている理由は、クランベルクの技術力ではなかった。


「じゃあ……あの人たちは、本当に殺されて―――ここの人たちは、人の生死に一喜一憂しながら、賭けをしているっていうの?」


「そうかも知れないが―――想像だけで結論を出すなんて、ヘルガらしくないぜ」


 ヴァレルは目を細めて、ヘルガを見据える。海のように深い青の目が、同じ色の瞳を、真っ直ぐな光で貫いた。


「奴らは床に転がっているが、鎧を着ているから生死までは判らない。それに、たとえ死んでいたとしても


―――初めから納得ずくでやったのなら、仕方がないだろ」


「ヴァレル……」


 不安そうな顔のヘルガを尻目に、ヴァレルは戦いの結末を見届けようと、視線を映像に移す。

残った二人の戦士は、息を荒く吐きながら善戦していた。怪物は片方の翼を失い、鱗の所々を切り裂かれて、大量の青い体液を流している。戦士たちも負傷していたが、動けないほどではなかった。


「結構、やるじゃないか。このまま気力が持てば、或いは―――」


 ヴァレルは言葉を途切らせて、映像に見入る―――何かに気づいたのか、表情が厳しくなった。


 異形の怪物が、咆哮を上げた―――壁面に映し出されているのは映像だけで、音までは聞こえないが、動きだけで判る。叫びとともに、怪物の筋肉が隆起し、身体が一回り大きくなった。全身から青白い燐光が、滲み出るように浮き上がる。


―――こっちが、本当の力か。


 加速した怪物は、戦斧の戦士との距離を一瞬で詰めると、右腕を素早く一閃した。鋭い爪は戦士の腕ごと横腹に突き刺さり、不自然な角度に捻じ曲げる。


 戦斧の戦士を吹き飛ばした怪物は、すぐさま最後の戦士に向き直った。もう一度咆哮を上げると、地面を蹴って飛び上がる。空中に舞う怪物の口が裂けて、黄色い無数の牙の間から、青い体液が滴るのが見えた。


 怪物は戦士の首を噛み切ろうと、馬乗りに飛び掛かろうとする―――この瞬間、不意に映像が掻き消えた。


 真っ白になった壁面。オーケストラの演奏も、ほとんど同時に止んでいた。観客たちは呆然と壁を見つめて、騒めき出す。


「お客様方に、状況をご説明致します」


 大きな声とともに、白いジャケットの女が、再びステージに上がった。


「本日の第四試合は、当方の規定により無効試合となりました。お客様には、掛け金の全額を払い戻し致します」


 騒めきが、怒りと抗議に変わる前に、女は毅然とした声で続ける。


「先ほど、武装集団が本館に進入しました―――現時刻より、『不死者の宴』は警戒態勢に入ります」


 観客たちの声に、恐怖が混じる。女は慣れた様子で、落ち着き払った声を発した。


「しかし、ご安心ください。このフロアに留まっておられる限り、お客様の安全は、我々が保障します」


 言葉の直後に、マスケット銃を手にした黒服の集団が現れて、フロアの入口を塞ぐ。女は、ステージから飛び降りると、客たちの間を一気に駆け抜けて、黒服たちの最後尾に立った。女が振り向いて、宙を撫でるように右腕を動かすと、滑らかな黒い鞘の剣が忽然と現れて、女の手に収まる―――この瞬間、彼女が放つ雰囲気が一変した。


「クランベルク近衛軍第二師団少佐、アスカ・アララギ―――この私がいる限り、賊など何人いようとも、一刀両断にして御覧にいれる」


 凛として通る声に、観客たちが聞き入る。彼らを素直に従わせるには、これで十分だった。実に鮮やかな扇動だと、ヴァレルは皮肉な笑みを浮かべる。


「―――ヴァレル。まさか、あの女の人にも喧嘩を売るつもり?」


 ヘルガは服を掴んで、止めようとする。

ヴァレルは、傷ついたという顔をした。


「あのなあ―――オレだって、今の状況くらい、理解してるぜ」


「―――本当に?」


 まだ疑わしげに見つめるヘルガの肩を、安心させるように軽く叩く。


「オレの目的は、自分よりも強い奴と戦うことで、そいつに勝てる方法を見つけることだ―――今、あの女に仕掛けたところで、まともな勝負をしてくれるとは思ってないぜ」


「―――信じるからね」


 ヘルガはヴァレルの目を見つめながら、服から手を放す。

その瞬間、ヴァレルは走り出した。


「ヴァレル! あんた―――」


「嘘じゃない! 約束は守るよ」


 突然、観客の中から飛び出したヴァレルに、白いジャケットの女―――アスカは、即座に反応した。鞘に入れたままの剣を構えて、切っ先をヴァレルに向ける。しかし、ヴァレルはアスカの方にではなく、入口の一番左を固める黒服を目掛けて走った。


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