30 オルテガ・ヴェルマイヤ
黒服がヴァレルに気づいて振り向き、反射的にマスケットを構える。
「―――殺すな!」
「悪い、そこを退いてくれ!」
ヴァレルは叫びながら黒服に突進した。銃口と衝突する直前、地面を蹴って大きくジャンプすると、黒服を飛び越えて扉の外に着地する。
呆然とする黒服。ヴァレルは間髪入れずに、正面玄関を目指して、廊下を走っていく。
「―――あの馬鹿!」
アスカは吐き捨てると、空中に小さく印を結んだ。
「オルテガ中佐―――暴走した一般客が一人、そちらに向いました。処分の仕方は、お任せします」
言い終えてから、観客たちに向き直る。青みがかった黒の瞳から、隠しきれない怒りが滲み出ていた。
「客人の安全を保障するのは、このフロアにいる限りだ。それを、お忘れなきように―――」
ヴァレルを追い掛けたいと、ヘルガは強く思う。しかし、それができる雰囲気とは、とても思えなかった。
※ ※ ※ ※
五分ほど、時間を遡る―――。
時刻は午後十時になろうとしており、『不死者の宴』を訪れる客の数は、ようやく減り始めていた。
正面玄関まで続く馬車の列は、数台を残すばかりで、このあとは疎らに到着する馬車の相手をすれば良い。徒歩の客は、今も絶え間なく出入りしていたが、行列ができるほどではない。黒服たちは一息つき、安堵の声を漏らしていた。
正面玄関の前に、闇の中から三台の大型馬車が忽然と姿をあらわしたのは、まさに、このときだった―――馬車を引くのは車輪馬ではなく、青白い炎を纏う闇色の馬だった。
「―――止めろ!」
何もないはずの空間から出現した馬車は、最高速に達したまま、乗客を降ろしたばかりの別の馬車を退けて正面玄関に突入した。闇色の馬に触れた瞬間、馬車の車体が青い炎に包まれて燃え上がる。
黒服二人が入口を塞いで静止しようとしたが、その前に鋼の車体に跳ね飛ばされた。先行する一台に続いて、残り二台の馬車も、一気に玄関を突破する。
跳ね飛ばされた黒服も、全身を青い炎に包まれた。仲間たちが必死になって火を消そうとする傍らで、黒服の一人が、ポケットから一枚のコインを取り出して、口元に当てる。
「侵入者です! 召喚系異体と馬車が三台、正面玄関を突破されました」
「呆気ないわねえ―――こんなことじゃ、ルシアーノの奴は、自分が臆病者だって認めないといけないわ」
先頭を走る馬車の中で、キサラは血に飢えた笑みを浮かべた。唇をぐるりと舐めてから、抜き身の剣に舌を這わせる。
「さあ、皆殺しの時間は、もうすぐだ―――ああ、血がたぎって、たまらないよ!」
「貴様の剣の腕は認めてやるが―――聖騎士としては品がなさ過ぎるな」
反対側の席に座る男が、舌打ちした。禿げ上がった頭頂部から顔に掛けて、とぐろを巻く蛇の刺青が覆っている。細長い三白眼は、薬物中毒者のように血走っていた。
「下品な刺青男が、よく言うじゃないか、ジャレット―――せいぜい、足手纏いにならないように、しておくれよ」
馬車の窓から、キサラは外の様子を眺める。馬車が走る通路の左右には、フロアで賭けを楽しんでいた客たちの姿が見えた。キサラたちの侵入は、即座に伝わったようで、フロアへ続く通路から、銃を手にした黒服の警備兵が湧き出してくる。
「へえ。なかなか、良い反応速度じゃないか―――褒美に、殺してやりたいのは山々だけど。雑魚の相手をしている暇はないんだよ」
斜めの方向に放たれる一斉掃射―――警備兵たちは、同士討ちを避ける術を知っていた。
しかし、青い炎を放つ馬―――ナイトメアは銃弾などものともせずに滑走し、馬車も鋼板で鉛を弾き飛ばす。
黒服たちは入れ替わり、第二掃射をしようとしたが、それは叶わなかった。
武器を手にした観客たちが黒服に襲い掛かる―――客に紛れて潜伏していた教団の信徒たちだ。
「アハハハハハ! 間抜けなザマだね」
キサラが甲高い声で、高笑いを上げた。乱戦が廊下の所々で始まった。襲い掛かられる瞬間まで、客と信徒の区別がつく訳もなく、黒服たちは不利な戦いを強いられる。猜疑心と焦りに翻弄される様子が、キサラには滑稽に思えた。
不意に、キサラは前方を見据えた。窓ガラスに映る男の姿に、舌なめずりをする。
「男前が出てきたよ―――さあ、骨のあるところを見せておくれ!」
馬車の前方、五十メートルほどの位置に、その男は立ち塞がっていた。
短く刈り込んだ髪は濃茶色。太い眉の下の目は漆黒。筋骨隆々の堂々たる体躯は、身長二メートルを超える。襟の大きな白いシャツに、黒革のパンツ。裾の長いコートの背中には、身体に相応しいサイズの大剣を背負っていた。
ナイトメアは嘶くと、数秒で距離を詰める。
「うるせえな―――」
男はゆっくりとした動作で剣を抜き放った。自分の身長と等しい長さの大剣。右手で軽く構えた直後に、青い炎を放つ馬が眼前に迫る。
男が力みのない動作で剣を一閃すると、ナイトメアの身体は、縦に真っ二つになった。悪魔の馬が放つ断末魔の叫び。馬車は慣性の法則に従って男に激突する―――
男の剣は下から上に動きながら、膨大な量の光を放った。光の大木は、正面から飛び込んで来た馬車を串刺しにして、ひしゃげた鋼の塊が左右に吹き飛ぶ。
「やるわねえ―――危なくミンチになるところだったよ」
馬車が破壊される直前に、キサラとジャレットは左右に跳んでいた。抜き身の剣を手にした二人が、大剣の男に同時に襲い掛かる。
「―――残念だったね。その大剣じゃ、二人同時に防ぐのは無理でしょ!」
左から飛び込んできたジャレットを、男は袈裟懸けに切り倒す。
キサラは剣を戻す間を与えずに、燐光を帯びた一対の剣で襲い掛かった。ガラ空きの脇腹を、細身の剣が串刺しにする―――はずだった。
しかし、キサラの二本の剣は、忽然と出現したもう一本の大剣により、軽々と受け止められる。
「そんな細い剣が役に立つのか?」
続けざまに繰り出された左の一撃を、キサラは後ろに飛び退くことで避ける。大剣の切っ先は、正確に喉を狙っており、一瞬でも躊躇していたら、首が飛んでいた。女の白い肌を、冷たい汗が流れる。
「あんた―――『不落の城砦』オルテガ・ヴェルマイヤだね」
男―――オルテガは、つまらなそうな顔でキサラを見た。
「なんだ、知っていたのか―――だが、その呼び名は、木偶の棒と言われているみたいで、嫌いなんだよ」
大剣の中心部に埋め込まれた無色透明の中枢結晶体が、鈍い光を放つ。
「やらせないよ!」
キサラは全力で地面を蹴って、真横に飛んだ。オルテガは、巨体に似合わぬ俊敏さで反応して後を追うが、一瞬だけ遅かった。キサラとの間に割り込むようにして、二台目の馬車が飛び込んでくる。
「―――邪魔だ」
左の大剣が、爆発するような光を放つ。瞬時に大木と化した光の剣は、闇色の馬の半身を抉り取ると、ほとんど同時に、馬車の車体を粉砕した―――しかし、馬車は囮だった。
瓦礫と化した馬車の後方には、光を反射する無数の破片が浮遊していた。
「氷雪の王ユーグリウドの名において、汝に裁きの刃を与えん」
破片の中央には立つのは、天鵞絨のローブを纏う男だ。背中まで伸ばした長髪に、頬の焦げた青白い顔。水色の目は、冷徹な光を浮かべる。
「血に塗れて堕ちるが良い、冒涜の剣士よ!」
言葉とともに、数百の氷の刃が一斉に加速し、オルテガへ襲い掛かった。隙間なく飛来する氷から、身をかわす場所などない。破砕音とともに、大量の刃がオルテガに命中する―――しかし、一本たりとも皮膚を貫くことすらできずに、粉々に砕け散った。
「そんなことが―――」
驚愕したローブの男は、目を見開いて立ち尽くす。オルテガは、何事もなかったかのように、服についた氷の屑を払った。
「―――古典的な『魔術』にしては、結構、痛かったよ」
漆黒の双眼が、正面からローブの男を見据える。感情を表に出さない、寡黙な男オルテガは、二本の大剣にマナを込めて、光の大木を再び出現させた。
「礼をするから、受け取ってくれ」
間髪入れずに、オルテガは、男に向かって突進する。




