22 双子の妹ヘルガの苦悩
特級宿屋『銀月館』は、館と呼ぶよりも、古城という表現が似合う外観をしていた。
敷地へと続く御影石のアーチを通り抜けると、手入れの行き届いた薔薇の庭園の中心に、四階建ての本館が聳えている。塔を模した円柱が、建物の外周外壁に沿って等間隔に並び、円柱の間を繋ぐ白石の外壁には、精巧な彫刻が施されていた。建物の周囲にあるのは、薔薇の他は、控えめな数の灯輝柱だけだった。
女主人に案内されて、二人は庭園を歩き、本館に向かった。メイド服の従業員に荷物を預けて、借りてきた猫のように後をついていく。
「おい、ヘルガ。見てみろよ、メチャメチャ綺麗だな」
ヴァレルが心にもない賛辞を大声で言った。
「そうね……」
ヘルガは下を向いたまま、 気のない返事を返す。
受付を済ませてから、二人のために用意された部屋に通されるまで、二人は無言だった。
彼らに宛がわれた部屋は、一階が二十帖ほどの居間があり、室内の階段を昇って二階に二つのベッドルームがあるメゾネットタイプだった。
荷物を運んできた従業員の一人が、居間のテーブルで、二人のために紅茶を入れる。
「ありがとう……」
ヘルガは儀礼的に礼を言いながら、何気なく従業員の姿に目を止めた。
同年代だろうか? 小麦色の肌と、ピンクの唇が、印象的な少女だ。顔に掛かるソフトドレッドの髪を、金のバレッタで後ろに束ねている。同性のヘルガから見ても可愛いいコだと思うが、目を止めた理由は別にあった。
「あなた、館主のブラウズさんに良く似てるけど―――親戚の方なの?」
「ええ、娘です」
「嘘!」
ヘルガは目を丸くして、思わず声を上げた。
「あの人、あなたみたいな娘がいる年齢だなんて、全然見えないわ。それに、とっても綺麗だったし……」
少女はニッコリと笑って応じる。
「実際の年齢も、私の親としてはギリギリですけどね。でも、若いって言われると喜ぶから、お客さんが驚いていたって、母には伝えておきますね」
ヘルガは笑みを返すが、少し疲れた感じだった。少女は目聡く気づいたようで、考え込むような仕草をする。
「―――お客さん。余計なお世話かも知れないですけど……」
少女の藍色の瞳が、真っ直ぐな眼差しを向ける。
「そんなに落ち込むこと、ないですよ。痴話喧嘩を聞くなんて、私たちにとっては、日常茶飯事なんです。むしろ、あれだけハッキリと愛情表現ができるなんて、私は尊敬します」
キッパリと言い切った台詞。ヘルガは顔をひきつらせた。
「愛情表現って……あなた、誤解してない? 宿泊者名簿にも書いたけど、私たちは兄妹なのよ」
「え? ホントに兄妹なんですか?」
少女は意外そうな顔をする。
「私はてっきり、兄弟のフリをした密会だと思ってましたよ」
「全然違うわよ! それは、小さい頃みたいに、ソックリって訳じゃないけど―――」
ヘルガは、黙って紅茶を飲んでいるヴァレルの隣に立って、同じポーズを取る。
「ほーら。良く似てるでしょ? 髪の色も、目の色も、同じじゃない」
少女は「うーん」と唸って、即座に応じた。
「似てないとは、言いませんけど―――髪は染められますし。目の色だって、お客さんたちみたいな青は、珍しいって訳でもないですからねえ」
ヘルガは困り果てて、ヴァレルの方を睨んだ。
「―――ヴァレル。あんたも黙ってないで、何か言いなさいよ!」
「あのなあ。そんなにムキになるから、疑われるんじゃないのか?」
ヴァレルは意地悪く笑う。
「それにさ。何と思われたって、実害がある訳じゃないし。構わないだろ?」
「それは、そうだけどさ……」
ヘルガは納得できずに頬を膨らませた。
―――この様子なら、問題ないんじゃないか?
ヴァレルは息を撫で下ろす。今のヘルガは、無理をして、はしゃいでいる訳ではない。ようやく、普段のヘルガに戻ったようだ。ヴァレルは、何気ない会話の相手をする少女に、本心では感謝していた。
「まあ、そういう訳で。うちの妹は、あんたと、意見の違いを解消したいみたいだぜ」
ヴァレルはニヤリと笑うと、紅茶のカップを置いて立ち上がった。それから、少女の方に近づいて、右手を差し出す。
「宿泊名簿に書いたから、知っていると思うけど。オレは、ヴァレル・マグナス。しばらく、ここで世話になると思うから、よろしく頼むぜ」
自然な感じで握手をした。ヴァレルの青い目を、少女はじっと見つめ返す。
「あー! 一人で抜け駆けしないでよ!」
ヘルガも慌てて立ち上がると、二人が握手する手に、自分の両手を重ねる。
「私は、ヘルガ・マグナス。よろしくね!」
子供のような心からの笑顔。少女も笑みを返す。
「レベッカ・フラウズです―――こちらこそ、よろしくお願いします」
これが、彼女が二人に使った最後の敬語だった。
「敬語なんて、使わなくて良いからさ―――」
ヴァレルの何気ない一言から、少女たちのおしゃべりは加速した。
「―――だからね、ヘルガちゃん。可愛いアクセサリーが欲しいなら、『黄金の砂時計』っていうお店が、絶対おススメよ。トリプルハートのイアリングなんて、もう、すっごいキュートなんだから!」
「ホントに? だったら、早速、明日にでも行ってみるわ―――」
最初の方のやり取りで、レベッカが一つ年下の十六歳だと判る。
「へえ。私の方が、お姉さんなんだ。レベッカって大人っぽいから、年上かもって、思ってたよ」
「本当? ちょっと嬉しいかも―――ねえ、ヴァレル君。やっぱり、ヘルガちゃんの方が、大人っぽく見える?」
「さあ、ね……」
「ヴァレル、真面目に応えなさいよ!」
敬語は不要だと言ったのは、確かにヴァレルだ。堅苦しいのは嫌いだったし、会話が弾むのであれば、それで構わないのだ。しかし、甲高い歓声を交えて延々と続く女同士の会話に、自分まで付き合う気はなかった。
「そういうのさ。身内のオレに聞いても、意味がないだろ―――」
ヴァレルは立ち上がって、自分のベッドルームに続く階段に向かう。
「あ、ヴァレルが逃げた!」
「オレのことは良いからさ、二人で楽しんでくれよ」
背中を向けて手を振ると、ヴァレルは階段を上がっていった。
ベッドルームに戻ると、荷物を解いて整理をする。それが終わると、部屋の奥にあるバスルームに行って、熱いシャワーを浴びた。男の支度だから、たいした時間は掛からなかったが、ベッドルームに戻ったとき、階下の会話はまだ続いていた。
ヴァレルは階段を降りながら、呆れた顔で声を掛ける。
「あのさあ、レベッカ。おまえ、いつまでも仕事サボってて、問題ないの?」
しかし、当の本人は、全く気にしていなかった。
「大丈夫だよ。あとで怒られるだけだから。それより、ヘルガちゃん―――」
レベッカは何気なくヴァレルの方を向いて―――視線を釘付けにする。ヴァレルは上半身裸のまま、タオルで頭を拭いていた。
無駄な肉を削ぎ落としたアスリートのような身体。しかし、それ以上に目を引きつけたのは、無数に刻まれた傷跡だった。切り傷や痣など、まだ新しいものも幾つかあった。
―――ヴァレル君って、何者?
ヘルガが状況に気づいて文句を言う。
「ヴァレル! 女の子の前で、なんて格好してるのよ」
ヴァレルには、ヘルガの意図が判らなかった。
「別に、いつも通りだろ。あ、なんか飲み物ない?」
「だから、さっさと服を着ろって、言ってんのよ!」
ヘルガは怒った顔で、テーブルの上から水の入った瓶を差し出す。
ヴァレルが瓶の中身を飲み干す間も、レベッカは視線を外すことができなかった。
「え……」
ヴァレルと視線が合って、レベッカは頬を赤く染める。
「ご、ごめんね、ヴァレル君……」
何か言わなくてはと、混乱したまま言葉を発した。
「……えーと……結構、良い身体してるよね」
一瞬の空白の後。レベッカは自分の台詞の恥ずかしさに、顔を真っ赤にする。
「まあな―――」
ヴァレルは気にする様子もなく、顔の赤いレベッカに首をかしげる。
「その辺の奴とは、鍛え方が違うから。当たり前だろ」




