23 レベッカはヘルガの敵?
「その辺の奴とは、鍛え方が違うから。当たり前だろ」
ヘルガが呆れた顔で応酬した。
「何よ、偉そうに! そういうことは、お父様みたいに、もっと筋肉をつけてから言いなさいよ」
「おまえなあ―――筋肉をつける苦労ってのが、判ってないだろ。いくら肉を食ったって、簡単に腕が太くなる訳じゃないんだぜ」
話の方向が反れたので、レベッカはホッとする。今のうちに、別の話題を振らないと。
「―――ねえ、ヴァレル君。やっぱり、あなたたちも、これからカジノのパーティーに行くの?」
この瞬間、ヘルガは動きをピタリと止めた。レベッカの顔をまじまじと見る。
「―――ねえ。今、何時?」
ヴァレルが溜息をついて、窓の方に歩いていった。
「さっき見つけたんだけどさ。窓の外に、時計塔が見えるぜ」
「早く言ってよ!」
ヴァレルを押しのけるようにして、ヘルガは窓の外を見る。時計塔の針は、ちょうど午後九時になるところだった。
「―――最悪だわ! 急いで着替えないと!」
ヘルガは慌てて、階段の方に駆けていく。
「レベッカ、ごめん。話の続きは、また今度ね!」
ヴァレルは相変わらず、マイペースで応じた。
「もう時間が無いんだろ。着替えなんて、どうでも良いんじゃねえの?」
「ダメよ、ドレスコードがあるの!」
バタンと音を立てて、ヘルガの寝室の扉が閉じられる。
しかし、会話はそこで終わらなかった。扉越しに、ヘルガの大声が聞こえる。
「―――あんたこそ、もっとマシな服に替えなさいよ―――ヴァレル! 三十分で出発するから! あんたも着替えたら、すぐに馬車を呼んでおいて!」
ヴァレルとレベッカは見合わせると、どちらからともなく笑みを浮かべた。
「ヘルガちゃんって。ヴァレル君には、ホント、押しが強いのね」
「ああ。オレの方が兄貴だなんて、絶対思ってないぜ」
もう一度、今度は声を出して笑う。
「―――でも。ヴァレル君は、急がなくて良いの?」
「別に、良いんだよ。オレは、パーティーそのものには、興味がないからな」
クランベルクでも指折りの高級カジノ『不死者の宴』では、国外からの賓客をもてなすために、定期的にイベントが開催される。白鳥号によって貴族たちが到着した今夜は、彼ら賓客のために、盛大なパーティー
が行われる―――ヴァレルは、パーティーの参加者の方に用があった。
しかし、ヘルガの目的は違う。クランベルクのカジノの豪華さは、平均的な国家の王宮すら凌ぐと言われており、到着した夜に行われるイベントを、心底楽しみにしていた。
―――あのヘルガが、予定を忘れるなんてな。今日は、色々あったってことか。
思考に沈むヴァレルを、レベッカはじっと見つめていた。
ヴァレルが視線に気づいて、顔を上げる。
「―――どうかしたか?」
「ヴァ、ヴァレル君ってさ……ううん。何でもない。それより―――傷のこと、聞いても良い?」
「ああ、やっぱり気になるか?」
この手の質問に、ヴァレルは慣れていた。
「うちは軍閥なんだ。だから、オレも子供の頃から剣術を習わされてさ。しかも、木剣が許されたのは最初
のうちだけで、五歳から真剣を使っていたから、怪我なんて日常茶飯事だったよ」
「すごい親御さんだね―――」
レベッカは驚きの声を上げながら、もっと話を聞きたいと思う。
「―――今でも、剣の勉強をしてるんだよね。お腹の大きな痣は、最近のものでしょ?」
「へえ。結構良く見てるんだな」
ヴァレルは素直に感心した。
「勉強ってのとは、ちょっと違うが―――まあ、似たようなものだな。オレは滅茶苦茶弱いからさ、必死になって毎回作戦を練るけど。これまでの戦果は、連戦連敗ってところだ」
負けた話をしているのに、ヴァレルの表情は、何故か自信たっぷりだ。未来の希望を信じる少年の顔とい
う感じだろうか―――。
ヴァレルと目が合って初めて、レベッカは、自分が見惚れていたことに気づく。
「―――ああ、思い出したわ!」
レベッカは誤魔化すように視線を反らした。
「カ、カジノに行く馬車のことなら、私に任せてよ。『銀月館』の名前を出せば、五分以内に飛んで来るわ」
「そうか、ありがとう。助かるよ」
感謝の言葉に、レベッカは照れたような笑みを浮かべる。
「―――それとね、カジノのドレスコードのことだけど。ヘルガちゃんが言った通り、正装じゃないと、本当に中に入れてくれないから」
「そうなのか―――判った。仕方ないから、オレも着替えるか」
ヴァレルは、面倒臭そうに頭を掻く。
「うん。その方が、良いと思うよ。じゃあ、私はこれで―――」
「あ、ちょっと待ってくれ」
呼び止められて、レベッカが振り向く。
何かを期待する視線が、ヴァレルをじっと見つめた。しかし、当のヴァレルは、視線の意味に全く気づいていない。
「これ、なんだけどさ」
ベルトの後ろから、布で包まれた短い棒状のものを取り出す。
布を開くと、中身は短剣だった。銀の柄の中心部に、赤い中枢結晶体。白鳥号で磁気嵐にあったときに、鞘を無くした短剣だ。
「……すごく綺麗ね」
短剣には、装飾品と見紛うくらい見事な彫刻が施されていた。成金趣味とはセンスが違う。レベッカは思わず見惚れるが、ヴァレルは無関心だった。
「この短剣の鞘が欲しいんだけど、良い店を知らないか?」
期待が外れて、レベッカは少し拗ねた口調になる。
「なーんだ、そんなこと? 良いわよ。私のを貸してあげる」
心の底では、自分の鼓動がヴァレルに聞こえてしまわないかと、心配していた。
「鞘のお店は詳しくないけど。明日までに調べておくから、今度ゆっくり探せば良いわ。それで、良いわよね?」
「ああ、オレは構わないけど―――本当に借りて良いのか?」
「うん。可哀想だから、特別に貸してあげよう!」
「おまえ、なあ……」
『おまえ』と呼ばれて、ヴァレルと距離が近づいた気がする。レベッカは嬉しくなった。
「それじゃ、馬車が来たら呼ぶから。鞘もそのときに渡すわね」
ヴァレルに背を向けて部屋を出て行こうとするが、途中でレベッカは、思い立ったように足を止める。
「ねえ、ヴァレル君……」
「何だよ?」
ヴァレルは着替えるために、部屋に戻ろうとしていた。海のように深い青い目が、真っ直ぐに向けられる。
レベッカは躊躇いながら、それでも頑張って言葉にした。
「……あのさ……ヘルガちゃんと……ホントに兄妹なんだよね?」
ヴァレルは不思議そうな顔をする。
「ああ、そうだよ。さっきから、何度も言ってるだろ?」
―――うん! 嘘を言っている顔じゃないわ。
レベッカは確認するなり、満面の笑みを浮かべた。
「だよね! 銀月舘のみんなにも、そう言っておくわ」
「そうか。ヘルガも喜ぶと思うぜ―――」
ヴァレルは、いま一つ合点が行かない様子だった。しかし、レベッカが手を振って、上機嫌で出て行ったので、それ以上は気に留めなかった。




