第二十四回 ペヤング先生
ペヤング先生というのは、国語の宇田川先生のことである。昼も夜も、職員室でペヤングばかり食べているので、生徒からそう呼ばれている。古代の文字に詳しく、甲骨文字や楔形文字の話を始めると、授業が一時間まるまる潰れることで有名であった。
「失礼します」
職員室の奥の席で、先生はやはりペヤングをすすっていた。湯切りしたばかりなのか、ソースの匂いが辺りに漂っている。
「おう、霧谷か。それに青海と、武彦。珍しい組み合わせだな」
「先生、これを見てほしいんです」
沙耶香が、ハンカチに包んだワカメを机の上に広げた。先生は箸を止めた。
「……ワカメだな」
「模様を見てください」
先生は眼鏡を額に押し上げ、顔をワカメに近づけた。ペヤングの湯気とワカメの磯の匂いが混ざって、なんとも言えない匂いになった。
「ほう。縦糸と横糸か。いや、待て。これは線の太さが一定じゃない。強弱がある。文字だな、これは」
「読めますか」
「読めん」
先生はきっぱりと言った。
「楔形でも、甲骨でも、線文字Bでもない。ただ、構造はわかる。これは目で読む文字じゃない。声に出して読むための文字だ。ほら、ここの繰り返し。息継ぎの位置だよ、これは」
私と沙耶香は、顔を見合わせた。読み手。果ての壁の前に立って、声に出して読み上げる人。
「霧谷君」
沙耶香が小声で言った。私は、ワカメの前に立った。不思議と、職員室のざわめきが遠くなっていった。コピー機の音も、電話の音も、湖の水面のように静まっていく。口が、勝手に動いた。
「……いとを、きるな」
自分の声ではないようであった。
「おまえの、おりものは、まだ、とちゅうだ」
沙耶香が、息をのむ音がした。その時、からん、と音がした。ペヤング先生が、箸を床に落としたのだった。先生は青ざめた顔で、私を見ていた。
「霧谷。今の読み方、どこで習った」
「え」
「その節回しを、私は前に一度だけ聞いたことがある」
先生の手元で、食べかけのペヤングが、ゆっくりと冷めていった。




