第十五回 注文
メニューは手書きで、紙は少し黄ばんでいた。コーヒーの種類がやたらと多く、私には違いがさっぱりわからない。ブレンド、マンデリン、モカ、キリマンジャロ。読んでいるうちに、どれも同じ茶色い液体に思えてくるのであった。
「決まった?」
「うーん。じゃあ、ブレンドで」
「無難だね」
「無難が一番なんだよ。冒険は危険だ」
「カフカ好きの人の発言とは思えない」
沙耶香はくすっと笑って、マスターの方に軽く手を挙げた。マスターがゆっくりとやってくる。
「ブレンドをひとつと、それから、紅茶を」
「いつもの、ですね」
マスターが低い声で言った。やはり常連なのだ。沙耶香は頷いて、それから少しだけ声をひそめた。
「カップは、あの青いのでお願いします」
「承知しました」
マスターは何も聞き返さずに戻っていった。
「青いカップ?」
「うん。あれじゃないと、ちょっとね」
「こだわるなあ」
「こだわるんだよ、私は」
しばらくして運ばれてきたのは、私の前には白い厚手のカップ、沙耶香の前には、深い青に金の縁取りが施された、薄い磁器のカップであった。頭上の織物と、同じ色をしている。
沙耶香はすぐには口をつけなかった。まずカップを両手で包むように持ち上げ、香りを確かめる。それから、ソーサーの位置をほんの少しずらして、取っ手を自分の左側に向け直した。背筋がすっと伸びて、さっきまでチョップをかましてきた女の子とは、まるで別人のように見えたのであった。
「なんか、所作がきれいだね」
「そう?」
「うん。お嬢様みたい」
「お嬢様、かあ」
沙耶香は紅茶を一口含んで、ふふっと笑った。
「惜しいね」
「惜しいって、何が」
「お嬢様よりは、もうちょっと上かな」
「社長令嬢とか?」
「もっと上」
「……総理大臣の娘?」
「もっともっと上」
私はブレンドをすすりながら、首をひねった。苦い。思ったより苦い。
「降参。わからない」
「霧谷君」
沙耶香はカップをそっとソーサーに戻した。陶器の触れ合う、小さく澄んだ音がした。
「さっき、終わらない物語の話をしたでしょ」
「うん」
「輪廻転生とか、物語は終わらないとか」
「言ったね」
「じゃあ、笑わないで聞いてくれる?」
彼女の目は、もう笑っていなかった。林の中で狛犬を撫でていた時と、同じ目をしていた。
「笑わないよ」
「本当に?」
「本当に」
沙耶香は一度だけ、頭上の織物を見上げた。それから、まっすぐに私を見た。
「私ね、昔、お姫様だったの」
私はそのとんでも発言を聞いてどう答えて良いかわからなかった。というよりもそこに正解はなかったであろう。




