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ヴァルハイト侯爵家の恋模様  作者: AI咲紗


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9/20

三女 シルヴィア 3

「……王妃様から、先ほど正式なお達しがあった」


執務室の机に向かっていたクレマンが、羽ペンを置いて静かに顔を上げた。


翌日の午後。


昨夜の事件処理を概ね終え、いつものように淡々と書類を並べていたシルヴィアは、クレマンの言葉にそっと手を止めた。


「お達し、でございますか? 昨夜の不審者捕縛に関する労いでしょうか」


「それもあるが……主な内容は君についてだ」


クレマンは灰色の瞳をまっすぐにシルヴィアへ向けた。


「昨夜の件で、王妃様は大変ご立腹だった。『私の優秀でお気に入りの侍女を、勝手に自分の補佐役に引っ張り出して使い込むとは何事か』とな」


「っ……! お、王妃様が……!?」


シルヴィアは思わず姿勢を正し、目を見開いた。


王妃はシルヴィアの主であり、同時に幼い頃から彼女の洗練された立ち回りや先回りの鋭さを深く愛し、誰よりも高く買っていた人物だ。クレマンが昨夜、捕縛した工作員たちの前で「私の有能な補佐官だ」と言い放った報告が、早速王妃の耳に届いたのだろう。


クレマンは一枚の羊皮紙を滑らせるように机の端へ置いた。


「王妃様は、君を他人に譲る気など毛頭ないらしい。私の独断での重用を横暴だとお叱りになり、本日、君を直接お呼びになってこう仰られたそうだ」


クレマンは記憶を辿るように、静かに言葉を紡ぐ。


『シルヴィア。あなたがいつも通り完璧に、何ひとつ隙を見せずに立ち回っていたものだから……まさか裏で宮廷伯の仕事まで手伝わされていたなんて、私としたことが全く気づいてあげられなかったわ。ごめんなさいね』


「王妃様が……私に、謝罪を……?」


思いもよらない言葉に、シルヴィアの胸がギュッと締め付けられた。


『あなたはただでさえ、他のどの侍女よりも努力し、倍以上の仕事量を完璧にこなしているというのに。宮廷伯には専属の補佐官たちがいるでしょうに、これ以上あの男の都合であなたを使い潰させるわけにはいきません』


王妃の怒りは、クレマンへの不満だけではなかったのだ。


あまりに完璧に日々をこなすシルヴィアのプロ意識に甘え、その裏にあった過酷な負担に気づけなかった自責と、心からの労いの裏返しだったのだ。


「……王妃様のご指摘通り、我が省には常任の補佐官たちが控えている。たまたま君の手元に完璧な過去データが揃っており、その分析能力の高さから『今回の特案のみ』と任せたつもりだったが……君の負担を考えれば、ここからは本職の補佐官たちに引き継がせるのが筋だろう」


クレマンは淡々と言い切り、手元の書類に視線を落とした。


その無感情な横顔を見た瞬間、シルヴィアの胸の奥で、カッと激しい火花が散った。


王妃の温かい労いは痛いほど胸に染みた。


けれど——それ以上に、この男に自分の能力を認められ、彼と対等に肩を並べて複雑な業務を片付けていくあの時間に、どれほどの充足感を覚えていたか。


自分の美貌ではなく、積み重ねた努力と仕事の精度だけをまっすぐに見つめてくれた、あの場所。


それを、「専属の補佐官がいるから」とあっさり手放されてたまるものか。


「……お言葉ですが、宮廷伯様」


シルヴィアは静かに、けれど強い踏み込みでデスクの前へと歩み寄った。


「王妃様がお気遣いくださったのは、私が『無理をさせられている』とお思いだからですわ。私自身が望んでお手伝いすることまで、拒む理由にはなりません」


「シルヴィア。君の睡眠時間と侍女としての本業を圧迫してまで、私の執務を手伝う義務はない。専任の補佐官たちで回せる仕事だ」


「義務で行っていたとでもお思いですか!? それに、あの補佐官の方々は優秀な方ばかりですが、この領域のデータが頭には入っていない為に照会に私の倍の時間をかけていらっしゃいますわ!」


パン、と芯のある音が室内に響いた。


シルヴィアが自らデスクに手を押し当て、クレマンを見下ろしている。


白銀の髪が揺れ、宝石のような青い瞳が、怒りと意地で爛々と輝いていた。


「私はヴァルハイト侯爵家の三女です。王妃様のお世話も完璧にこなし、その上で貴方の求める『過酷な基準』の上を行ってみせると決めたのです。それを……勝手に身を引いて私の努力を不問に付すなど、不躾にもほどがありますわ!」


クレマンは羽ペンを握ったまま、まっすぐに自分を見下ろす美女を、じっと見つめ返した。


一秒、二秒。静寂が室内を支配する。


やがて、クレマンの薄い唇が、ほんの僅かに——昨日よりも確かに、柔らかい弧を描いた。


「……補佐官たちの処理速度まで把握して見下すか。やはり君は、手に負えないほど苛烈な『協力者』だな」


「な……っ!見下してはおりません。ただ今回のデータがあの方達の頭の中には入っていないのです。いちいち照らし合わせていたのでは時間が足りないのです。そもそも 誰のせいでこうなっていると思っているのですか!」


顔を真っ赤にして叫ぶシルヴィアに、クレマンは机の引き出しから、厳重に鍵のかかった新しいファイルを一冊取り出した。


「ならば、条件だ。今後は毎晩の作業時間を厳密に二時間と区切る。王妃様にご安心いただくためにも、それ以上の超過は認めん。……受け入れられるか?」


「……フン。二時間あれば、貴方の補佐官たちの倍の速さで精度の高い資料にして差し上げますわ」


シルヴィアは胸を張り、完璧な美貌に尊大な笑みを浮かべた。


クレマンは呆れたように小さく息を吐くと、ファイルを開いて彼女に差し出した。


「頼む、シルヴィア。この案件に関しては、君以上に頼りになる者はいない」


不意に投げかけられた、絶対の信頼を含んだ静かな声。


「〜〜〜〜っ、当然ですわ! 覚覚悟なさっていなさい、宮廷伯様!」


赤くなった耳元を隠すようにそっぽを向きながらも、シルヴィアは素早くペンを取り、彼との「二人だけの戦場」へと再び足を踏み入れるのだった。

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