五女 クロエ
毎日19時投稿予定
ヴァルハイト侯爵家の邸宅に広がる広大な庭園。
咲き誇る大輪のバラに囲まれながら、五女・クロエはそっと小さな溜め息をついた。
可憐な美貌と優しさを持ち、家族や使用人たちから惜しみない愛情を注がれて育ってきた彼女には、誰にも言えない秘密があった。それは、あの日からずっと胸の奥を締めつけて離さない、切なく甘い初恋の記憶。
きっかけは、数ヶ月前のことだった。
「どうしても、普段の街の空気を一度だけでいいから吸ってみたいの」
両親に何度もお願いをして、ようやく許可が出た束の間の外出。お供の侍女を伴い、お気に入りのリボンで控えめに髪を結って出かけたクロエは、生まれて初めて目にする賑やかな街並みに胸を躍らせていた。
だが、市場の雑踏を進むうちに、買い物の熱気に呑み込まれて護衛たちと少し距離が開いてしまった。その一瞬の隙をつくように、柄の悪い男たちがクロエと侍女の前に立ちふさがったのだ。
「いいじゃないか、ちょっと俺たちと付き合いなよ」
「困ります……っ、放してくださいませ!」
侍女がクロエをかばうように庇い立つが、男たちはニヤニヤと笑いながらじりじりと距離を詰めてくる。
恐怖で身をすくませ、ぎゅっと目を瞑ったその時だった。
「嫌がっているだろう。しつこくするのはやめなさい」
低く澄んだ声が静かに響き、クロエと男たちの間にすっと一人の青年が割り込んできた。
質素な布地の服を纏っているものの、その背筋はまっすぐに伸び、男たちの手首をひねって退ける所作には洗練された気品が漂っていた。
男たちが足早に去っていくのを見届けると、青年はゆっくりと振り返った。
「大丈夫かい? 怪我はない?」
差し出された手と、自分を心から案じる真っ直ぐな瞳。近付けられた顔立ちの美しさに、クロエの胸は激しく跳ね上がった。
「あ……ありがとうございます……っ」
ぽつりとお礼を口にした瞬間、遠くから足音が近づいてきた。異変に気づいて顔を青くした侯爵家の護衛たちが駆け込んできたのだ。
「クロエ様! お怪我はございませんか!?」
「ええ、私は無事です……このお方が助けてくださって……」
「恐れ入ります、助かりました。……クロエ様、本日はもうお屋敷へお戻りになりましょう」
護衛は青年へ深く感謝を述べつつも、クロエと侍女を挟み込むようにして安全な馬車へとお促した。
「あっ……!」
名前すら尋ねる余裕もないまま、流されるように馬車へ乗り込まざるを得なかったクロエ。走り出した馬車の小さな小窓から振り返ると、雑踏の中で佇み、去り行く馬車を呆然と見送る青年の姿があった。
(あの方はきっと、街で暮らす平民の方……。お名前すらお伺いできなかったけれど、私はもう二度とお会いできないのね……)
彼の飾らない装いを思い出すたび、侯爵家の令嬢という自らの立場と、決して叶うはずのない身分差が重く胸にのしかかった。
あの日以来、クロエの心はあの街角に置き去りにされたままだった。
季節が巡り、宮廷で侍女として仕えている三女シルヴィアから、「ずっと塞ぎ込んでいるのだから、気分転換に宮廷の私のもとへお使いにいらっしゃいな」と頼まれてお城へ足を運んだ日も、クロエの胸からは彼の面影が消えてはいなかった。
光が差し込む絢爛豪華な宮廷の回廊を、侍女と共に静かに歩いていた、まさにその時のことだった。
正面から、豪華な刺繍が施された正装を纏った男性が歩いてくる。
すれ違いざま、ふと視線が交差した。
(え……? いえ、そんなはず……。あの方は街でお会いした……でも、あの真っ直ぐな瞳は……)
胸が苦しくなるほどの強い胸騒ぎ。けれど相手は宮廷の回廊を歩く高貴な貴族だ。
(似ているだけ……。街で出会ったあの方が、こんな場所にいらっしゃるわけがないわ)
クロエは溢れ出しそうになる想いを必死に抑え込み、うつむいてそのまま通り過ぎてしまった。
背後で足音がふっと止まり、振り返るような気配がしたものの、クロエは確認する勇気も出ないまま角を曲がってしまったのだった。
シャンデリアの眩い光が降り注ぐ、宮廷の大広間。華やかな社交の輪から少し離れ、壁際でそっとグラスを手にしていたクロエは、会場の空気がわずかに変わったのを感じた。
視線の先、人混みを分けるようにして歩いてくる一人の男性がいた。
豪奢な正装を纏い、凛とした佇まいでまっすぐこちらへ向かってくる。
(あ……)
胸がドクンと激しく打ち跳ねた。
大勢の視線が彼に集まるのも気にならない。クロエの目の前で足を止めたその人は、少しだけ息を整えるように呼吸を置くと、静かにクロエの顔を覗き込んできた。
あの日、あの街角で自分を見つめてくれた、あの真っ直ぐな瞳のままに。
「……やはり、あの時の……」
耳に届いたのは、ずっと胸の奥で再生され続けていた低い声。
「あっ……あの方……!? あの時、宮廷ですれ違った……いえ、それよりも前に、街で私を……っ」
「そうだ。私は辺境伯のアルフレッドといいます。あの日も、そして先日の回廊でも……ずっと君の面影を追っていた。……身分を隠して街にいた私を助けさせてくれた、愛しいお嬢さん」
彼——辺境伯の口から明かされた言葉に、クロエは息を呑んだ。
「あの日、君が護衛に連れ戻されてしまってから、私はずっと諦めきれずにいた。たとえ街の平民の娘であったとしても、次に出逢えたなら必ず私の妻として迎える想いで、身分を隠して何度も街へ降りて君を探していたんだ。先日の回廊でも確信が持てず声を掛けられなかったが……やっと、巡り逢えた」
彼の口から告げられた一語一語に、クロエの目から涙がポロポロとこぼれ落ちた。
平民だと思い込んで一人身を焦がしていた初恋の人は、高貴な身分を戴く貴族であり、自分と同じようにあの日の想いを大切に抱き続けてくれていたのだ。
「私、私も……! お名前も知らぬまま、ずっと……ずっと貴方をお慕いしておりました……っ」
誤解が解け、ついに重なり合った二人の想い。二人は引き寄せられるようにしっかりと抱き締め合った。
「ちょっと! 私の大事な妹に気安く触れて、一体どういうおつもりですの!?」
大広間の影から、華やかなドレスを纏った三女シルヴィアが腕を組んで踏み込んできた。
「し、シルヴィア姉様!?」
「宮廷の回廊ですれ違った時から、お互いにチラチラ振り返って悶々としていたのはお見通しですわよ! 辺境伯様、いくら貴方でも、私の愛しいクロエを散々焦らした罪は重いですわよ?」
シルヴィアはクロエを自分の背中に庇うと、愛おしそうに妹の頭を優しく包み込んだ。
「でも……ずっと胸を痛めていたクロエが、こんなに愛されて満たされた顔をしているんですもの。私から意地悪なんてできませんわね」
シルヴィアはニヤリと悪戯っぽく微笑むと、辺境伯に向き直った。
「辺境伯様! うちの可愛い末っ子を、生涯かけて世界一幸せにすると誓っていただけますわね?」
「……勿論だ。命に代えても彼女を愛し、守り抜くと誓おう」
「ふふ、合格ですわ! では、あちらでお父様がお待ちです!」
溺愛する姉からの温かな後押しと祝福を受け、クロエはもう二度と離れることのない温かな胸の中に深く包み込まれた。
あの日言葉も交わせず離れ離れになり、すれ違いに身を焦がした切ない恋は、溢れるほどの幸せとともに最高のハッピーエンドを迎えようとしていた。
が、最後の砦と言わんばかりに侯爵が、可愛い愛娘を恋煩いで悩ませていたアルフレッドに対しては思うところがあら様でそれはそれはにこやかに待っていた。
辺境伯は思いが通いあったと思ったその瞬間から大きな壁に立ちはだかられていると感じつつもやっと会えたクロエを手放すことはできないとクロエをシルヴィアを託し貴族用の控室一室を借り受け侯爵と婚約についての話し合いに向かったのであった。
侯爵はやはりクロエをあんなに悲しませたやつになんてと思いつつパーティ会場で再開した時の喜びに打ち震えている様子を見てしまっていたため娘の為に婚約を前向きに検討するとだけ返事をしパーティ会場を後にした。
後日辺境伯から正式な婚約の申し込みとそれに関する内容のすり合わせを是非似にと連日便りが届き辺境伯が本当に街で娘を探していたのか調査したところほぼ毎日探していた事が分かり、辺境伯の本気が無事伝わり婚約を結ぶ事が叶った。
あっさり婚約が叶ったのには婚約をするまでは会えないと言われたクロエが、また恋煩いを起こし日に日に食欲をなくしていった為娘に元気になってほしいと言う思いから叶ったと言う事が大きかった。




