長女 エリス
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ヴァルハイト侯爵家の長女・エリスは、弟妹たちの世話を焼き続けてきた心優しく控えめな女性だ。
代々続く由緒ある家柄に加え、父親が事業で大成功を収めているヴァルハイト家は、社交界でも誰もが羨む圧倒的な財力と権力を誇っている。
豪奢な屋敷や極上の調度品に囲まれて育った彼女だったが、世間が妹のシルヴィアを「絶世の美女」と持ち上げるたび、「私なんかが目立ってはいけないわ」と自分を卑下することが癖になっていた。
そんな彼女の儚げな姿に狂おしいほど執着し、己の屋敷へ連れ去った男がいた。社交界の頂点に君臨する公爵家の跡取り・クロードである。
二人の出会いは三年前、社交界の喧騒から離れた冬の夜会のバルコニーに遡る。
当時のクロードは、完璧な公爵家跡取りとしての仮面を貼り付け、群がり媚び売る貴族たちに心底辟易していた。
毒々しい空気に嫌気が差し、静かなバルコニーへ足を踏み入れた時、夜風の中で体を小さく丸めているエリスの姿があった。
エリスは寒さに震えながらも、ドレスの上に羽織っていた上質なファーショールを脱いで、庭園の隅で風雨に晒された野良猫の仔を優しく包み込んでいたのだった。
『こんなところで何をしている? 体を壊すぞ』
冷ややかに声をかけたクロードに、エリスは驚いて跳ね起きると、自分の控えめな立場を恥じるように小さく身を縮こまらせた。
『ま、申し訳ありません、クロード様……! 華やかな会場に私なんかがいては邪魔になるかと思い、こちらに逃げてまいりましたの。でも、この小さなお命が寒そうにしておりましたので、私のお召し物でよければ温めてあげたくて……。お邪魔でしたら、すぐに去ります……』
『私なんかが』——そう言って伏せられた透き通るような長い睫毛と、自分よりも小さな命を気遣う優しさに満ちた桃色の瞳。
今にも夜風に浚われて消えてしまいそうな儚さを纏いながら、どこまでも他者を愛しむ健気な佇まい。
社交界の誰もが己を誇示し、美貌や地位を競い合う中で、圧倒的な名門侯爵家の長女でありながら、自分を殺して誰かのために微笑む彼女。
『……立ち去る必要はない。その仔は、俺が屋敷で引き取ろう』
クロードが申し出ると、エリスは感極まったようにぽっと頬を染め、涙を浮かべてふわりと咲くような笑顔を見せた。
『まあ……! ありがとうございます、クロード様。私なんかでは、この子を助けてあげることもできませんでしたのに……貴方様はなんてお優しい方なのでしょう』
その瞬間、クロードの胸の中で理性が弾けた。
自分の優しさには無自覚なまま、他人を救うために自分を削る可憐な心素直な瞳。
他人の欲望に塗れた世界で冷え切っていたクロードの心は、彼女の純粋な温もりに一瞬で射抜かれ、同時に狂おしいほどの保護欲と独占欲に捉われたのだ。
(誰にも渡さない。こんなにも脆く優しい生き物、俺の手の中で一生守り抜き、誰の目にも触れさせない。早く動かねば誰かに掻っ攫われてしまうやもしれん。)
他の男たちがエリスの隠された美しさと尊さに気づく前にと謀略を巡らせたクロードは、エリスの父親である侯爵に莫大な事業提携を持ちかけたが
娘の幸せが第一だと渋る侯爵に、いかに自分が彼女を愛し守るかを訴え必ず何があっても守り切ってみせると誓い納得してもらい、即座に正式な婚約を成立させた。
さらに「公爵家の次期女主人としての教育を施す」という至極真っ当な名目を掲げ、ほぼ「合法的囲い込み」の形で彼女を自身の公爵邸へ移住させてしまったのだ。
流石の侯爵もこれには抗議を送ったが娘の
「お父様、私も立派な侯爵夫人になって彼を支えてみせますわ」
という娘の言葉に半強引ではあるが了承をした。
「クロード様……公爵家のお勉強とはいえ、私なんかがこれほど至れり尽くせりの手厚い扱いをしていただいてよろしいのでしょうか……? 完璧で社交界の花であるシルヴィアならともかく、私なんかが貴方様のような素晴らしい方のお側にいるなんて、周囲の方々に笑われてしまいますわ」
公爵邸の自室のソファで、エリスは困惑と不安に瞳を揺らしながら小さくなっていた。
「私なんかが……」——あの日から変わらない、愛おしくも歯痒い口癖。
その言葉を聞いた瞬間、クロードの瞳に濃密な暗火が灯る。
彼は優雅な歩調でエリスへ歩み寄ると、膝をつき、彼女の華奢な手を優しく、だが逃がさない強さで包み込んだ。
「エリス、二度とその言葉を口にしないでくれ。私にとって、この世の中で価値があるのは君だけなのだ」
「で、ですが……私にはシルヴィアのような華やかな美貌もありませんし、誰かの役に立てるような力もありませんのよ……?」
「それがなんだというんだ?君が私の側にいてくれるだけで何もかもぎ満ち足りた気持ちになる。」
クロードは彼女の繊細な手の甲に丁寧に口づけを落とし、そのまま視線を上げてエリスをじっと見つめた。その熱い眼差しに、エリスの頬がぽっと赤く染まる。
「あの夜会で、自分の寒さも忘れて小さな命を抱きしめていた君を見た時から、私の世界には君しか存在しないんだ。誰かを思いやるその温かな心根も、自分を後回しにしてしまう儚げな危うさも、すべてが私には狂おしいほど愛おしい。『公爵家のことを学ぶ』などというのは口実に過ぎない。私は君をこの屋敷に閉じ込めて、私以外誰も見えないようにしたかっただけだ」
過保護で重すぎる本音の告白に、エリスはあまりに重い愛情の吐露に「ひッ……」と可憐な悲鳴をあげて身を縮こまらせた。
そんなに自分を愛してくれる人がいるとは思ってもみなかったし、ましてやこんな誰もが羨む方に思われるなと私には烏滸がましいとさえ思ってしまう。
ただの政略結婚だと言われた方がすんなり受け入れられた気さえする。
ただこんなに思われたことに、自分が密かに慕っていた方に思われているという何とも甘美な言葉に酔ってしまったかのように身体の奥底から何とも言えない気持ちが芽生え後戻りはさせてもらえない気がした。
「君が自分に価値を見出せないのなら、生涯かけて私が教え込もう。君がどれほど愛されるべき存在なのかをね」
逃げ場をなくすように身体を強く抱き寄せられ、耳元で甘く囁かれる。
——と、その時だった。
「ちょっとクロード様! 私の大切なお姉様に、これ以上『私なんか』なんて言わせたら承知しませんわよ!」
バンッと勢いよく扉が開かれ、公爵邸を訪れていた三女シルヴィアが姿を現した。
「シ、シルヴィア……!?」
驚くエリスをよそに、シルヴィアは二人のもとへ歩み寄ると、満足そうにフンと鼻を鳴らした。
世間がいくら自分を「絶世の美女」と持て囃そうが、シルヴィアにとってエリスは世界で一番尊く、愛おしい大好きな姉なのだ。
「お姉様、いい加減自分を卑下するのはおやめなさいな。貴女のその優しさと儚げな可憐さは、私なんかより千倍素晴らしいんですから! クロード様、強引に連れ去ったのは感心しませんけれど……お姉様を世界一幸せにしてくださるなら、私、大賛成ですわ!」
妹からの弾けたような笑顔と心からの祝福に、エリスの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「シルヴィア……ありがとう……」
「お姉様、本当におめでとう!」
妹の温かな祝福と、クロードの深い愛と過剰な保護に包まれながら、エリスは長年の引け目を溶かし、幸福な笑顔で彼の腕の中に寄り添うのだった。
クロードは良いところで邪魔をと思いつつ視線でシルヴィアを責めるが結婚までまだ時間はある為助かったという気持ちもある。まだ始まったばかりそう焦ることもない。
ただ父よりもこの妹の方が厄介ではないのかと美貌の令嬢を要注意人物のリストの先頭に入れた。
エリスに何かあれば即連れて帰りますと言いに来たようなものだ。絶対にエリスは帰さないし私の隣が唯一無二の居場所だと視線を向ければ
シルヴィアはお手並み拝見ですわね。と同じく瞳で返す。
そのやり取りをまぁ既に家族と認めてもらえたのね。お父様とお母様以外の家族に認められるなんて私幸せ者だわ。と1人思う心優しきエリスであった。




