次男 ルシアン
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ヴァルハイト侯爵家の次男ルシアンは、社交界で「最も自由で読めない男」と呼ばれていた。
完璧な長男ヴィンセントの陰で、いわば「侯爵家のスペア」として育てられた彼は、何事にも固執せず、風のように生きる男だと誰もが思っていた。
世間は事あるごとに、彼の妹である三女シルヴィアの神々しい美貌を称え、ルシアンに対しても「あのシルヴィア様の兄君ならば、どんなにか美しいお方を望まれるのだろう」と身勝手な期待を寄せていた。
だが、ルシアンの心と瞳を狂おしいほどに支配していたのは、別の侯爵家で一族の未来を背負い、可憐かつ気高く咲く令嬢——エレノアただ一人だった。
二人格の出会いは、二年前の雨の日の夜会に遡る。
当時、エレノアの生家では前当主である父親が突如倒れ、男兄弟のいない彼女が若くして広大な領地経営と家財の管理を一身に背負わされていた。夜会の華やかな会場の隅、庭園へと続く濡れた回廊で、エレノアは膨大な領地資料の束を抱えながら、冷たい雨を見つめていた。他家の貴族たちからは「女だてらに」「早く優秀な婿を取らねば家が潰れる」と心ない嘲笑を浴びせられ、押し潰されそうな重圧に唇を噛み締めていたのだ。
そこへ通りかかったのが、夜会を抜け出してきたルシアンだった。
『こんなところで一人で雨宿りか? 随分と物好きな令嬢だな』
退屈そうに声をかけてきた彼に、エレノアは気高く背筋を伸ばし、涙を堪えて言い返した。
『物好きではありませんわ。……私はただ、この家に懸ける父の想いと領民の暮らしを守りたいだけです。誰かの飾りになる余裕など、私にはありませんの。失礼しますわ。』
強がりの中に滲む切実な覚悟と、雨に濡れる花のように儚くも美しいその横顔。
他人に甘えることを知らず、泥泥とした社交界で一人戦う彼女の姿を見た瞬間、ルシアンの胸の奥で何かが爆発した。
何事にも執着しなかった男が、初めて「この女が狂おしいほど欲しい。俺の手で抱きしめ、守り抜きたい」という強い欲望に支配された瞬間だった。
しかし、エレノアの家は婿養子を迎えなければ途絶えてしまう。
(俺がヴァルハイトのスペアでいることなんて、エレノアを手に入れることに比べたら何の意味もない)
ルシアンの決断は早かった。
長男ヴィンセントに「俺は彼女の婿になるから、立場も家格も全部いらない」と言い放ち、あっさりと両親に婚約を申し込み婿に収まった。
エレノアの家へ強引なまでの熱量で婿入りを即決したのである。
——だが、迎え入れたエレノアの胸中は、いまも複雑な葛藤に苛まれていた。
「ルシアン様……本当に、これで良かったのですか……?」
エレノアの執務室。
豪奢なデスクの上には領地経営の書類が積まれている。
その傍らで、ルシアンはエレノアを膝の上に抱きかかえ、首筋に何度も熱い口づけを落としていた。
エレノアは頬を染めて身を捩りながらも、その瞳には深い憂いを宿していた。
雨の回廊で救われて以来、彼女もまたルシアンを深く愛している。
だからこそ、彼のあまりに大きすぎる犠牲が胸を締め付けて離さないのだ。
彼には、侯爵家の余剰爵位を継承し婿ではなく当主になるということができた。
その未来をわたしが潰してしまったと自責の念が今も胸を締め付ける。
(あの日、哀れな私を見初めたばかりに……。ルシアン様はヴァルハイト侯爵家の次男として、何の重圧もなく自由気ままに望めば当主としても爵位を貰い生きられたはずなのに)
世間からは
「あの絶世の美女シルヴィア様の兄が、わざわざ他家へ婿養子に入るなんて」
「そこまでの価値が彼女にあるのか」と心ない噂が聞こえてくる。
そうした声が耳に入るたび、エレノアの心は刃で刻まれるように痛んだ。
(私と結ばれたことを、いつか後悔なさるのではないかしら。私が貴方の自由を奪ってしまったのだわ……)
罪悪感に押し潰されそうになるエレノアの瞳を、ルシアンが見逃すはずもなかった。
ただわかっていて彼女のその優しさに漬け込んだ自覚はある。
彼は口づけを止め、彼女の細い顎を指先で強く掬い上げた。逃げ場をなくすように、深い黄金色の瞳で彼女を射抜く。
「エレノア。また妙な顔をして、愚かな妄想に耽っているな?」
「っ……ルシアン様……」
「『私のせいで自由を奪った』『いつか後悔するんじゃないか』——そんなところだろ」
図星を突かれ、エレノアは息を詰まらせた。
そんな彼女の華奢な腰を、ルシアンは痛いほどの力で抱き寄せる。
「あの日、雨の中で意地を張っていた君を見た時から、俺は君のものだったんだよ。ヴァルハイトのスペアなんて退屈な立場、君を手に入れるための手札に過ぎなかった」
「ですが……世間の噂も……貴方の立場も……!」
「世間がなんだ? シルヴィアがどれだけ美しかろうが、俺の妻以上に可愛い存在がこの世にいるわけないだろう。全員目が腐ってるだけだ。それにそう思ってくれているうちは絶対に離婚なんて言葉出てこないだろ?可愛いエレノア」
ルシアンは迷いのない強い声で告げると、エレノアの唇に深く、理性を溶かすような口づけを落とした。彼女の吐息が甘く漏れ、抵抗する力を奪っていく。
「俺は君に縛られたんじゃない。俺が君を狂おしいほど欲しくて、俺の意志で君の男になったんだ。君の家も、背負う重圧も、全部俺が奪い取ってやる。……だから君はただ、俺に愛されていればいい」
彼の執着と、途途もない溺愛の熱が、エレノアの胸の奥にあった罪悪感を溶かしていく。
あの日、一人で佇んでいた自分を見つけ出してくれた手が、いまも変わらず強く温かい。
(ああ……この方は、最初から私だけのために来てくださったのだわ……)
エレノアはなんとも言いようのない甘い毒を与えられたかのように痺れ溢れそうになる涙を堪え、彼の首元にそっと腕を回した。
妹との比較も、家の立場もすべて破り捨てて自分の元へ飛び込んできたルシアンの腕の中で、エレノアはついに迷いを捨て、彼の深い情熱に身を委ねるのだった。
そんなエレノアを見るルシアンは小鳥を捕獲し逃げられないよう、それでいて安心して羽を休めるよう住処を整え、自らの意思でずっと傍にいてくれるように愛情を常に注ぐ事と彼女に家族は助け合いもっと自分に全て寄りかかっていいと優しく包み込むのであった




