三女 シルヴィア 15
王妃宮での心温まる報告から数日後。
次に立ち塞がったのは、シルヴィアの実家であるレーヴェン侯爵家、そして「王国の頑固一徹」として宮廷内でも恐れられる実父・レーヴェン侯爵であった。
重厚な意匠が施された侯爵家の応接間。
重々しい沈黙の中、上座に座る侯爵は、差し出された結婚の申し入れ書とクレマンを、鋭い眼光で交互に睨みつけていた。
「……正気か、クレマン卿」
低く地響きのような声が部屋に響く。
「我が娘シルヴィアは、王妃宮の筆頭侍女として王家に捧げられた存在だ。それを、外遊から戻ってきた途端に奪い去ろうというのか。しかも『長年、勝手にすれ違っていただけでした』などと……笑わせるな」
侯爵は羊皮紙を机に叩きつけた。
「貴公の冷徹な手腕と実績は認めよう。だが、大事な娘の『不在の数ヶ月』に私信の一本も寄こさず、一人寂しく城に残させた男に、易々と娘を譲れると思うか? 筆頭侍女としての責務を全うしてきた娘の誇りを、あまりにも軽視しているのではないか!」
娘を思うがゆえの怒りと、厳格な父親としての威圧感。並の貴族であれば足腰を抜かすほどの気迫が、クレマンを押し潰さんばかりに降り注ぐ。
だが、クレマンは一切目線を逸らすことなく、背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、侯爵の正面で静かに膝をついた。
「お言葉、すべてその通りでございます、レーヴェン侯爵」
「……何?」
「私が『公務』や『立場』という都合の良い盾を使い、シルヴィア殿の心に寄り添うことを怠ったのは事実です。どれほど言葉を飾ろうと、私の愚かさと不器用さが彼女を傷つけたことに変わりはありません」
クレマンは深く頭を下げ、重みのある声を響かせた。
「しかし……異国で彼女のいない夜を過ごし、己の失策を痛感したからこそ、私は知りました。私の人生において、彼女の存在に代わるものは何一つないのだと。……私信を送らなかった非は、これからの生涯をかけて、言葉と行動で彼女に返してまいります」
「言うのは易しだ。貴公のような仕事人間が、娘を幸せにできる保障がどこにある?」
厳しい追及が続く中――突如として応接間の重々しい扉がノックもなしに開き、賑やかな足音が踏み込んできた。
「そこまでにしてくださいな、父上。客人に酷い言い様ですよ」
「そうですよ、父上。これ以上クレマン卿をいじめたら、姉上に本格的に嫌われますよ?」
現れたのは、シルヴィアの兄である長男と、弟である次男だった。
呆れ顔の兄と、ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべる弟の乱入に、侯爵は露骨に眉をひそめた。
「お前たち……! 今は大事な話の最中だ、下がりなさい!」
「大事な話だからこそ助言に来たのです」
長男はクレマンの横に立ち、侯爵に向かって肩をすくめた。
「父上、クレマン卿の真面目すぎる不器用さは宮廷じゅうが知るところです。旅先から手紙を送らなかったのも、余計な政治的噂から姉上を守ろうと一人で難しく考えすぎた結果でしょう。意地悪で放置したわけではないことくらい、お見通しのはずだ」
「そうですとも」と次男も追撃するように頷く。
「それに、あの姉上ですよ? 宮廷の筆頭侍女として完璧すぎるあまり、浮いた噂ひとつなかったあの姉上が、わざわざご自分から『この人がいい』と連れてきた男なんです。父上がどれだけ難癖をつけようと、二人で勝手に思い詰めてすれ違っていた期間を取り戻す気満々なんですから、邪魔なさるものじゃありません」
「お前たち……私に対して何たる言い草だ!」
兄弟の容赦ない後押しに、侯爵の額に青筋が浮かぶ。
そこへ、これまで静かに控えていたシルヴィアが、すっと一歩前へ出た。
「お兄様、頼もしい援護をありがとうございます。……お父様、弟たちの言う通りですわ。不器用で、私的な連絡のひとつも寄こさず、私を一人でヤキモキさせたことについては……確かにお父様のおっしゃる通り、万死に値する愚行でございます」
隣でクレマンが「万死……」と小さく傷ついたように呟いたが、シルヴィアは気にせず続けた。
「ですがお父様。そんな真面目すぎるがゆえに遠回りをしてしまうこのお方を選んだのは、他ならぬ私です。お父様がどれほど反対なさろうと、私の決意は変わりません。……それともお父様は、ご自身の娘が見込んだ男の目を、そしてお兄様たちの言葉を信じてはくださらないのですか?」
クレマンの愚直なまでの誠実さ、兄妹総出での挟み撃ち、そして何より娘の揺るぎない眼差し。
勝ち目がないことを悟った侯爵は、苦々しい顔で沈黙した。部屋を満たす重圧の中、振り子時計の音だけが虚しく響く。
やがて――侯爵は深々と大きな溜め息を吐き、背もたれに深く体を預けた。
「……ふん。相変わらず、一度言い出したら聞かん奴らだ。誰に似たのだか」
「お父様に似たのでございますわ」
シルヴィアと兄弟たちが顔を見合わせて微笑むと、侯爵は苦虫を噛み潰したような顔でクレマンを指差した。
「クレマン卿。許したわけではないぞ。……もし一度でも娘に涙を流させたら、我がレーヴェン侯爵家の全力を以て、貴公を宮廷伯の座から引きずり下ろすと思え」
「……肝に銘じます。終生、彼女を誇りと愛をもって守り抜くことを、レーヴェン侯爵家にかけて誓いましょう」
クレマンの力強い言葉に、侯爵は「勝手にするがいい」と横を向いたが、その表情には微かな安堵が浮かんでいた。
応接間を後にした二人は、兄弟たちに見送られながら侯爵家の美しい庭園へと出た。
「……冷や汗をかきました。お父上も、お兄様方も……実に手強かった」
安堵の溜め息を漏らすクレマンに、シルヴィアはそっと腕を絡めた。
「ふふ、あのように賑やかな家族ですが、頼もしい後押しでしたでしょう? これで本当の意味で……誰も私達を拒む者は居なくなりましたわね」
「ああ。……これからはただ、君を幸せにするだけだ」
庭園の木々が秋風に揺れる中、二人はしっかりと手を繋ぎ、確かな未来へと歩み出した。




