第3章:私が働いている間に、記憶喪失の男が下町のカリスマになっていた件
前回までのあらすじ:
泥を落としたハルの姿は、まさに「顔面国宝級」。
下町の治安を揺るがすと確信したリナは、
必死に彼の外出を禁じ、シーツを被せて隠蔽工作を図る。
しかし、美青年の噂は一瞬で広まり、
リナの家には女性たちが押し寄せる「聖地巡礼」状態に!
さらには近所の住民に彼氏と勘違いされて揶揄われ、
リナに惚れている幼馴染のカズトまでが嫉妬に燃えて、
薪割り勝負を挑んでくる始末。
本人の無自覚な魅力によって、
リナの平穏な日常は音を立てて崩れていく――。
1.留守番のはずの王子様(仮)が、勝手に下町の視察に出かけていた件
「いい、ハル。私は今から洗濯の仕事に行ってくるから。
絶対に、絶対に外に出ちゃダメよ。分かった?」
私は朝一番で、ハルに念を押し、共同洗衣場へと向かった。
……しかし、ハルは正直すぎた。
「分かった」とは言ったものの、
彼は「リナが困るから顔を見せてはいけない」とは理解したが、
「家から一歩も出てはいけない」という言葉の裏にある危険までは
理解していなかったのだ。
リナが出かけて数時間。
ハルは言われた通り、深めのフードを被り、顔を隠して外へと踏み出した。
初めて見る、下町の光景。(……ここは、こんなにも……)
ハルの目に映ったのは、剥げかかった壁、穴の空いた屋根、
そして泥遊びをする痩せた子供たちの姿。
彼の失われた記憶のどこかにある「整った風景」とはあまりに違う、
質素でみすぼらしい街の様子に、ハルは胸の奥が痛むのを感じていた。
♢
2.役人の横暴を止めようとしたら、羽交い締めにされた件
市場の隅で、怒号が響いた。
「おい! 今月分の場所代が足りねえぞ!
払えないなら、その荷台ごと没収だ!」
横柄な役人が、老婆の露店を蹴りつけていた。
ハルの体は、考えるよりも先に動いた。
「待て。彼女は十分に払っているはずだ。その徴収は不当ではないか?」
凛とした、威圧感のある声。
役人が振り返り、剣の柄に手をかけたその瞬間――。
「バカ、やめろ! 死にてえのか!」
横から飛び出してきたパン屋の息子のテオと、肉屋のヨハンさんが、
ハルの左右から飛びついて羽交い締めにし、路地裏へ引きずり込んだ。
「ハル! お前、リナに言われてねえのか!
役人に楯突くのは自殺行為だぞ!」
「だが、テオ。あの女性は困っていた」
「……っ、そりゃそうだが、俺たちはこうやって耐えて生きてるんだよ!」
テオの悔しそうな顔を見て、ハルは悟った。
ここでは、正論だけでは誰も救えないのだということを。
♢
3.気がついたら、下町の「なんでも屋」になっていた件
ハルは、力で解決するのをやめた。
その代わり、自分にできることを探し始めた。
ヨハンさんの店で、壊れた肉切り包丁の柄を鮮やかに修理し、
テオの店の歪んでいたパン焼き窯の空気調整を完璧に行い、
リナの友人・ミナの洗濯仕事を手伝っては、
驚異的な効率化のアドバイスを送った。
切れ味の悪い安物のナイフを持たせても、
不格好で凸凹のジャガイモが、
彼の手にかかるとまるで芸術品のようにツルツルになる。
床を掃かせれば、まるで宮廷の舞踏でも踊っているかのような
優雅な身のこなしで、埃一つ残さない。
決して顔は見せないが、
彼が通った後は、なぜかみんなの暮らしが少しだけ良くなる。
「おいハル、これ余ったパンだ。持ってけ!」
「ハルさん、この前のお礼に。このリンゴ、甘いわよ」
数日のうちに、ハルは下町の男たちからは「頼れる相棒」として、
女性たちからは「謎の親切な青年」として、絶大な信頼を得ていた。
♢
4.【驚愕】ハルが街中のアイドルになっていた件
「よし、今日は私も休みだし、ハルの服を買いに行きましょうか。
……絶対、フードは取っちゃダメよ」
翌日、私はハルを厳重にガードしながら市場へと繰り出した。
ところが、一歩街へ出た途端、異変に気付く。
「よっ! ハル! 昨日のあれ、助かったぜ!」
「ハルくん、今日のお昼、うちの煮込み食べていかない?」
「ハルさん! お花、ありがとうございました!」
すれ違う人、すれ違う人が、深々とフードを被った怪しいはずの男に、
親しげに声をかけていくのだ。
「……え、ええ!? ちょっと、何、これ!?
なんでみんな、ハルの名前を知ってるのよ!」
私がびっくりして腰を抜かさんばかりになっている横で、
ハルはフードの奥で小さく、困ったように笑った。
「リナ。この街の人たちは、とても温かいな」
「そういう問題じゃないわよ!
……っていうか、あんた、私がいない間に一体何をしたのよ!?」
リナの混乱をよそに、下町はかつてないほどの活気に満ち溢れていた。
♢
5.【不穏】漆黒の「死神」が嗅ぎ回っている件
オブシディアン・クロウズ
そんな賑わいの、すぐ裏路地。
陽の当たらない湿った空気の中に、場違いなほど冷たい殺気が漂っていた。
「……目撃情報は間違いないのか」
漆黒の外套に身を包んだ男が、影から市場をじっと見つめていた。
その襟元には、禍々しいカラスの羽を模した銀の紋章。
国家転覆を企てる、暗殺部隊
『オブシディアン・クロウズ(黒蝕の鴉)』だ。
「間違いありません。下町の住人どもが、
正体不明の『親切な青年』の話で持ちきりです。
銀色の髪を隠し、誰の家でも器用に修理して回る。
……そんな男、この国に一人しかおりません。」
「ふん。記憶を失い、ドブネズミに身を落としたか。
……王子の目の前で、絶望を味合わせてやるのも一興だろうな」
ハルの「目立ちすぎた親切」が、皮肉にも最悪の敵を呼び寄せてしまった。
リナたちの背後を、影が音もなく滑り出した。
第4章へ続く…
第4章あらすじ:【絶体絶命】暗殺組織・オブシディアン・クロウズの強襲
下町のアパートで
暗殺部隊『オブシディアン・クロウズ』の強襲を受けた
リナとハル。
丸腰のハルは高度な王宮格闘術で敵を圧倒するが、
リナが庇われた際に負傷し流血。
その血を見た瞬間、ハルの脳裏に、
同じ組織に妹が自分を庇って殺された
凄惨な記憶がフラッシュバックする。
青い瞳から光が消え、冷酷な戦闘マシーンとして覚醒したハルは、
圧倒的な力で暗殺者を蹂躙・撃退。
記憶を取り戻した彼は、
自分が第一王子であることをリナに明かし、
これ以上彼女を危険に晒さないため、あまりにも残酷な別れを告げる……




