第7話 シリアル・ママ
映画紹介
公開年:1994年
監督:ジョン・ウォーターズ
主演:キャスリーン・ターナー
アメリカ郊外に暮らす主婦、ベヴァリー・サトフィン。
夫と子どもを愛し、家事をこなし、近所づきあいも欠かさない彼女は、一見すると理想の母親だった。
だが、家族を傷つける者、礼儀を守らない者、彼女の価値観に反する者に対して、ベヴァリーは常軌を逸した制裁を下していく。
「人間よ。今日は何を見せる?」
「今日はかなり変則的な奴。一応コメディーかな?」
「喜劇か?」
「喜劇ではあると思う」
ゼウスは俺を見た。
テーブルの上には、コンビニで買ったサンドイッチとサラダがある。
牛丼ではない。
ゼウスは不満そうだった。
「今日は牛ではないのか」
「毎日牛丼はきついんだよ」
「ヨシノヤに牛はある」
「俺の胃の話」
「軟弱な」
「神の胃と比べるなよ」
ゼウスはサンドイッチを手に取った。
「これは何だ」
「サンドイッチ」
「パンか。中に色々挟んである」
「そう」
ゼウスは確かめるように一口食べた。
「悪くないが牛ではない」
「うるせえな」
俺はテレビをつけた。
配信画面を動かして、目当ての映画を探す。
ゼウスは何を見せても真面目に見すぎる。
だから今日は、とびきり変則的なのにする。
ギリシャの神がどんな反応をするか、少し興味もあった。
「今日はこれ。『シリアル・ママ』」
ゼウスが首を傾げた。
「穀物の母か」
「違う」
「シリアルとは穀物だろう?」
「そっちじゃない」
「穀物の母ならデメテルではないのか?」
「だから違う。誰だよそれ」
「デメテルを知らぬか。では何の母だ?」
「連続殺人の母、かな」
ゼウスは俺を見た。
「喜劇ではなかったのか?」
「笑えるんだよ」
「人を殺す母の話がか?」
「そう」
ゼウスは少し考えた。
「政治家や哲学者を殺すのか?」
「何でその職業限定なんだよ?」
「まあいい。見るぞ」
「はいはい」
再生ボタンを押した。
*
アメリカの朝の食卓だった。
主人公のベヴァリーは明るく、てきぱきと動いている。
ゼウスはサンドイッチを食べながら画面を見ていた。
「家を整え、夫と子を送り出す。よい女ではないか」
「そう見えるだろ」
「違うのか?」
「まあ見てろよ」
ゼウスは少しだけ眉を寄せた。
「わからぬ」
「今はまだ普通なんだ。これから分かる」
「お前はいつもそれだ。何故先に言わぬ」
「先に言ったら面白くないだろ」
ベヴァリーは笑っていた。
夫にも子どもにも気を配り、食卓は明るい。
家の中は整っている。
ベヴァリーは隣人に電話をかける。
声色を変え、ひどい言葉を浴びせる。
相手の女性は電話の向こうで動揺していた。
ゼウスがゆっくりこちらを見る。
「この女は何をしている?」
「嫌がらせ電話。って、わかんないか。電話は遠くの人と話せる機械」
「声だけを他人の家へ送るのか?」
「そう」
ゼウスは画面へ視線を戻した。
「そして、その声で女を辱めていると」
「まあ、そうだな」
「呪いではないか」
「違う。いや、近いかもしれないけど」
「近いのではない。呪いだ」
「断言するなよ」
「名も見えぬ相手の声が家へ入り、人を辱める。これを呪いと言わず何と言う」
「そこまで、たいそうな話じゃない」
「お前は呪いを軽く見すぎている」
ベヴァリーは受話器を置いた。
楽しそうだった。
ゼウスは少し嫌そうな顔をする。
「この女はなぜこんな事をする?」
*
ベヴァリーは理想的な母だった。
少なくとも表向きは。
子どもの学校へ行き、先生と話す。
夫を支え、近所づきあいも欠かさない。
そして、気に入らないことがあると目の奥だけが変わる。
ゼウスは、その目をじっと見ていた。
「この女は怒っている」
「よく怒ってるな」
「だが叫ばぬ」
「電話では叫んでたけどな」
「人前では隠している」
「まあ」
「家の顔と、外へ出す怒りが違う」
ベヴァリーは子どもを軽んじた相手へ怒り、礼儀を欠いた相手へ怒り、家族を侮辱した相手にはさらに激しく怒る。
ゼウスは腕を組んだ。
「この母は家を守っているつもりなのだな」
「本人はそう思ってるんじゃないか?あとはマナーとか?」
「この女はヘラの信徒か?」
「違うから」
「確認しろ」
「何でそんな警戒してるんだよ?」
ゼウスは真顔で画面を見た。
「家庭の掟を乱す者に怒り声で責め続ける。ヘラが、いつも私にやってる説教そのものではないか」
「お前が悪いんだろ、それは」
「問題はそこではない」
「そこだろ」
「今の人間どもは、我が雷霆を忘れたようだ」
「全員じゃないけどな」
「だが、まさかヘラの信仰だけが、このような形で生き残っていたとは」
「生き残ってない」
「本当か?」
「映画だから」
*
最初の殺人が起きた。
ベヴァリーは、気に入らない相手を殺した。
ゼウスは黙って見ている。
「何も言わないのか?」
「ふむ」
しばらく画面を見つめたまま口を開く。
「喜劇なら、次の場で戻るのだな」
「いや、戻らない。死んだまま」
ゼウスはゆっくり俺を見た。
「……死んだままか?」
「そう。だからブラックコメディなんだ」
ゼウスは腕を組んだ。
「妙だ。喜劇なら、政治家や哲学者が散々な目に遭っても、場が変われば何事もなかったように歩いておる」
「古代ギリシャの喜劇ってそんな感じなんだ」
「人が本当に死ねば、笑う前に話が終わる」
「現代人はそこも笑う。全員じゃないし、作り話って前提はあるけど」
「難しい時代だ」
*
ベヴァリーは平然と家へ帰り、何事もなかったように家族へ微笑みかける。
ゼウスは首を横へ振った。
「理由が小さいな。王を侮辱したわけでもない。客を殺したわけでもない」
「現代では、それでも人を殺さないけどな」
「だが無礼はあった」
「罰が重すぎるだろ」
「だから妙なのだ。理由が小さいのに、罰だけ神のように重い」
俺も画面を見た。
「それが、この映画の笑えるとこなんだけどな」
「笑いと死を同じ皿に乗せるな」
*
ベヴァリーの殺人は増えていく。
相手の無礼。
マナー違反。
失礼な言葉。
ほんの小さなきっかけで、人が死んでいく。
最初の嫌がらせ電話も相手がスーパーの駐車場で横取りしたことが理由だとわかる。
ゼウスは難しい顔をした。
「子を害された時の怒りはデメテルにも近いな」
「デメテル? さっきも言ってたな」
「娘を奪われ、大地を枯らした女神だ」
「スケールが違いすぎる」
「違うのは力だけだ。怒りの形は似ている」
「嫌な分析するな」
ゼウスは少し考えてから言った。
「ヘラとデメテルを足して、品を抜いたような女だ」
「最悪の評価だな」
「最悪なのはこの女だ」
映画の中でベヴァリーは、何事もないように笑っていた。
「この女は家を守るために、家の外へ怒りを撒いている」
「そうかもな」
「だが外を壊せば、やがて家へ返る」
「分かってるじゃん」
「神々もよくやる」
「やるんだ」
「だから分かる」
「最悪の説得力だな」
映画の中では、ベヴァリーだけが満足そうだった。
家族は少しずつ違和感を抱き始める。
ゼウスは画面を見ながら言う。
「家族なら、もっと早く気づけ」
「気づきたくないんだろ」
「見ぬことで家は守れぬ」
俺は苦笑した。
「今日はまともなことばっかり言うな」
「当然だ」
*
ベヴァリーは、いつしか町で最も有名な女になっていた。
新聞が取り上げる。
テレビが追いかける。
人々は家の前へ集まり、裁判の日には傍聴席まで埋まっていた。
ゼウスはそこで首をかしげた。
「祭か?」
「裁判だよ」
「裁判でこれほど人が集まるのか?」
「有名人だからな」
「罪人を見に来るのか?」
「そういう人もいる。昔も公開処刑とかあったろ」
ゼウスは不思議そうな顔をした。
「ヘラスでも劇場へは大勢集まった。お前の言うように公開の裁判や処刑もあった。だが罪人を役者のようには扱わなぬ」
「現代も、そこは違うんだどな。似たように扱う人もいるっちゃいるな」
「役者は本当に殺しておらぬ」
「まあ、それはそうだ」
「人は昔から見世物が好きだ。だが、本当の罪まで見世物にするのは理解できぬ」
「だから映画で見てるのかもな」
*
ベヴァリーの家族も、どこかおかしくなっていく。
母を恐れながら、完全には離れられない。
ゼウスは画面を見つめたまま言った。
「この家は母に縛られている」
「そう見える?」
「母は家をまとめることもあるが、強すぎる母は家を縛る」
ゼウスは静かに続けた。
「神には掟がある。神でも守らないといけないものはある」
ゼウスは画面を指した。
「掟のない神罰は、ただの殺しだ」
「コメディーなんだから、もう少し軽く見ろよ」
「軽く見る内容ではない」
少し間を置いて、
「だが妙な話だな」
「それって面白いって事?」
「興味深い」
「興味深いね」
「不快だがな」
俺は吹き出した。
「ジョン・ウォーターズに怒られるぞ。いや、喜ぶか?」
「誰だ?」
「この映画を作った人」
ゼウスは真剣な顔になる。
「ヘラの神官か?」
「違う」
「では、なぜこのようなものを作る?」
「趣味かな」
「悪趣味だ」
*
映画は終盤へ入る。
ベヴァリーは裁判の場でも動じない。
人々は笑い、騒ぎ、興奮していた。
そして最後まで、彼女は自分が間違っているとは思わない。
ゼウスは静かに言った。
「この女は変わらぬな」
「変わらないな」
「自分が悪いと思っておらぬ。家のためだと思っている。家のために外を壊す者は厄介だ」
「神々でも?」
「神々なら、もっと厄介だ」
「でしょうね」
最後の制裁が下される。
ゼウスは顔をしかめた。
「まだやるのか」
「やるんだよ」
「理由も得るものも小さい」
少し考えて続ける。
「この女の狂い方がわかったぞ。掟がないのではない。逆だ」
「お、聞かせてくれ」
「この女は、自分の掟を神の掟だと思っている」
「あー、それかもな」
ゼウスはゆっくり息を吐いた。
「だが本人には、それが世界なのだろうな」
「かもな」
映画は終わった。
俺はテレビの電源を切る。
「どうだった?」
「狂った母は恐ろしい」
「普通の感想だな」
「ヘラやデメテルほどではない」
「比較対象が悪い」
ゼウスは少し首を傾げた。
「……やはり穀物の母ではないのか?」
「まだ言ってるのか」
「では、なぜ穀物の名を付けた」
「俺に聞くな」
「何も知らずに見せるな」
「世の中、全部説明できるわけじゃないんだよ」
ゼウスが何でも真面目に見るからと選んだが、逆にいつもより真面目になってしまった。
「軽い話のはずだったんだけどな」
「これを軽いと思うのがおかしい」
「だんだん俺が間違ってた気がしてきてた」
「気がしたではない」
「はいはい」
俺は立ち上がり、棚からシリアルの箱を取り出した。
ゼウスが箱を見て目を細める。
「やはり穀物の母ではないか」
「だから違うって」
「では、なぜ穀物を出す?」
「タイトル回収だよ」
「何だそれは?」
「説明すると長い」
ゼウスはため息をついた。
「またそれか」
俺は器へシリアルを入れ、牛乳を注ぐ。
ゼウスは黙って見ていた。
スプーンを渡すと、一口食べる。
「穀物に乳か」
「どう?」
「悪くない」
もう一口食べたところで思い出す。
「あ、はちみつかけるか?」
ゼウスの手が止まった。
「あるのか?」
「ああ。好きそうだったから買っといた」
ゼウスは少しだけ黙る。
「……そうか」
俺はスーパーで買ったはちみつをかけ、器を渡した。
ゼウスはゆっくり口へ運ぶ。
しばらく何も言わずに食べ続け、ようやく小さくうなずいた。
「どう?」
「乳と穀物にはちみつだ」
「そんなに気に入った?」
「嫌う理由がない」
俺は笑った。
「そういや、さっき気になって調べたんだけどさ」
「何をだ?」
「シリアル・ママのシリアルって、穀物のシリアルとは語源が違うらしい」
ゼウスの手がぴたりと止まる。
「では、なぜ同じ音なのだ?」
「知らん。英語が悪い」
「英語か」
ゼウスは真剣に考え始めた。
「ではヘルメスを呼ぶか」
「何で?」
「言葉のことだろう」
「ヘルメスって言葉も担当なのか?」
「旅人、商人、伝令、言葉……奴は口の回ることなら大抵首を突っ込む」
「面倒そうだから呼ばなくていい」
「面倒なのは事実だ」
*
ゼウスは残りのシリアルを食べ終え、器をテーブルへ置いた。
「人間よ」
「何?」
「お前、私の神官にならんか?」
「またそれか。ならない」
「早いな」
「嫌な予感しかしない」
「私はずいぶんもてなされている」
「サンドイッチと映画とシリアルで?」
「十分だ」
ゼウスは俺を見る。
「私が喜ぶと思って、はちみつも足したのだろう」
「まあ、そうだけど」
「なら、もてなしだ」
「急にちゃんと神様らしいこと言うな」
「悪い話ではないぞ」
「一応聞くけど、神官になるメリットは?」
「神々の王に仕える名誉を得る」
「他には?」
「私の名を呼ぶことを許す」
「もう呼んでる」
「祭壇を置いてもよい」
「置かない」
「供物を捧げてもよい」
「それ俺が出す側だろ」
「そうだ」
「メリットどこだよ。福利厚生が最悪」
ゼウスは本気で不思議そうな顔をした。
「人間は、神官になれば喜ぶものではないのか」
「いつの時代の話だよ」
俺は笑いながら首を振る。
「今はそういう時代じゃないんだよ」
ゼウスは少しだけ考え込み、やがて肩をすくめた。
「解せぬ」
「こっちが解せねえよ」
*
ゼウスは立ち上がった。
「帰る」
「はいはい」
「穀物は悪くなかった」
少し考えてから続ける。
「だが、次は牛がよい」
「考えとく」
「必ず考えよ」
神々の王は姿を消した。
最後までシリアルの意味だけは納得していなかった。
神話メモ
■ヘラ
結婚と家庭を司る女神で、ゼウスの妻。神々の女王でもある。夫婦の誓いや家の秩序を重んじる一方、ゼウスの愛人やその子どもへ激しい怒りを向ける神話が多い。家庭を守る神であると同時に、その怒りもまた神話を大きく動かす存在として描かれる。
■デメテル
穀物と農耕を司る女神。娘ペルセポネが冥界へ連れ去られた際、悲しみと怒りから大地を実らせることをやめ、世界へ飢饉をもたらした。家族を失った母の嘆きが自然そのものへ及ぶ神話として知られる。
■古代ギリシャの喜劇
古代ギリシャでは、悲劇と並んで喜劇も盛んに上演された。政治家や哲学者、神々までもが風刺や冗談の対象となり、荒唐無稽な出来事や誇張された暴力が笑いとして描かれた。舞台では登場人物がひどい目に遭っても、場面が変われば何事もなかったように物語が続くことが珍しくない。
■ケレスとシリアル
ローマ神話の穀物の女神ケレス(Ceres)は、ギリシャ神話のデメテルにあたる。この女神の名から英語の cereal(シリアル、穀物食品)が生まれた。一方、映画『シリアル・ママ』の serial は「連続した」という意味の別の単語で、連続殺人犯(serial killer)などにも使われる。英語では発音が非常によく似ているため、題名自体が言葉遊びになっている。
■フィレモンとバウキス
ゼウスとヘルメスは旅人の姿で村を訪れ、一夜の宿を求めた。しかし誰一人として二人を迎え入れず、貧しい老夫婦フィレモンとバウキスだけが粗末な食事と寝床でもてなした。正体を明かしたゼウスは、二人を洪水から救い、その家を神殿へ変えた。二人はその神殿の祭司となり、生涯ともに神へ仕えたいと願い、その望みはかなえられた。死後は寄り添う二本の木となり、最後まで離れることはなかった。




