第6話 ランボー
映画紹介
公開年:1982年
監督:テッド・コッチェフ
主演:シルヴェスター・スタローン
ベトナム戦争の深い心の傷を抱えたまま帰還した元グリーンベレーの精鋭、ジョン・ランボー。
かつての戦友を訪ねた彼は、その死を知らされ、孤独な失意の中であてもなくとある田舎町へ足を踏み入れる。
しかし、保安官ティーズルから厄介者として理不尽な扱いを受け、不当に町から追い出されそうになる。
度重なる屈辱と抑圧に耐えかねたランボーは、ついに怒りを爆発させ、身を隠した大自然の森を舞台に、町全体を相手にした孤独な戦いを始める。
前回映画を見てから四日後、ゼウスが来た。
まず確認しないといけないことがある。
「どうだった」
「何がだ」
「ヘラだよ。前回の映画。ちゃんと伝えたんだろうな」
ゼウスはソファへ座った。
「伝えたぞ」
「納得した?」
「ああ。お前に感心していた」
「マジで?」
「夫婦とは何かを私に考えさせるため、あの話を見せたのだろう」
「そう。完全にそう」
「善良な人間だと言っていた」
「助かった。枕元に毒蛇とか置かれずに済む」
ゼウスは当然のようにテーブルの前へ座った。
「ヘラが褒美を渡したがっていたが、断っておいたぞ」
俺は動きを止めた。
「え?」
「今の時代の人間は喜ばぬことが多いと伝えておいた」
「ちなみに褒美って何だったんだ」
「アジアの支配権か、平穏な死だ」
「EXCUSE ME?」
俺はしばらく黙った。
「初めてお前に感謝する」
「初めてか」
「初めてだ」
「平穏な死は悪くなかろう?」
「死を褒美にするな」
「平穏だぞ?」
「優しい嘘みたいな言い方するな。形容詞でどうにかなる問題じゃない」
「優しい嘘か。よい言い回しだな」
「覚えるな。それ嘘つく側が使っていい言葉じゃないから」
「しかし、断って正解だっただろう?」
「正解すぎる。本当に助かった」
ゼウスは少し得意そうだった。
腹は立つが、今回は本当に助かった。
神々の褒美は怖い。
罰も怖いが、褒美も怖い。
「今日は何を見る」
ゼウスが言った。
「今日は、お前向けかな」
「私向けか」
「正確には戦士向け」
ゼウスの目が少し変わる。
「強いのか」
「ものすごく強い」
「なら見る」
「早いな」
「強い戦士は嫌いではない」
テーブルの上にはハンバーガーとポテト。
それにコーヒー。
ゼウスはハンバーガーを見た。
「これは、牛か?」
「牛だ」
「よい」
「旅人には飯を出すべきだろ」
ゼウスが俺を見る。
「分かっているではないか」
「家にギリシャ神話の神が来るからな。少しは調べた」
「良い心掛けだ」
俺はテレビをつけた。
「今日見るのはこれ。『ランボー』」
ゼウスは画面を見た。
「戦士の名か」
「そう。ジョン・ランボー」
「題名になる男か」
「そうだ」
再生ボタンを押した。
*
山道を、一人の男が歩いている。
軍用のジャケット。
長い髪。
大きな鞄。
ランボーは戦友を訪ねていた。
だが、その戦友はもう死んでいた。
戦争の後、病で死んだという。
ゼウスは画面を見つめた。
ランボーは戦友の死を聞いて、静かに立ち去る。
怒らない。
泣かない。
ただ、一人でまた歩き始める。
「仲間を失ったか」
「そう」
「戦で生き残り、帰ってから失った戦士か」
「そういうことになるな」
ゼウスは少し眉をひそめた。
「いやなノストスだ」
「ノストス?」
「英雄の帰還だ。ただ国へ戻るだけではない。帰るべき場所へ戻ることでもある」
「オデュッセウスみたいな?」
「あの男には家も妻も息子も待っていた」
「十年遅れたけどな」
「海が悪い」
「ポセイドンだろ」
「あいつの話はするな」
「兄弟だろ」
「陰険な髭面だ」
「お前も髭面だろ」
「少なくとも私は陰険ではない」
ランボーは町へ入る。
小さな町。
車。
保安官。
ティーズルが現れた。
「門番か」
「保安官」
「町を守る者だな?」
「まあ、そんな感じ」
ティーズルはランボーを車へ乗せ、町の外へ送る。
「何をしている」
「追い出そうとしてる」
「なぜだ?」
「見た目が気に入らない」
「何もしておらぬではないか」
「そうなんだよ」
町の外へ降ろされたランボーは、黙ってまた町へ向かって歩き始める。
ゼウスが少し笑った。
「戻ったな」
「そう。戻るんだよ」
「飯も食わずに帰れないからな」
「そこかな?」
ティーズルはランボーを逮捕する。
「この門番、自分が何を捕らえたか分かっておらぬな」
「そうかも」
「兵を縛るなら、兵として扱わねばならぬ」
「扱ってないな」
「愚かな門番だ」
警察署。
ランボーは服を脱がされる。
身体中に刻まれた傷が映る。
警官たちは、その意味を考えもしない。
ホースで水を浴びせる。
押さえつける。
髭を剃るため、刃物を顔へ近づける。
ランボーの呼吸が変わる。
戦場の記憶が現在へ重なっていく。
ゼウスは笑っていなかった。
「戦士を縛り、辱め、理由も聞かぬ」
「現代でも普通に駄目だよ」
「傷を見ても、まだ何を捉えたか分からぬのか」
「傷の理由までは分からないだろ」
「ならば聞けばよい」
ランボーが暴れた。
警官たちを振り払い、警察署から飛び出す。
ゼウスは驚かなかった。
「始まったな」
「何が?」
「この男の戦だ」
「町の中だけどな」
「この男には、もう戦場に見えているのだろう」
俺は画面を見た。
ランボーはバイクを奪い、逃げる。
ティーズルたちは追う。
道路から森へ。
ゼウスの姿勢が変わった。
「森へ入ったか」
「入った」
「町の者も追うのか」
「追う」
「町の者は森の歩き方を知っているのか?」
「知らないだろうな」
「ならば危ういな」
ランボーは泥と木々の中へ消えていく。
追う者たちは大声を上げながら進む。
ゼウスは淡々と言った。
「武器を持てば兵になるわけではない」
「違う?」
「森を見ておらぬ」
「森?」
「この男は木も岩も泥も見ている」
ゼウスは画面を指差した。
「追う者たちは、この男しか見ておらぬ」
「それだけで違うのか」
「全く違う」
ヘリコプターがランボーを追い詰める。
逃げ場を失ったランボーは崖から飛び降りた。
枝へ叩きつけられ、全身から血が流れる。
「これで死なぬか」
「ランボーだからな」
「強いな」
ランボーは深く裂けた腕を、自分で縫い始める。
ゼウスは少し身を乗り出した。
「自分で縫うのか」
「見てるだけで痛いよな」
「痛みはあるだろう。だが手を止めぬ」
「評価上がった?」
「良い戦士だ」
警官たちは犬を連れて森へ入る。
だが一人ずつ罠へ落ちていく。
足を取られ。
武器を奪われ。
木々の間から現れたランボーに倒される。
ゼウスは少しだけ笑った。
「見ろ」
「何だ?」
「町の者は森へ入った瞬間、客になった」
「客?」
「この森は、この男の家だ」
「なるほど」
「家主の方が詳しい」
「その理屈は分かる」
ランボーは誰も殺さない。
だが全員を圧倒していく。
最後にティーズルを追い詰める。
ナイフを首へ当てる。
「殺さぬのか」
「警告だ」
「まだ止まる気がある」
「ランボーは戦いたいわけじゃないからな」
「ならば門番が止まれば解決だな」
「止まらないんだよなー」
ティーズルはなおも追う。
ゼウスは呆れたように言った。
「負けを認めぬ者は、いつも戦を長引かせる」
*
トラウトマン大佐が現れる。
軍服を着た男。
ランボーを育てた上官だ。
ゼウスは画面から目を離さなかった。
「将か」
「元上官」
「この男を知っているな」
「誰よりもな」
トラウトマンはティーズルへ告げる。
ランボーは最高の兵士だ。
森で追えば勝てない。
ゼウスは小さく頷いた。
「よく知っている」
「訓練した側だからな」
「ならば、なぜ今まで放っておいた」
「戦争は終わってたから」
「終わったなら、なおさらだ」
「どういうこと?」
「戦場から戻る者ほど、迎える者が要る」
俺は画面を見た。
トラウトマンはランボーを止めようとしている。
ゼウスは静かに続けた。
「作ったと言ったな」
「兵士として鍛えたんだろ」
「作ったのなら、後も引き受けよ」
「兵士を作る責任か」
「ピロクテテスを思い出す」
「誰それ?」
「傷が臭うからと島へ捨てられた英雄だ」
「そんな理由で?」
「戦に必要になると、今度は迎えに行った」
「最悪だな」
「兵を武器としてしか見ぬ者は、同じ愚かさを繰り返す」
トラウトマンは警告する。
ランボーを追うな。
甘く見るな。
だがティーズルは聞かない。
「門番は将の言葉も聞かぬのか」
「意地になってる」
「この男が守っているのは町ではない。面子だ。守る物を取り違えた門番は、もはや門番ではない」
「そうかもな」
*
州兵が動き始める。
人が増える。
銃が増える。
町は、ランボー一人を相手に軍のような姿になっていく。
ゼウスはため息をついた。
「最初に飯を食わせれば済んだかもしれぬのに」
「そこまで単純じゃないぞ」
「全部とは言わぬ」
ハンバーガーを持ち上げる。
「だが、最初の一歩は違った」
ランボーは坑道へ追い詰められる。
爆発。崩落。
死んだと思われる。
ゼウスは平然としていた。
「死んでおらぬ」
「早いな」
「死体を見ておらぬ」
「映画の見方が分かってきたな」
「戦場の見方だ」
ランボーは地下を進む。
泥。ネズミ。暗闇。
やがて地上へ這い出る。
「冥府から戻ったようだな」
「地下道だけどな」
「死んだと思われた男が地の底から戻る」
「そう言われると格好いいな」
ランボーは軍用トラックを奪う。
町へ戻る。
ガソリンスタンドを爆破する。
街へ火が広がる。
店の窓が砕ける。
町そのものへ怒りをぶつけていた。
ゼウスは静かに首を振った。
「これはよくない」
「ランボーを応援してたんじゃないのか?」
「良き戦士だ。だが、これはよくない。この戦士にとってだ」
「町じゃなくてランボーにとって?」
「この戦士は国のために戦ったのだろう?帰る場所を自ら燃やしている」
炎の中を歩くランボー。
ゼウスは小さく言った。
「なんとも哀れだ」
俺はゼウスを見る。
「どうした?」
「いや、まともな事も言えるんだなと思って」
「お前は、本当に無礼な人間だ」
ランボーは警察署へ向かう。
ティーズルを追いつめる。
その時、トラウトマンが現れた。
ゼウスは少し姿勢を正した。
「将が来た」
「間に合ったな」
「間に合ってはいない」
「厳しいな」
「間に合ってなくても将は兵の前に立たねばならぬ」
トラウトマンはランボーへ呼びかける。
もう終わった。
武器を置け。
帰ろう。
ランボーは震えながら答える。
彼の戦争は続いていると。
戦友のこと。
帰国してから受けた仕打ち。
仕事がないこと。
言葉が少しずつ崩れていく。
ランボーはトラウトマンへすがるように泣いた。
部屋の中が静かになる。
ゼウスも何も言わない。
長い沈黙だった。
ようやく口を開く。
「戦士は泣く」
「そうなの? 意外だな」
「泣かぬ戦士などおらぬ」
俺は画面を見た。
ランボーの肩が震えている。
ゼウスは静かに続けた。
「アキレウスも泣いた」
「へえ」
「親友を失って泣いた」
「そうなのか」
「オデュッセウスも泣いた」
「強い英雄ばっかりだな」
ゼウスはランボーから目を離さない。
「戦場で生き残るものほど失う。だから泣く」
俺は何も言えなかった。
ランボーの叫びは、怒りではなく、助けを求める声に聞こえた。
ゼウスが小さく言う。
「英雄として戦へ出され、人間として帰る場所を失ったか」
映画は終わった。
*
俺はリモコンを取った。
画面が黒くなる。
部屋にはコーヒーの匂いだけが残っていた。
「どうだった」
ゼウスは少し考えた。
「最初は強い戦士の話だと思った」
「俺も昔はそう思ってた」
「確かに強かった」
「うん」
「だが、帰る場所の話だった」
「そうだな」
ゼウスはコーヒーを飲む。
顔をしかめた。
「苦い」
「ブラックだから」
「なぜ甘くしない?」
「先に言え」
俺は砂糖を渡した。
ゼウスは三つ入れた。
「入れすぎだろ」
「戦士の話は苦かった」
「今ちょっと上手いこと言った顔したな」
ゼウスは満足そうにコーヒーを飲む。
ゼウスは最後のポテトを食べる。
「冷めている」
「でも食うんだ」
「もてなしだからな」
立ち上がる。
「では、また明日来る」
「またな」
ゼウスが振り返った。
「次も牛か」
「映画を聞けよ」
「牛は大事だ」
「ぶれないな」
「客人だからな」
「お前はもう常連だ」
ゼウスは少し考えた。
「常連にも牛は必要だ」
神々の王はドヤ顔で帰っていった。
神話メモ
■ノストス
古代ギリシャ語で「帰還」を意味する言葉。ただ国へ戻ることではなく、家や家族、共同体へ帰り、再び人として生きる場所を取り戻すことも含まれる。『オデュッセイア』は、このノストスを描いた代表的な物語である。
■ピロクテテス
トロイア戦争へ向かったギリシャ軍の英雄。ヘラクレスの弓を受け継いだ優れた弓兵だったが、蛇に噛まれた傷が悪臭を放つことを理由に、仲間からレムノス島へ置き去りにされた。後に、トロイアを攻略するには彼とその弓が必要だという神託が下り、ギリシャ軍は自ら見捨てた英雄を迎えに行くことになる。その物語は、ソポクレスの悲劇『ピロクテテス』にも描かれている。
■アキレウスと戦士の涙
ギリシャ神話や叙事詩では、英雄も涙を流す。『イリアス』では、最強の英雄アキレウスが親友パトロクロスの死を激しく嘆き、『オデュッセイア』でもオデュッセウスは仲間や故郷を思って何度も涙を流している。涙は英雄の弱さではなく、大切なものを失った悲しみの表れとして描かれている。




