第44話 ダイ・ハード
※本編では映画の結末を含むネタバレがあります。
映画紹介
公開年:1988年
監督:ジョン・マクティアナン
主演:ブルース・ウィリス
クリスマス・イブのロサンゼルス。ニューヨーク市警の刑事ジョン・マクレーンは、別居中の妻に会うため、彼女が勤める日系企業の高層ビルを訪れる。ところが、パーティーの最中に武装集団が侵入し、社員たちを人質に取った。一人だけ拘束を逃れたマクレーンは、外部との連絡を絶たれたビルの中で、妻と人質を救うために動き始める。
ケンタッキーの箱を開けた。
フライドチキンを皿に並べ、ポテトとコールスロー、ビスケットをテーブルに置く。
ゼウスが、すぐにフライドチキンを取った。
「竜の末だな」
「フライドチキンな。覚えてたか」
「忘れるものか。あれほど大きな竜の一族が、手に収まる大きさになったのだ」
「今日の映画はこれが合うんだ。本当はクリスマスに見る方がいいんだけどな」
「クリスマス?何だそれは?」
「キリスト教の聖夜祭みたいなもんかな」
「異国の神の祭か」
「だいぶ雑だけど、まあそんな感じだ」
俺はコーラの瓶を置いた。
ゼウスが台所を見た。
「この黒い水には昨日の酒が必要だな」
「酒に関する学習だけ異様に速い」
「美味いものを忘れてどうする」
「玄関の使い方も覚えろ」
台所からラムの瓶を持ってきた。
俺のグラスにはコーラだけを、ゼウスの方にはラムを加える。
ゼウスは手に持った鶏肉を見た。
「それで竜の末を食うのか」
「そこは教義と関係ない。習慣と言うか、定番化した食文化かな。フライドチキンを食うのは日本独自みたいな話も聞く」
「では、今日の物語はその神の話か?」
「違う。『ダイ・ハード』」
ゼウスが頷いた。
「なかなか死なないか。よい題だ」
「まあ、お前は好きだと思うよ」
俺は再生ボタンを押した。
*
飛行機の座席で、ジョン・マクレーンが身体を固くしていた。
隣の乗客が、飛行機は苦手なのかと声をかける。
ゼウスが画面を指した。
「世界を守った男ではないか!」
「『アルマゲドン』のブルース・ウィリスな。今回は別の役だよ」
「分かっておる。しかし若いな。今度は何をする男だ?」
「刑事。警察官だ」
「法の番人か。よし」
「何がよしなんだよ」
「法を破る悪党と戦う男なのだろう」
「まあ、そうだけど」
「しかし星へ行った男が、空の船を怖がっていると妙な感じがするな」
「役が違うって話分かってないだろ」
マクレーンは、空港に迎えに来た運転手アーガイルとともに、ナカトミ・ビルへ向かった。
妻のホリーは仕事のため、子供たちとロサンゼルスへ移っていた。
彼はニューヨークに残った。
クリスマスを一緒に過ごすために来たものの、夫婦の話し合いは早くも口論になる。
「わざわざ会いに来て、なぜ争う」
「仲直りしたいのと、腹が立つのは別なんだろ」
「妻がよい働きをしたのなら、まず褒めればよい。娘の婚姻は認めたのに、己の妻とは揉めるのか」
「だから前の役を持ってくるな。それに前も認める前に銃ぶっ放してただろ」
「わかってはいる。だが顔を見るとどうしても思い出すのだ」
ホリーが部屋を出ると、マクレーンは一人で自分の言動を悔やんだ。
「妻に直接伝えよ。今からでも追うのだ」
「お前、夫婦の話だと急に切実になるな」
「手遅れになる前に追え」
マクレーンは、飛行機で教わった疲れの取り方を試していた。
靴と靴下を脱ぎ、床の上で足の指を動かす。
その頃、武装した男たちがビルへ入った。
電話線が切られ、警備員が倒される。
パーティーの会場に銃声が響いた。
マクレーンは靴を履く暇もなく逃げた。
ゼウスが画面へ身を寄せた。
「裸足だぞ」
「逃げる方が先だ」
「武器は持ったのだな?」
「持った」
「ならば、戦える」
武装集団を率いていたのは、ハンス・グルーバーという男だった。
落ち着いた声で社員たちへ命じ、社長のタカギを連れ出す。
マクレーンは隠れたまま、その様子を見ていた。
ハンスは金庫を開けるための暗号を要求した。
タカギは答えられない。
銃声が響いた。
ゼウスの手が止まった。
「殺したか」
「ああ」
「知らぬ者を殺しても、扉は開かぬぞ」
ハンスは別の手段で金庫を開けさせ、部下たちを配置につけた。
ゼウスは皿から目を離したままだった。
「……こやつ、開ける手立てを持っていたのか」
「脅しだけじゃなかったな」
「あの刑事が討つ相手は分かった」
*
マクレーンが助けを呼ぼうとしたことで、侵入者たちに存在を気づかれた。
確認に来た男と、階段で揉み合いになる。
二人はもつれたまま転がり落ちた。
マクレーンが起き上がる。
相手は動かなかった。
ゼウスが息を吐いた。
「一人」
「こっちも危なかったけどな」
「身体を離さなかった。よくしがみついた」
「マクレーンは綺麗な勝ち方じゃないのがいいんだよ」
マクレーンは敵の銃と無線機を手に入れた。
靴も履こうとしたが、足に合わなかった。
ゼウスが眉を寄せた。
「武具は奪えたのに、履き物は得られぬとは」
「銃より困ってるな」
「足が使えねば逃げられぬ。次は足の大きな敵を倒さねば」
「靴屋みたいに敵を選べるか」
「では、先に大きさを聞け」
「相手に足のサイズ確認してから始まる銃撃戦なんてない」
倒した男は、サンタの帽子をかぶせられてエレベーターで送り返された。
自分も機関銃を手に入れたという、マクレーンからの伝言つきだった。
ゼウスが笑った。
「わざわざ飾ったのか!」
「嫌がらせだよ」
「よい。敵は一人を失い、残った者は見えぬ相手を捜すことになる」
「そういう効果もあるけど、本人がちょっと楽しんでるだろ、これ」
「その余裕を敵に見せる事も大事だ」
「心理的に嫌なプレッシャーには確かになってるな。それにしても刑事がやる事じゃないけど」
マクレーンは敵に追われ、狭い通風口へ入り込んだ。
ライターで照らしながら、身体を這わせていく。
ゼウスは自分の肩幅を見た。
「私なら入れぬな」
「まず鎧みたいな肩と胸をどうにかしないとな」
「なに、姿を変えれば済む」
「本人は変えられないから、這ってるんだよ」
マクレーンは、妻に誘われて楽しいクリスマスを過ごすはずだったと、一人で悪態をついた。
ゼウスが笑った。
「裸足の男が、また文句を言っておる」
「靴が無いでマクレーンを固定するなよ」
「這いながらでも文句は言えるのだな」
「こいつは文句で呼吸してるからな」
通風口のすぐ近くに、敵が迫る。
ゼウスが口を閉じた。
俺もグラスを置いた。
画面の男が息を殺している間、テーブルの上でも氷が溶ける音だけがした。
敵が離れる。
ゼウスが椅子の背から身体を起こした。
「喉が渇いた。声を出せぬと思うとこちらまで渇く」
「お前は黙ってる必要なかったんだけどな」
*
無線で助けを求めても、すぐには信じてもらえなかった。
その頃、警官のアル・パウエルは、店で菓子をまとめ買いしていた。
カウンターには、クリーム入りのスポンジケーキが積まれている。
ゼウスが画面を指した。
「この男はあれを全部、一人で食うのか?」
「妊娠中の奥さんが食べるんだって言ってるな。嘘っぽいけど」
「なぜ妻の分だと嘘をつく必要がある」
「一人全部食べると思われるのがはずかしいからだろ」
「驚きはするが、よく食べることは恥ではない。ただ食う量に比べて鍛錬は足りて無いようだ」
「そう言うところだぞ。人を辱めるのは」
会計をしていたパウエルに、無線で指示が入った。
菓子の袋を車に積み、ナカトミ・ビルの確認へ向かう。
だが入口には異常がない。
帰ろうとするパウエルの車に、上から男の死体が落ちた。
ゼウスがテーブルに手をついた。
「大胆に知らせたな!」
「もう帰りかけてたからな」
「煙より確実だ」
「狼煙と比較するな」
パウエルが応援を呼び、ビルの周囲へ警察が集まった。
ゼウスが頷いた。
「この菓子の男は話聞くようだ。ようやく話せる相手を得たな」
「パウエルな」
「中にいる者の話を聞けば、中のことが分かる」
「その当然が通じない人も来るんだよ」
警察の指揮官ロビンソンは、マクレーンの情報を簡単には信用しなかった。
突入した警官たちは、ビルからの激しい攻撃を受けた。
装甲車まで狙われる。
マクレーンは奪った爆薬を使い、上から敵を吹き飛ばした。
爆発がビルを揺らす。
ゼウスが声を上げた。
「よし!」
「派手にやったな」
「我が雷霆ほどではないが、見事だ」
「お前がやったら建物ごと消えるだろ。奥さんも中にいるんだぞ」
「そこは加減する」
「爆発で喜んでた神を信用できない」
助けられたはずの警察側から、マクレーンは叱られた。
破壊が大きすぎるという。
無線越しに口論が始まった。
ゼウスが顔をしかめた。
「自分の兵を助けてもらったのではないか」
「建物を爆破していいわけでもないけどな」
「ならば、先に己の兵を退かせよ」
「そこは俺もそう思う」
「この指揮官が命令を出すたび、裸足の男の敵が増えておるぞ」
マクレーンは悪態をつきながら、またビルの中へ戻った。
ゼウスは残ったポテトを口に入れた。
「助けを呼ぶのも難業だな」
*
人質の一人、エリスがハンスとの交渉を買って出た。
自分ならマクレーンを説得できる。
商談のように話を進めようとする男を、ハンスは静かに迎えた。
ゼウスが眉を寄せた。
「こやつは何を差し出す気だ」
「マクレーンを説得するって言ってる」
「本人と話はついておるのか?」
「ついてない。口先だけで何とかするつもりなんだよ」
マクレーンは降伏しなかった。
ハンスはエリスを撃った。
ゼウスはグラスを置いた。
「相手を見誤ったな。王でもなければ、使者を尊ぶ者でもない。そして口先だけで何とかなる悪党でもなかった」
「そもそも最初に社長を殺してるからな」
そのハンスが、一人でマクレーンと鉢合わせた。
銃を向けられた瞬間、表情が変わる。
怯えた社員を装い、アメリカ人のように話し始めた。
ゼウスが身を乗り出した。
「化けたぞ」
「服はそのままだけどな」
「声と顔つきだけで、あれほど変わるか」
「こいつも上手いんだよ」
マクレーンは、相手がハンスだと知っているのか分からない顔で話した。
さらに拳銃まで渡す。
ゼウスの手が止まった。
「渡すな」
「見てろ」
「そやつが敵の頭だ!」
「画面には聞こえない」
ハンスが銃を向けた。
引き金を引く。
弾は入っていなかった。
ゼウスが膝を叩いた。
「敵を試したのか!」
「そのまま信じる男じゃないんだよ」
「疑り深い男だ。オデュッセウスを思い出す」
「そんなに疑り深かったのか?知略の話はよく聞くけどな」
「他人の言葉を鵜呑みにせぬ男だ。故郷に戻り、姿を変えた我が娘アテナに会った時にも、嘘の身分をでっち上げておった」
「徹底してるな。というか、やっぱり詳しいな」
「アテナに散々聞かされたからな。あの男の様子を見てきては、いかに素晴らしいかを延々と語る。終わったかと思えば、今度はいかに不憫かをまた延々と語るのだ」
「推しの尊さを父親にまで熱弁するタイプの限界オタクか」
そこへ敵の仲間が現れ、銃撃戦になった。
ハンスはマクレーンが裸足だと知り、周囲のガラスを撃たせる。
床に破片が散った。
ゼウスが足を引いた。
「履き物を得られなかったのが、ここで来たか」
「見てるだけで痛いんだよな、ここ」
マクレーンは血を流しながら逃げた。
銃弾を避けても、足を下ろす場所がない。
ゼウスはもう、何も言わなかった。
*
マクレーンは洗面所で、足に刺さったガラスを抜いていた。
パウエルとの無線だけがつながっている。
汗と血にまみれた男が、歯を食いしばって足を手当てする。
ゼウスが低く言った。
「よく耐えておる」
「弱音も吐くし、痛がるんだけどな」
「痛いのだから当然だ。この男は痛みでも理不尽でも歩みを止めぬ」
俺は画面へ目を戻した。
パウエルは、自分が現場を離れた理由を話した。
子供の持っていた玩具の銃を、本物と思って撃ってしまった。
それ以来、銃を抜けなくなったという。
マクレーンは、からかうのをやめた。
ゼウスも黙って聞いていた。
「この菓子の男は命の重みを知り武器を取れなくなったか」
「ああ」
「それでも、声は届けておる」
マクレーンはパウエルへ、もし自分が戻れなければ、妻へのメッセージを伝えてほしいと頼んだ。
妻が仕事で成功したことを、自分は喜んでやれなかった。
ゼウスは皿に置いた鶏の骨を見た。
「ようやく本音を言えたか」
「奥さんには、まだだけどな」
パウエルは、自分で伝えろと返した。
マクレーンは無線を持ったまま、しばらく座っていた。
俺はコーラを飲んだ。
「この男は来た時から、全部うまくいってない。それでも自身も妻も生きておる。話す機会は残っている」
マクレーンが立ち上がった。
傷ついた足を床につけ、また歩き始める。
ゼウスも、椅子から少し身体を起こした。
*
外ではFBIが指揮を引き継いだ。
ビルの電気が止められる。
その瞬間、ハンスたちが開けられずにいた金庫の最後のロックが外れた。
ゼウスが目を見開いた。
「開いたぞ」
「電気を止めるのを待ってたんだよ」
「敵に扉を開けさせたのか!」
金庫の中に、彼らの狙っていた証券が並んでいた。
ゼウスが背もたれに寄りかかった。
「大した盗人だ」
「そこは認めるんだな」
「討つべき相手でも、知恵がある。あの裸足の男が苦労するわけだ。こいつは手強いぞ」
「マクレーン本人は絶対そう思ってないぞ」
ハンスたちは、人質を屋上へ集めようとしていた。
救出のヘリコプターを待たせるためではない。
屋上ごと爆破し、自分たちも死んだように見せかける計画だった。
ゼウスの顔から笑いが消えた。
「盗んだ後に、皆殺しか」
「逃げ切るためにな」
「この悪党共は一人も逃がすな」
「やるのはマクレーンだから」
「あの裸足の男ならばやれるはずだ」
「お前が言うと英雄の難業になる」
マクレーンは、敵を倒しながら屋上へ向かった。
その間に、テレビの報道が彼の子供たちを映した。
ハンスが、ホリーとマクレーンの関係に気づく。
ゼウスが画面を指した。
「家族を知らせたぞ!」
「勝手に家へ押しかけて、子供を映したんだよ」
「敵にも見えるではないか!」
「それを考えないから、ああやって放送する」
「この語り手は、救出の手助けは考えないのか?」
「自分の番組を見てもらう事しか考えてないんだろ」
ゼウスは口を閉じた。
ハンスはホリーを手元に残した。
*
マクレーンは屋上の人質を追い立てた。
爆発まで、時間がない。
だが近づいてきたヘリコプターからは、彼が人質を襲っているように見えた。
機銃が火を噴く。
ゼウスが立ち上がった。
「そやつを撃つな!」
「向こうには犯人に見えてる」
「味方であるはずの相手が、今度は撃ってくるのか!」
人質は逃げた。
マクレーンは屋上に残された。
彼は消火用のホースを身体に巻き、ビルの外へ飛び出した。
ゼウスが両手を広げた。
「飛んだぞ!」
背後で屋上が爆発した。
炎の下で、マクレーンの身体が宙に振られる。
窓へぶつかる。
中へ入ろうとする。
ゼウスは、立ったまま動かなかった。
「割れ!」
「さっきまでガラスに苦しめられてたのにな」
窓が割れ、マクレーンが転がり込んだ。
だが、落ちていくホースの設備に引かれ、身体が再び外へ滑る。
「外せ!」
ゼウスが自分の腰を叩いた。
マクレーンは、身体を縛っていたホースを外した。
窓の外へ引きずり出される直前だった。
床に倒れたまま、息をする。
ゼウスも息を吐き、ゆっくり座った。
「……よく生きておる。実にしぶとい男だ」
「題名どおりだろ」
「もう休ませてやりたいが、まだ妻が残っておる」
ゼウスは、すぐに画面へ向き直った。
*
地下の駐車場では、運転手のアーガイルが敵の逃走を阻んだ。
ゼウスが指した。
「あの御者も働いたぞ」
「待ってるだけで終わらなかったな」
「帰るための車も守らねばならぬ」
マクレーンは、ホリーを捕らえているハンスのもとへたどり着いた。
残った弾は二発。
正面から戦えば、妻が撃たれる。
彼は拳銃を背中に隠し、手を上げて姿を見せた。
ゼウスが肘をテーブルについた。
「近づくのか」
「二発しかないからな」
ハンスが笑う。
マクレーンも笑った。
血まみれの顔で、相手に合わせて声を上げる。
ゼウスは何も言わなかった。
次の瞬間、マクレーンが背中の銃を抜いた。
二発の銃声。
敵の一人が倒れ、ハンスは窓の外へ落ちかけた。
ゼウスが拳を握った。
「よくやった!」
だがハンスは、ホリーの腕時計をつかんでいた。
彼女まで窓から引きずり落とされそうになる。
「まだ離さぬか!」
マクレーンは妻を支え、腕時計の留め具を外した。
ハンスの手から、つかむものがなくなる。
高層ビルの窓から、男が落ちていった。
ゼウスが深く息を吐いた。
「今度こそ討ったな。敵もまたしぶとい男であった」
「ああ」
マクレーンはホリーを抱き寄せた。
ゼウスは、そのまま二人を見ていた。
俺は冷めたポテトを一本取った。
「最初は、ただの夫婦喧嘩だったのにな」
「帰ったら喧嘩の続きをせねばならぬな」
「そこはもう、仲直りさせてやれよ」
「その前にこの男が謝ると決めたであろう。まだ妻には言っておらぬ」
「そうだったな」
*
ビルから出てきたマクレーンは、パウエルと初めて顔を合わせた。
二人は互いを見つけ、抱き合った。
ゼウスが頷く。
「ようやく会えたか」
「ずっと声だけだったからな」
「よい戦友を得た」
「一晩だけど、長い付き合いになった感じがするな」
その時、倒したはずのカールが現れた。
マクレーンたちへ銃を向ける。
別の銃声が響いた。
撃ったのはパウエルだった。
ゼウスが顔を上げた。
「菓子の男が守ったか」
「ああ。銃は撃てなかったはずなのにな」
「必要な時迷わずに撃った。菓子の男は恐怖で武器を取れなかったのではない。命の重さを知った。次に武器を取る時は、間違いのない時だと魂が納得するため必要な時間だったのだろう」
「そう評価したなら菓子の男と呼ぶのやめろよ」
「うむ。命の重さを知る菓子の戦士だ」
「最後で台無しだよ。菓子が入るだけでメルヘンになる」
マクレーンは妻とともに、パウエルの姿を見た。
ゼウスは短く頷き、グラスを取った。
「一人で大勢を討ったが、一人だけの働きで帰れたわけではないな」
「運転手もいたしな」
「オデュッセウスにも、戻った家で味方をする者がおった。豚飼いのエウマイオスと、牛飼いのピロイティオスだ」
「王や戦士じゃなくても、一緒に戦ったのか」
「主が帰らぬ間も家を支え、最後には武器を取った」
「この二人も、いいところで助けるよな」
「肩書きだけで味方は選べぬ。あの指揮官より、御者の方が役に立ったぞ」
「そこは否定できない」
子供たちを取材した記者が、マクレーンたちに近づいた。
ホリーが殴った。
ゼウスが吹き出した。
「妻も一人討ったぞ!」
「死んでねえよ」
「よい拳だ。夫婦ともに戦える」
「こいつに関しては、まあ殴られても仕方ないな」
アーガイルの運転するリムジンが来た。
マクレーンとホリーを乗せ、ビルから離れていく。
クリスマスの歌が流れた。
*
ゼウスは、皿に残っていた最後のチキンを取った。
「よい男だった」
「気に入ると思ったよ」
「よく愚痴を言い、よく走った」
「英雄の碑文にそれを刻むなよ」
「裸足で、も加えるべきか」
「靴を買えなかった人の墓になるだろ」
「口では帰りたがっておったが、助けるために戻った。裸足でもな」
「自分以外にやれる奴がいなかったからな」
「だから、やったのであろう」
ゼウスは衣を噛んだ。
俺は空き箱を重ねた。
「前は世界を救って、今度はビル一つだけど」
「妻を救う方が世界を救うより難しい時がある」
「そこは規模で比べられないか」
俺も頷いた。
画面では、エンドロールが続いている。
ゼウスはチキンとグラスを交互に見た。
「ところで、人間はこれを聖夜祭に見るのか」
「見る人はいる。俺もクリスマスに見たくなる」
「異国の神を祝い、竜の末を食い、酒を飲みながら、男が賊を討つ物語を見る」
「並べると、ずいぶん血生臭い祝い方だな」
「何が悪い?」
俺はゼウスを見た。
「肉があり、酒があり、詩人が英雄の働きを語る。よい宴ではないか」
「聖なる夜に見る話としては、死ぬ奴が多いだろ」
「宴で聞く物語の中まで、宴である必要はなかろう」
「……それはそうだな」
ゼウスは、骨についた肉を取った。
「デモドコスも宴でトロイアの陥落を歌った。皆が食事をしながら聞く話だぞ」
「こっちはビル一つだから、むしろ穏やかか」
「妻とともに帰れたのだ。祝いの席にもよい話だ」
俺はケンタッキーの空き箱を潰した。
「お前に言われると、普通の宴会になってくるな」
「初めからそうだ」
ゼウスが空の皿を差し出した。
「竜の末を、もう少し出せ」
「もうない」
「宴には肉が足りぬ」
「一人で何個食ったと思ってんだよ」
神々の王は、聖夜に何人死んだかより、食卓に何個チキンが残っているかを問題にしていた。
神話メモ
◾️オデュッセウスの帰還
『オデュッセイア』は、トロイア戦争を終えたオデュッセウスが、長い放浪を経て故郷イタケへ帰る物語である。帰国後も、その家には妻ペネロペへ求婚する男たちが居座っていた。彼は身をやつして屋敷へ入り、味方を確かめ、武器を整えて求婚者たちを討つ。故郷へ到着するだけでなく、家と家族との関係を取り戻すまでが、帰還の物語として描かれる。
◾️オデュッセウスの疑り深さ
オデュッセウスは知略だけでなく、他者の言葉を簡単には信じない人物として描かれる。カリュプソーから帰国を許されても罠を疑い、害を加えないという誓いを要求した。故郷イタケへ戻った後も、変装したアテナに素性を尋ねられると、本名を明かさず偽の身の上話を語っている。
◾️アテナのオデュッセウス贔屓
知恵の女神アテナは、『オデュッセイア』を通じてオデュッセウスに強く肩入れしている。神々の会議では彼の帰還を訴え、息子テレマコスを導き、帰国後は変装や求婚者討伐を助けた。正体を隠して嘘をつくオデュッセウスを咎めるどころか、その抜け目なさを高く評価し、自身も知略に秀でた神であることを語っている。
◾️エウマイオスとピロイティオス
エウマイオスは豚飼い、ピロイティオスは牛飼いで、いずれもオデュッセウスの家に仕える者である。主が長く不在である間も忠誠を失わず、帰還したオデュッセウスに味方した。求婚者たちとの戦いでは、テレマコスとともに武器を取って戦う。王や貴族だけでなく、家を支えてきた者たちも、屋敷を取り戻す重要な働きを担っている。
◾️デモドコスと宴の歌
デモドコスは、『オデュッセイア』に登場するパイエケス人の盲目の歌人である。アルキノオス王の宴で、竪琴とともに英雄や神々の物語を歌った。オデュッセウスの求めに応じて木馬とトロイア陥落を歌った。宴の歌は娯楽であると同時に、英雄の名や過去の出来事を人々へ伝える役割を持っていた。




