第43話 メリーに首ったけ
※本編では映画の結末を含むネタバレがあります。
映画紹介
公開年:1998年
監督:ピーター・ファレリー、ボビー・ファレリー
主演:キャメロン・ディアス、ベン・スティラー、マット・ディロン
高校時代、憧れのメリーとの初デートを大失敗で逃したテッド。十三年後も彼女を忘れられない彼は、私立探偵を雇って消息を調べ始める。ところが、マイアミでメリーを見つけた探偵まで彼女に夢中になり、依頼人へ嘘の報告をしてしまう。再会を願うテッドと、彼女を取り巻く一癖も二癖もある男たち。恋の競争は、次々と予想外の騒動を引き起こしていく。
フライパンで煮ていた牛ひき肉を、白い飯の横に盛った。
玉ねぎとピーマン、刻んだニンニクを炒め、トマトと一緒に煮込んである。緑のオリーブとレーズンも加えた。
横にはレタスとトマトのサラダを置いた。
ゼウスが皿を覗いた。
「牛に葡萄とオリーブか」
「ピカディージョって言うキューバ料理だ」
「なかなか良い土地のようだな」
「お前うまそうな食い物があると、どこでも褒めるな」
ゼウスは肉をすくい、飯と一緒に口に入れた。
「葡萄が甘い。肉の中から甘い物が出てくるのは癖になるな」
「そこは好き嫌い分かれるけどな」
ゼウスは、もう一口すくった。
「煮込んだトマトも、そっちのサラダのも、うちの爺さんが送ってきたやつだ」
「お前の祖父が育てたのか?」
「家庭菜園やってる。趣味っていうか、もう生き甲斐だな。採れると、たまに送ってくるんだよ」
ゼウスはサラダのトマトを口に入れた。
「よく実っておる。祖父へ礼を伝えよ」
「伝えるけど、誰が褒めたかは言えねえな」
「神々の王が美味いと言ったのだぞ」
「爺さんに、送ってくれたトマトよく実ってたと神々の王が褒めてたよと言えと。自分のトマト食って孫がおかしくなったと思いかねない」
俺はビールの缶を渡し、自分にはペプシを注いだ。
「今日はお前は酒を飲まぬのか?」
「お前が毎晩飲み過ぎなんだよ」
「酒は神と人間を繋ぐ。心を解放し活力を与える」
「いつから酒を司る神に転向したんだよ」
ゼウスはスプーンで、皿の肉を示した。
「この料理は今日の物語に出るのか?」
「いや、出ない。映画の舞台がマイアミ。キューバから来た人が多くて、こういう料理が名物になってる」
「なるほど土地の味か」
「今日は『メリーに首ったけ』を見る」
ゼウスが俺を見た。
「女の名か?」
「そうだ。その女に夢中になるって話かな。文字通り」
「求愛の話か。私の得意分野だ。任せよ」
「自信満々だけど、お前一番任せてはいけない神だろ。出てくる男たちが雷で丸焦げにされそうだし」
俺は再生ボタンを押した。
*
高校生のテッドは、メリーに憧れていた。
彼女の家族であるウォーレンがからかわれているところに割って入り、それをきっかけにメリーと言葉を交わす。
やがて彼女の方から、卒業のダンスパーティーへ一緒に行こうと誘われた。
ゼウスが頷いた。
「誘われたのだぞ。早く承諾せよ」
「お前みたいに慣れてないんだよ」
当日、正装したテッドはメリーの家を訪ねた。
だが、トイレに入ったところで事故が起きる。
ズボンのファスナーに、局部をを挟んだ。
ゼウスのスプーンが止まった。
「……何を挟んだ?」
「お前が今思ったものだよ」
テッドは動けない。
様子を見に来たメリーの父親が覗き込み、母親まで呼ばれる。
ゼウスが膝を閉じた。
「なぜ、そこに金属の歯をつける」
「普通は挟まないように閉めるんだよ」
「布を巻いておけば起こらぬ事故だ」
「技術進歩には新しい故障モードが伴うんだよ」
メリーの継父が挟まってるのはフランクフルトか豆か聞いた。
「人間よ」
「どうした?」
「腸詰と豆を今日の食卓に並べようとは思わなかったのか?」
「……一瞬考えはした。でもすぐ却下した」
「懸命な判断だ」
救助に来る人間が増えた。
テッドの周囲に大人たちが集まり、どう外すかを話し合う。
ゼウスが肩を震わせ始めた。
「娘を迎えに来た男の股を、家中の者が見ておる」
「説明するな。余計にひどくなる」
「父との挨拶も済ませぬ前に」
「済んだとしても、全部これで上書きされるな」
ファスナーを動かす。
悲鳴が上がった。
ゼウスは自分の膝を押さえたまま、声を上げて笑った。
「笑うか怯えるか、どっちかにしろ」
「笑いと痛みは両立できるのだな」
「ファレリー兄弟の作品原理を一文で理解したな」
テッドは救急車で運ばれていった。
ダンスパーティーには行けなかった。
「この男は、次にどうやってこの家を訪ねるのだ」
「思春期にこれは地獄だな」
「この家では股を挟んだ男として記憶されるぞ」
「嫌な名の残し方だな」
*
十三年が過ぎても、テッドはメリーを忘れられなかった。
友人ドムに勧められ、私立探偵ヒーリーに彼女の消息を調べてほしいと依頼する。
「十三年か」
ゼウスがビールを飲んだ。
「長い求愛だな」
「求愛はしてない。連絡も取ってない」
「では、十三年も何をしておった?」
「忘れようとはしたんじゃないか」
「股を挟んだ事を忘れられるとは思えぬ」
「それ込みでトラウマみたいになってる」
ヒーリーは、マイアミでメリーを見つけた。
彼女は整形外科医になっていた。
ゼウスが画面へ少し近づいた。
「なんとも美しく成長したものだ」
「キャメロン・ディアス。この映画の顔だな」
「これなら十三年忘れられぬのも無理はない。股を挟まずとも忘れぬだろう」
「お前は、そろそろ股を忘れろ」
ヒーリーはメリーの暮らしを調べた。
見ているうちに、依頼人へ報告する男の顔ではなくなっていく。
「こやつも欲しくなったか」
「探偵として終わってるだろ」
「欲すべきでない相手を欲しくなることはある」
「自己紹介か?」
「……普遍的な話だ」
「個人的な話だろ」
メリーのそばには、日に焼けた年配の女性マグダがいた。
昼間から、脚の長いグラスで酒を飲んでいる。
ゼウスがそちらを指した。
「あの日に焼けた女が飲んでおるものは何だ?」
「あれか?マティーニだな」
「酒か?」
「強い酒を混ぜたカクテル」
「実に美味そうに飲むな。私にもそれを出せ」
「ねえよ。ジンもベルモットもないから無理だ」
ゼウスは自分の缶を見た。
「この家には、酒を混ぜることができぬ掟でもあるのか?」
「材料がないって話をしてんだ」
ゼウスが、もう一度マグダのグラスを見た。
俺は立ち上がった。
「仕方ねえな。別のやつなら作れる」
台所からラムの瓶を持ってきた。
氷を入れたグラスに注ぎ、俺のペプシで割る。
ゼウスは鼻を近づけた。
「甘い香りだな」
「ラムのコーラ割り。マイアミでも似たようなのは飲む。ライムはないけど、まあいいだろ」
「最初からこれを出せばよかったではないか」
「ビールでいいと思ったんだよ。飲みやすいけど酒は入ってるから、調子に乗って飲みすぎるなよ」
ゼウスは一口飲んだ。
「ふむ、よい味だ。確かに飲みやすい」
*
ヒーリーはテッドのもとへ戻り、メリーについて嘘の報告をした。
昔の姿とはすっかり変わり、子供も何人もいるという。
依頼人を諦めさせ、自分が近づくつもりだった。
「嘘の報告で報酬を受け取り、求婚者まで減らすのか」
「完全に詐欺だな」
「手際だけはよい」
「詐欺の手際を褒めるなよ」
マイアミへ戻ったヒーリーは、調べた情報を使ってメリーに接近する。
彼女の好む男になるため、職業も人柄も作り替えた。
「建築家なのか?」
「嘘だよ。彼女が建築家が好きだから」
「なるほど」
ゼウスはラムのコーラ割りを飲んだ。
「人間は姿を変えられぬから、話を変えるのだな」
「同業者を見つけたみたいな顔だぞ」
「一緒にするな。私はもっと変えたぞ」
「知ってるよ。牛だの白鳥だの。恋愛の履歴書が動物図鑑なんだよ」
「ヘラにはカッコウの姿で近づいた」
俺はグラスを置いた。
「なんでカッコウ?」
「愛らしい鳥であれば、手元に置きたくもなるであろう」
「正体を知ってたら、同じようには置かなかっただろうな」
「だがヘラは今も私を夫として置いておる」
「順番の話をしてるんだよ」
画面ではヒーリーが、メリーの関心に合わせて話を続けていた。
ゼウスは満足そうに頷いた。
「望まれる姿を取る。求愛の工夫だ」
「お前がこいつを裁くのに相応しい神じゃないのは分かった」
ヒーリーはマグダの犬に吠えられないよう薬を与えた結果、犬が動かなくなる。
慌てて蘇生させようとし、騒ぎはさらに大きくなった。
ゼウスがグラスを遠ざけた。
「何をしておる!」
「犬に好かれてると思わせたかったんだよ」
「だからといって犬に薬を盛るな」
ちぎった卓上ランプの電源コードで電気ショックを与えた犬から煙が上がった。
「雷で犬を焦がしたぞ!」
「お前の雷と一緒にするなよ」
「私は求愛のために犬を焦がすなどせぬ」
「人は?」
「人間も焦がしてない……はすだ」
「そこは断言してくれ」
*
テッドは、ヒーリーの報告が嘘だと知った。
自分でメリーに会うため、マイアミへ向かう。
その間にも、彼女の周囲では男同士の妨害が進んでいた。
松葉杖を使う建築家のタッカーが、ヒーリーについて悪い噂を吹き込む。
だがヒーリーが調べると、タッカーも建築家ではなかった。障害を偽り、彼女のそばに居続けていた。
ゼウスが笑った。
「こやつも偽者か。本物はどこにおる?」
「本物の建築家は建物でも造ってんだろ」
正体を知られた男と、正体を暴いた男が向き合った。
どちらもメリーを諦めるつもりはない。
ゼウスは皿に残ったオリーブをすくった。
「我が娘ヘレネの時にも、求婚者が集まった」
「ヘレネか」
「うむ。選ばれた夫の婚姻が侵された時には、皆で守ると誓わせた。選ばれなかった者が争いを起こさぬようにな」
「恋敵を全員、相互抑止力と護衛にしたのか」
「オデュッセウスの知恵だ」
「仕組みとしては分かるけど、よくそんなのに同意したな」
「それほど妻に迎えたかったのだ」
ゼウスは画面の男たちを見た。
「こやつらにも、先に誓わせておくべきだったな」
「でもその誓いで、後からトロイアへ行くことになったんだろ」
「誓いは守らねばならぬ」
「誓いで国一個消滅してるぞ。滅ぼされた方はたまったもんじゃない」
メリーは、そんな取り決めを知らないまま暮らしている。
男たちは彼女に気に入られるための嘘と、ほかの男を嫌わせるための嘘を増やしていた。
「全員、本人に選ばせる前に相手を消そうとしてる」
「お前、男達に共感してないか?」
「卑怯で滑稽だ。だが理解はできる。それほどの女だ」
「理由になってねえよ。まあ俺も分かるけど」
*
テッドはメリーと再会した。
彼女は昔の彼を覚えていた。
二人で出かける約束までできた。
「よし」
ゼウスが頷いた。
「股を挟んだ男も上手いこと誘えたな」
だがテッドは、デート前の緊張を鎮める方法をドムから教わった。
部屋で一人になり、済ませておく。
「それで落ち着くのか?」
「そういう助言だよ」
「戦の前に武具を磨くようなものか」
「例えなくていい」
支度を終えたテッドは、始末したはずのものが見当たらず、洗面所を捜した。
そこへメリーが迎えに来る。
彼女はテッドの耳元を見た。
何かついている。
ヘアジェルだと思ったメリーは、それを指に取り、自分の髪へつけた。
ゼウスが口を押さえた。
俺もグラスを置いた。
次の場面で、メリーの前髪が立っていた。
ゼウスは声を上げて笑った。
「これは伝えることも出来ぬ」
「今言ったら、たぶんデートが終わる」
テッドは、前髪を立てたメリーと向かい合った。
本人は何も知らず、普通に話している。
ゼウスは笑いながら、何度も額を指した。
「目を合わせても、その上にある!」
「逃げ場がないな」
俺はペプシを一口飲んだ。
メリーは、テッドの話を聞いて笑った。
身体を少し前に傾け、相手の顔を見る。髪は立ったままだった。
ゼウスの笑いが収まった。
「しかし、愛らしい女だ。髪はおかしい。だが、よい顔で笑う」
「分かる」
ゼウスは、また画面を見た。
「この映画のキャメロン・ディアス、ほんとすげえんだよな」
「うむ、美しい」
「それもあるけど。こいつらが全員おかしくなるのを、まあ分かるって思っちゃうんだよ。メリーがちゃんと魅力的に見えるから映画が成立してる」
「こやつらは、おかしくなりすぎだがな」
「鳥類や偶蹄目に化けるやつには言われたくないと思うぞ」
画面のテッドは、メリーから目を離せずにいた。
俺は椅子の背に寄りかかった。
「ヘレネも、こうだったのか?ただ顔が綺麗ですってだけじゃ、あんな誓いまでしないだろ」
「美しい顔だけが欲しいなら、像を造らせればよい」
「家に飾るのとは違うか」
ゼウスが少し胸を張った。
「だからパンドラには、姿だけでなく、声も魅力も与えさせた」
「パンドラって、箱を開けた人か?」
「箱ではない。甕だ。ヘパイストスが形を造り、アテナが技を授け、アフロディーテが魅力を与えた。言葉はヘルメスだ」
「神々が総出で?」
「私が命じた」
「お前の企画立案なのか」
「人間が喜んで受け取る贈り物にしたのだ。プロメテウスが火を盗んだ報いとしてな」
俺はゼウスを見た。
「今、女性の魅力の話から、嫌がらせの成功談に移ったぞ」
「美しく造れたことは確かだ」
ゼウスはラムのコーラ割りを飲んだ。
「人間だけでも、よい女は生まれるものだな」
「キャメロン・ディアスを見て、人類の出来を確認するなよ」
*
テッドとメリーの距離が縮まる一方で、ヒーリーとタッカーは手を組んだ。
今度はテッドを追い払うため、マグダの犬に薬を仕込む。
「誓いもなしに同盟ができたぞ」
ゼウスが指した。
「お前の提案と逆の目的だけどな」
「二人で一人を追い払って、その後はどうするつもりだ?」
「また二人で争うんだろ」
「先を考えておらぬな」
「そこまで考える頭があったら犬に薬は盛らないと思うぞ」
薬で興奮した犬が、テッドへ襲いかかった。
小さな身体で飛びつき、噛みつき、男を部屋の中で振り回す。
ゼウスが身を乗り出した。
「強いぞ!」
「小型犬だぞ」
「大きさではない。見ろ、離さぬ!」
テッドは顔に飛びついた犬を引き剥がそうとした。
家具が倒れ、女たちが叫ぶ。
「なぜ組み合う。先に口を押さえよ!」
「助言が格闘技になってる」
「噛む相手へ顔を出すな!」
「今度は真面目に応援してるのかよ」
争いの末、犬が窓から飛び出した。
ゼウスが立ち上がった。
「ああ、犬が!」
俺たちはしばらく、画面を見た。
ゼウスがゆっくり座り直す。
「この犬は、男が来るたびに災難に遭うな」
「一番ひどい目に遭ってるかもしれない」
「番犬の務めを果たしておるだけなのに。美しい女の家を守るのも、命がけか」
「ギリシャの難業に入れるな」
*
メリーのもとへ、匿名の手紙が届いた。
テッドが探偵を雇って、自分を調べさせていたことが書かれていた。
彼女はテッドを拒んだ。
ゼウスが腕を組んだ。
「知られたか」
「隠してたからな」
「消息を尋ねたかったのだろう?」
「会ってからも、探偵を雇ったことは黙ってた」
「同じ女を追って、同じ家へ来た男ではあるな」
「程度の差なんだよな」
テッドはヒーリーたちに詰め寄った。
だが手紙を送ったのは、別の男だった。
友人ドム。
彼こそ、メリーが逃げていた昔の恋人ウギーだった。
ゼウスが俺を見た。
「友人までか!」
「ああ妻も子もいる友人だ」
「…そうか」
ゼウスが黙った。
俺は顔を向けた。
「ところで既婚者の求愛について神々の王の意見を聞きたいんだけど」
「神の言葉は軽くない。自身で知れ」
「デルポイの格言っぽく言うなよ」
メリーに執着するドムへ、ほかの男たちまで加わった。
求婚者が増えるたび、まともな者を捜すのが難しくなる。
「逃げた女を追う者は時に行きすぎる」
ゼウスが言った。
「お前の家にもいそうだな。お前含めて」
「アポロンもダプネを追いかけた」
「どうなった?」
「追われた娘は、最後には月桂樹になった」
「逃げるために人間やめたのかよ」
「アポロンはその木を己のものとした」
「なんだその話。追われた方からしたら最悪の結末じゃねーか」
ゼウスはグラスへ手を伸ばした。
「求愛は、思うようには進まぬものだ」
「それで済ましたらダメだろ」
そこへテッドが戻ってきた。
連れてきたのは、メリーの元恋人ブレットだった。
有名なアメリカンフットボール選手で、ウォーレンを侮辱したという嘘のために、彼女と別れていた。
ゼウスが顔を上げた。
「まだおったか」
「今度は本物の有名選手だ。アメフトのスターが本人役で出てきたんだ」
「ようやく本物の職が出たという事か。しかし立派な身体だ」
「本物だからな」
テッドは嘘を明かし、メリーにはブレットがふさわしいと告げた。
自分は身を引くつもりだった。
俺は首を傾げた。
「今見るとお前が決めることかってモヤるんだよな」
「お前の言う通りだ。この男にそんな権限はない」
「だよな。彼女の意思の確認もしてない」
「父が決めるべきだ」
「え?」
「この女の伴侶を選ぶ話であろう?なら権限を持つのは父だ」
「3000年の文化差が厚い」
ゼウスはテッドを見た。
「しかし、こやつも褒めにくい男であるのは事実だ」
「悪い奴ではないんだけどな」
「だが、この股を挟んだ男は家の者を蔑ろにしなかった」
「ウォーレンか。そこは俺も好きだよ。あいつに普通に接してるところ」
「家に迎えるなら、家の者への振る舞いを見ねばならん」
テッドは部屋を出た。
泣きながら歩く彼を、メリーが追いかける。
彼女が選んだのは、テッドだった。
ゼウスが眉を上げた。
「それでも股を挟んだ男を選んだか」
「俺はまだ、少し引っかかるけどな」
「仕方あるまい。お前が言ったように、この女の意思で選んだのだ。破談にできるのは父だけだ」
「今は父がやってもダメだよ。……大体の国では」
メリーはテッドに向き合っていた。
部屋にいた男たちではなく、自分で追ってきた男を見ている。
二人が口づけを交わす。
だが、メリーに夢中な男は、まだ残っていた。
狙撃の銃声が響き、物語を歌っていた男が撃たれた。
ゼウスが身を起こした。
「詩人が撃たれたぞ!求婚者の争いに、歌う者を巻き込むな!」
「本当に最後まで全員おかしいな」
ゼウスは画面を見たまま、笑い出した。
「この男たちがヘレネの側にいなくてよかった」
「でもトロイアは滅びずに済んだかも知れないぞ」
「たしかに全員自滅し遠征ができなくなりそうだ」
エンドロールが始まった。
*
ゼウスはグラスを傾けた。
氷しか残っていなかった。
「もう一杯だ」
「まだ飲むのか」
俺はラムの瓶を取り、注いだ。
ゼウスが俺のコーラに手を伸ばし注ぐ。
「それ、俺が飲むために買ったんだけど」
「女は分けられぬが、酒は分けられる」
「今日のまとめみたいな顔で、人のコーラを取るな」
グラスに注ぐと、コーラは空になった。
ゼウスは満足そうに一口飲んだ。
ゼウスは否定せず、グラスを持ち上げた。
「次もこの酒でよい」
神々の王は女性の選択意思にはある程度の理解を示したが、俺のドリンクの選択意思には一切の理解を示さずに帰った。
神話メモ
◾️ゼウスとカッコウ
パウサニアスの『ギリシャ案内記』には、ゼウスがヘラに求愛するため、カッコウへ姿を変えたという伝承が記されている。ヘラはその鳥を捕らえ、手元で飼ったとされる。アルゴスのヘラ神殿にあった女神像の笏にはカッコウが飾られ、この物語と結びつけて説明された。ゼウスとヘラの婚姻に関する伝承の一つである。
◾️ヘレネ
ヘレネは、一般にゼウスとレダの娘とされ、メネラオスの妻となった女性である。その美貌は多くの求婚者を集め、パリスとともにトロイアへ渡ったことが戦争の発端となった。神々の介入や本人の責任については、古典作品ごとに描き方が異なる。単に争いの原因として扱われるだけでなく、自らの境遇を嘆き、故郷や家族を思う人物としても描かれる。
◾️テュンダレオスの誓い
ヘレネの求婚者たちが結んだ誓い。アポロドロスの伝える物語では、テュンダレオスは一人を選ぶことで他の者が争いを起こすのを恐れた。オデュッセウスは、選ばれた夫が婚姻に関して不当な扱いを受けた時、全員で守ると誓わせるよう助言する。この取り決めは、後にメネラオスを助けるため、諸王や英雄がトロイア遠征へ参加する根拠となった。
◾️パンドラ
ヘシオドスの『仕事と日』では、プロメテウスによる火の盗みに怒ったゼウスが、神々にパンドラを造らせた。ヘパイストスが土から姿を形作り、アテナが織物の技、アフロディーテが魅力、ヘルメスが言葉や欺く性質を与えたとされる。名は、オリュンポスの神々がそれぞれ贈り物を授けたことに結びつけて説明される。美しさと災いを併せ持つ、人間への贈り物として語られた。
◾️アポロンとダプネ
ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』では、アポロンに侮られたクピドが二種類の矢を放ち、アポロンには恋を、ダプネには恋への拒絶を生じさせる。追われたダプネは父である河神ペネイオスに助けを求め、月桂樹へ姿を変えた。アポロンはその後、月桂樹を自らの聖木と定めたとされる。求愛と逃走、植物への変身を結びつけた伝承である。




