第42話 アルマゲドン
※本編では映画の結末を含むネタバレがあります。
映画紹介
公開年:1998年
監督:マイケル・ベイ
主演:ブルース・ウィリス
地球へ衝突する巨大な小惑星が発見された。残された時間は十八日。人類滅亡を防ぐため、NASAが選んだのは小惑星に穴を掘り、内部で核爆弾を爆発させる作戦だった。世界最高の石油採掘人ハリーは、長年ともに働いてきた仲間たちを連れ、宇宙へ向かう。
厚く切った牛肉を焼き、二枚の皿に置いた。
表面には塩と黒胡椒を振り、焼き上がる直前にバターと刻んだニンニクを加えてある。
付け合わせはマッシュポテト、いんげん豆。酒はアメリカの缶ビールにした。
ゼウスはステーキを切り、一切れ口に入れた。
「牛か。いつもより大きいな!」
「テキサス風ステーキだ」
ゼウスが頷いた。
「よい土地だな」
「料理しか知らないだろ」
「前に話したのを覚えておるぞ。牛の国だろう?」
「テキサスは国じゃない」
「どちらにせよ、牛を大きく切る者に、悪い者はおらぬ」
「新しい倫理体系を作るな」
ゼウスはマッシュポテトを肉汁に絡めた。
「しかし、なぜそのテキサスなのだ?」
「今日の映画に、テキサス州くらい大きな物が出てくる」
「ならば、肉もその大きさに合わせよ」
「お前テキサスわかってないだろ。地球が肉で潰れるぞ」
「私ならきっと食えるぞ」
「お前が食う前に人類が滅ぶんだよ」
俺はビールの缶を開けた。
テーブルの端には、まだ封を切っていない動物ビスケットの箱を置いてある。
ゼウスが手を伸ばした。
「これは何だ?」
「これは開けるな。後で食う」
「なぜだ?」
「映画に出てくるんだよ」
ゼウスは箱を持ち上げ、中を振った。
「今食べても、物語を見ながら食べても同じではないか」
「今日は肉が大きいだろ。先にそっちを食え」
ゼウスは箱を戻した。
「仕方ない。今日の物語は何だ?」
「『アルマゲドン』」
「異国の言葉か?」
「世界の終わりに起きる戦い、みたいな意味で使われる」
ゼウスはステーキを見た。
「世界が終わる前の食事か」
「縁起の悪いこと言うな。今回のはお前向けだと思うぞ。今日の映画を撮った監督は派手な映像で有名で頭に爆薬がつまってるなんて言われてる」
「爆破の詩人か。心して見よう」
俺は再生ボタンを押した。
*
六千五百万年前。
宇宙から飛来した巨大な小惑星が、地球に衝突した。
爆発によって巻き上げられた土と岩が空を覆う。
太陽の光は遮られ、地上にいた恐竜たちは滅びた。
ゼウスが画面を見た。
「前に見た竜達ではないか」
「恐竜な。この映画では、小惑星が原因で滅びたって説明だな」
「人が生まれるより前の話か。竜が滅びた後の大地で何を歌うのだ」
「ちゃんと舞台は現代だから大丈夫だ」
時代は現代へ移った。
宇宙空間で作業していたスペースシャトルが、突然飛んできた無数の破片に襲われた。
船体が裂け、爆発する。
同じ頃、小さな隕石がニューヨークに降り注いだ。
ビルを貫き、道路を吹き飛ばす。
車が宙を舞い、街が炎に包まれた。
ゼウスが画面を指した。
「待て。私はこんな神罰を下した覚えはないぞ!」
「大災害を見て最初に自分の管轄ではないと確認するな。お前じゃない。宇宙から石が飛んできた」
「では、誰が人間へ怒っておる?」
「誰も怒ってない。ただの天体現象だ」
「理由もなく、これほど多くの者が死ぬのか?」
「自然災害に理由はないよ」
ゼウスは崩れる街を見た。
「神罰より始末が悪いではないか」
「お前が言うと説得力あるな」
「神罰ならば、何を怒らせたか調べ、詫び、供物を捧げることができる」
「隕石には意思もないし交渉相手もいないからな」
「怒りも目的もなく、ただ落ちてくるのか」
「そういうこと」
ゼウスはビールを飲んだ。
「気に入らぬ」
「小惑星に言え」
NASAは、飛来した破片の軌道を調べた。
その後ろから、さらに巨大な小惑星が地球へ向かっている。
大きさはテキサス州ほど。
十八日後に衝突すれば、人類だけでなく、地球上の生物のほとんどが滅びる。
ゼウスがステーキを見た。
「これか」
「これだよ」
「肉より大きいな」
「比べるまでもないだろ」
「これを二つに切ればよい」
「今、NASAもその相談をしてる」
NASAが立てた作戦は、小惑星の表面に穴を掘り、核爆弾を埋めるというものだった。
内部で爆発させれば小惑星は二つに割れ、地球の両側を通過する。
「天から落ちてくる岩に、穴を掘るのか?」
「その中に核爆弾を入れて爆発させる」
「表から砕けばよい」
「映画の説明だと、開いた手の上で爆竹を鳴らしても火傷で済む。でも、握った手の中で爆発させれば手ごと吹き飛ぶ。それと同じ」
ゼウスが自分の掌を見た。
「手が弾け飛ぶものを開いた手の上に乗せたら火傷では済まぬのではないか?」
「やめろ。そこでいちいち引っかかってたらこの映画の作戦や説明を乗り切れないぞ」
「そもそも星を二つにできるのか?」
「現実にできるかは別の話だ。小惑星の大きさも、残り十八日って時間も、かなり無茶だよ。ただ、この映画は穴を掘る男が地球を救う話だから、穴を掘らないと始まらない」
「最初に英雄を決め、それから英雄に合わせて難業を作ったのか」
「そう言われると、急に神話っぽくなるな」
「私なら雷霆で砕く」
「それだと映画が五分で終わるから、黙って見てろ」
*
NASAが呼び出したのは、石油採掘の専門家ハリー・スタンパーだった。
海上の採掘施設では、ハリーがゴルフクラブを振っていた。
打った球は海に浮かぶ抗議船の近くに落ちる。
「何をしておる?」
「石油を掘る仕事への抗議に来た人たちを、ゴルフボールで追い払ってる」
「当てられるのか?」
「当てたらダメなんだよ。まず打つのもダメだ」
施設の中では、若い採掘員A・Jが眠っている。
その隣には父の会社で働くハリーの娘グレースがいた。
二人の関係を知ったハリーは、散弾銃を持ってA・Jを追いかけた。
「当然だ」
「当然じゃない。娘の恋人を殺しかけてるぞ」
「父に隠れて娘へ近づいた」
「だからって銃を撃つな」
「お前も娘を持てば分かる」
「お前の娘、男を寄せつけない女神ばっかりじゃねえか」
A・Jは施設の配管を飛び越え、銃弾から逃げた。
ハリーは発砲を続ける。
「この父親は射撃は上手くないな」
「当てたら死ぬだろ。わざと外してるんだろ」
「ならば脅しか。周りの者達にも、こうなるぞと見せておるのだな」
「そこまで考えてないと思うぞ。ハリーも映画も」
NASAの職員たちが施設に到着した。
ハリーは、地球へ向かう小惑星と掘削作戦について説明を受ける。
NASAはハリーの採掘技術を使い、宇宙飛行士に穴を掘らせるつもりだった。
だがハリーは、短期間で素人に掘削を教えることはできないと断言する。
自分が行く。
そして、一緒に連れていく者は自分で選ぶ。
「この男が行くのか」
「世界一の採掘人だからな」
「天から来た岩へ、地の底を掘る者を送るとは面白い」
ハリーが選んだ仲間たちは、世界を救う英雄には見えなかった。
賭博にのめり込んでいる男。
女好きの男。
素行の悪い男。
借金を抱えた男。
NASAが一人ずつ経歴を調べるたび、問題が増えていく。
ゼウスが眉を寄せた。
「こんな者たちに、地上すべてを託すのか?」
「穴を掘る腕は確からしい」
「他におらぬのか?」
「ハリーが、一緒に行くならこいつらだって言ってる」
画面に、大柄な男が映った。
ベアと呼ばれる採掘員だった。
太い腕と大きな身体で、狭い椅子に座っている。
ゼウスが即座に指を差した。
「これこそが戦士だ。この男を連れていけ」
「体しか見てねえだろ」
「十分だ。見ろあの巨躯を。まるで砦のようだ」
NASAは一行の身体検査を始めた。
注射を嫌がり、検査器具を壊し、医師の質問にもまともに答えない。
ロックハウンドは、精神検査で女性職員を口説いている。
「やはり、他の者を捜すべきではないか?見込みがあるのは大きな男だけだ」
「そいつ一人じゃ穴を掘れないだろ」
「ならば、大きな男を増やせ」
「その編成方法だとマッチョだらけになるぞ。宇宙でアメフトのオフェンスラインを作ろうとするな」
それでも、採掘技術の試験では全員が素早く動いた。
互いの役割を理解し、言葉を交わす前に機械を操作する。
NASAの職員たちは、その速さを見て黙った。
ゼウスも頷く。
「普段は問題だらけでも、仕事では信用できる者達だったか。戦場で長く組んだ兵のようなものだな」
「大男以外もお眼鏡に適ったか」
「うむ、だが、あの砦のような男が一番よい」
彼らは任務を引き受ける代わりに、政府へいくつもの要求を出した。
今後は税金を払わなくてよいこと。
駐車違反を取り消すこと。
ホワイトハウスに泊まること。
二度と製造されなくなった音楽機器を復活させること。
ゼウスが笑った。
「神の代わりに世界を救うのだ。望む褒美を与えるべきだ」
「要求が多いけどな」
「慎ましいものだ。誰も国を望まぬ」
「古代王基準やめろ」
*
訓練が始まった。
採掘員たちは宇宙服を着せられ、水中で機械の扱いを覚える。
高速回転する装置に乗せられ、強い重力にも耐えた。
ロックハウンドは訓練中もふざけ、教官を怒らせている。
「本当に宇宙へ送るのか?」
「さっき仕事では信用できるって言っただろ」
「地上の穴は掘れても、空では別であろう」
「だから訓練してるだろ」
「このような短期間の訓練でものになるのか?」
「そこは何度も言うけど、気にしたら負けだ」
ハリーは、NASAが用意した掘削車アルマジロを確認した。
工具の位置を変え、機械を分解し、仲間たちが使い慣れた形に作り直す。
「武具を戦士に合わせたか」
「NASAのやり方に人間を合わせる時間がないからな」
「使う者が最も力を出せる形にするのは正しい」
「こういう話だと、お前まともだな」
「無礼者め。私は常にまともだ」
出発前、採掘員たちには最後の自由時間が与えられた。
酒場で騒ぐ者もいれば、家族に会いに行く者もいる。
チックは別れた妻と息子の姿を遠くから見た。
息子は、チックが自分の父親だと知らない。
「名乗らぬのか?生きて戻れぬかも知れぬぞ」
「だからこそ、今さら父親として現れるのが怖いのかもな」
「会わぬまま死ぬ方が悔いを残すぞ」
「人間は、悔いがあるほど動けなくなることもあるんだよ」
一方、A・Jとグレースは二人で横になっていた。
A・Jは動物ビスケットを取り出した。
一枚をグレースの腹に置く。
草原を歩く動物に見立て、別の動物を近づける。
最後には口でくわえて食べた。
ゼウスがテーブルの箱を取った。
「これか」
「同じ物だ」
ゼウスは箱を開け、動物ビスケットを一枚取り出した。
自分の胸に置く。
「気色悪い食い方するな」
「同じように食べるのであろう?」
「お前が一人でやっても求愛にならないだろ」
「そうか求愛に使う菓子なのだな。私は自ら動物に化けることができるが、なるほど人間はこの菓子を代用したのだな」
「今言ったこと全部間違ってるから」
「人間よ。菓子をこの部屋を満たすくらい用意せよ」
「求愛のための菓子じゃねーよ。だったとしても部屋満たすくらい用意させようとするな」
ゼウスは胸に置いたビスケットを手で取り、そのまま口に入れた。
「なんだ違うのか。だが味は悪くないな」
「最初からそうやって食え」
A・Jはグレースと結婚したいと話した。
だがハリーは、まだ二人の関係を認めていない。
ゼウスがビスケットを噛んだ。
「父の許しを得る前に、女へ誓ったか」
「帰ってきたら、また散弾銃で追われるな」
「帰ってくれば、話す機会はある」
「まず地球を救わないとな」
*
訓練と休息を終えた荒くれ者たちがオレンジ色の宇宙服を着て横一列で歩いてくる。
ゼウスは眉を上げた。
「あれほど不安を掻き立てる者達だったが、なんとも勇ましく見える。皆良い面構えだ」
「横一列で歩くだけですげーかっこいいよな。アルマゲドン歩きって呼ばれたりする。元は西部劇とかだと思うけど」
「西部?スパルタか?たしかに前に見たスパルタの話でもこのように一列で歩いていた。わかったぞ。ファランクスから取ったのだな」
「いや違う。その西部じゃない。ファランクスも違う。西部劇はまだ見せてなかったか。まあ今度見せるよ」
「スパルタでない西部。コリントスか?さらにその西のシケリアか?うむ。見せるが良い」
「古代ギリシャの地理から離れろ。それより映画見ろ。飛び立つぞ」
二隻のスペースシャトル、フリーダムとインディペンデンスが打ち上げられた。
炎を噴き上げ、空へ昇っていく。
地上では、グレースとNASAの職員たちが見守っている。
二隻は、燃料補給のためロシアの宇宙ステーションに接続した。
中にいたのは、一人の宇宙飛行士レヴだけだった。
長く一人で暮らしていたため、話し相手が来たことを喜んでいる。
「この男は、空の館を一人で守っていたのか」
「十八か月いたらしい」
「よく耐えたな」
「少し壊れかけてる気もするけどな」
燃料の補給中、装置に異常が起きた。
レヴは工具で機械を叩く。
「叩いたぞ」
「古い機械は、それで動くこともある」
火花が散った。
燃料に引火し、宇宙ステーションが爆発を始める。
「直っておらぬではないか!」
「むしろ悪化したな!」
炎が通路を追いかける。
全員が走り、間一髪でシャトルに逃げ込んだ。
宇宙ステーションは背後で爆発した。
レヴは、自分が暮らしていた場所が粉々になるのを見た。
「館を失ったぞ」
「本人は生きてる」
「この旅へ加わるのか?」
「帰る場所がなくなったからな」
ゼウスは頷いた。
「空を知る者は多い方がよい」
「そのまま冒険仲間になるの古典冒険譚っぽさあるよな」
二隻のシャトルは月の裏側を回った。
月の重力を利用し、一気に速度を上げる。
乗員の身体に強い力がかかり、顔が押し潰される。
ゼウスが笑った。
「全員、妙な顔になっておるぞ」
「笑うな。ものすごい重力がかかってるんだ」
「英雄にも、見せてよい顔と悪い顔がある」
「本人たちは今、それどころじゃない」
月を回った先に、巨大な小惑星が現れた。
表面から岩が噴き上がり、周囲には無数の破片が飛んでいる。
ゼウスの笑いが消えた。
「これは予想以上の大きさだな。牛を大きく切る善き民の住まう土地と同じとは聞いていたが」
「もうテキサスって言った方が早いだろ」
二隻は小惑星へ降下した。
だが岩の破片が進路を塞ぐ。
インディペンデンスは直撃を受け、予定した着陸地点から大きく外れた。
機体は地表に激突し、乗員の何人かが死亡した。
A・Jとベア、レヴは生き残った。
ゼウスが画面を指した。
「砦のような男は無事だ!」
「その形容だとベアのおかげで助かったみたいに聞こえる。主人公はハリーだからな」
残った三人は、壊れた掘削車を動かした。
本隊のいる場所を目指し、小惑星の上を走り始める。
*
ハリーたちは予定した地点で掘削を始めた。
だが小惑星の内部は、予想よりも硬い。
ドリルは思うように進まない。
地面からガスが噴き出し、機械を揺らす。
「残り時間は?」
「ほとんどない」
「間に合うのか?」
「そこも映画の楽しみだろ」
「砦のような男はまだ来ぬのか!」
「気にしてたのそっちかよ」
掘削は途中で止まった。
機械の部品が壊れ、ドリルを引き上げられない。
NASAと軍は、地表で核爆弾を爆発させる準備を始めた。
それでは小惑星を二つに割れない。
だが軍は、何もしないよりは破片を小さくできると主張する。
遠隔操作で核爆弾の時間が動き始めた。
「地上の王が、勝手に武具を動かしたか」
「失敗した時の別の作戦を用意してたんだよ」
「穴を掘れと命じておいて、途中で爆発させれば全員死ぬぞ」
「軍は、地球にいる人間を優先した」
「ならば最初から告げておけ。働いている者に隠して、後ろから火をつけるな」
ハリーと宇宙飛行士のシャープは殴り合った。
互いに銃を向ける。
それでも最後には、遠隔操作の装置を壊した。
シャープはハリーを信じ、掘削を続けることを選んだ。
ゼウスが頷く。
「ようやく同じ敵を見たな」
「ずっと敵は小惑星だったんだけどな」
「互いを疑っていれば、石と戦う前に人が死ぬ」
「石とは戦わないって」
「では、石を掘る前に人が死ぬ」
「急に地味な表現になったな」
再開した掘削中、地面が割れた。
機械が穴に飲み込まれ、作業員の一人が死亡する。
ロックハウンドは精神の均衡を崩し、武器を乱射し始めた。
仲間たちは彼を取り押さえ、椅子に縛りつける。
ゼウスが眉を寄せた。
「やはり、こやつは置いてくるべきだったな」
「地質学の知識は必要だったんだよ」
「今は椅子に縛られておるぞ」
「宇宙に来るまでは役に立った」
「砦のような男ならば、最後まで立っておる」
「はいはい。人を見る目があったな」
「もっと敬意を込めよ」
掘削車を失い、目標の深さには届かない。
ハリーたちが立ち尽くした時、遠くから機械の音が聞こえた。
A・Jたちの乗ったもう一台のアルマジロが、岩山を越えて現れる。
ゼウスが立ち上がった。
「来たぞ!」
「生きてたな」
「砦のような男を連れてきたからだ!」
「運転してるのはA・Jだよ」
「三人で来た。ならば全員の働きだ!」
「都合よく変えたな」
A・Jたちは本隊に合流した。
残った機械を使い、掘削を再開する。
ドリルは少しずつ小惑星の内部へ進んだ。
ついに、核爆弾を入れるための深さへ到達する。
「掘り終えたぞ!」
ゼウスがテーブルを叩いた。
ビールの缶が揺れた。
「テーブルを叩くな!ビールもこぼれるだろ」
「地味だが、成し遂げたではないか!」
「地味は余計だよ」
「地上の穴掘りが、天の岩を割る穴を掘った。これは名が残るぞ」
しかし、起爆装置が壊れていた。
遠隔操作では爆発させられない。
誰か一人が小惑星に残り、手で起爆スイッチを押さなければならない。
採掘員と宇宙飛行士たちは、くじを引いた。
短い物を引いた者が残る。
「運命に任せたか。これが1番遺恨が残らぬ」
「くじで管轄決めた神が言うと説得力あるな」
A・Jが選ばれた。
グレースのもとへ帰ると約束した男が、宇宙服を着て外へ向かう。
ゼウスが口を閉じた。
ハリーは、自分がA・Jを見送ると言った。
二人で小惑星の上に立つ。
ハリーはA・Jの宇宙服から空気の管を引き抜いた。
苦しむA・Jを船内へ押し戻す。
「何をした?」
「代わるつもりだ」
ハリーは、自分が残ると告げた。
この穴を掘ったのは自分だ。
最後まで自分が引き受ける。
そしてA・Jに、地球へ帰ってグレースと結婚しろと命じた。
「己が残れば、娘は父を失う。だが、この若者が残れば、娘は未来の夫を失う」
「だからA・Jを帰したんだろうな」
「世界を救うだけではない。娘の先まで守ったか」
A・Jは扉を叩き、ハリーの名を叫んだ。
ハリーは一人で掘削地点へ戻る。
出発前、地球にいるグレースとの通信がつながった。
画面越しに、父と娘が顔を合わせる。
ハリーは、必ず帰るという約束を守れなかったことを詫びた。
グレースは泣きながら、父を誇りに思うと伝えた。
ゼウスはグラスを置いた。
「帰ると言ったのに、帰れぬか」
「世界を残すためだ」
通信が切れた。
ハリーは地球を見た。
仲間たちを乗せたシャトルが、小惑星から飛び立つ。
ハリーは起爆装置を握った。
地面が割れ、岩が噴き上がる。
装置を落としながらも、最後に手を伸ばした。
スイッチを押す。
核爆弾が爆発した。
巨大な小惑星は、地球へ衝突する直前に二つに割れた。
二つの破片が、地球の両側を通り過ぎていく。
世界中の人々が空を見上げた。
歓声が上がる。
ゼウスは、二つに割れた小惑星を見ていた。
「決めた」
「何を?」
「この石を掘る英雄は、エリュシオンへ送る」
「どこそれ?」
「英雄達が死後にいく楽園だ。世界を救い、仲間を帰し、娘に未来を残した。英雄として何が足りぬ?」
「……足りないものはないな」
「ならば決まりだ」
「死後のことってハデスに話通さないでいいのか?」
「ハデスも異論は唱えまい」
「お前が勝手に決めて、兄弟喧嘩を始めるなよ」
「この英雄を退けるほど、兄も狭量ではない」
「ならいいけどさ」
*
生き残った者たちは、地球へ帰還した。
シャトルを降りたチックの前に、別れた妻と息子が立っている。
妻は息子に、あの人があなたの父親だと伝えた。
少年がチックへ駆け寄る。
チックは、息子を抱き上げた。
「この父も名乗る時を失わずに済んだな」
「帰ってきたからな」
「息子が功績と共に父の名を知る。どんな報酬にも勝る。こればかりはどの王にも渡せぬ」
A・Jもグレースのもとへ戻った。
二人は抱き合った。
その後、結婚式が行われる。
参列者の中にハリーの姿はない。
代わりに、彼の写真が飾られていた。
「父が認めた婚姻を、父の前で結んだか」
「写真だけどな」
「姿がなくとも、働きが残っておる」
「地球そのものを残したからな」
「地上に生きる者すべてが、この石を掘る英雄の功績の後に生きる。命は潰えても名は消えぬ」
エンドロールに歌が流れた。
「ちなみに、この歌を歌ってるの、グレースの本当の父親だぞ」
ゼウスが目を見開いた。
「ほう。この英雄は歌声も素晴らしいな!」
「ブルース・ウィリスじゃない」
「では、誰だ?」
「グレースを演じたリヴ・タイラーって女優の、現実の父親。エアロスミスのスティーヴン・タイラー」
ゼウスが画面を見た。
「父が二人おるのか?」
「物語の中の父親と、演じてる女優の父親だよ」
「ややこしいな」
「ギリシャ神話の親子関係よりはシンプルだろ」
ゼウスは歌に耳を傾けた。
「だが、父が娘を歌うのはよい」
「そこは合ってる」
ゼウスは残っていた動物ビスケットを一枚取った。
今度は身体の上に置かず、そのまま食べた。
「この菓子も悪くない」
「シンプルなビスケットってたまに食うと素朴でいんだよな」
「今日は菓子も牛も良かった。次も大きく切った牛を用意せよ」
「テキサス風な。地球を救った余韻を、肉の要求で終わらせるな」
神々の王にとって、世界を残した英雄への弔いは終わったらしい。
あとは、その世界で牛をどれだけ大きく切るかが問題だった。
神話メモ
◾️エリュシオン
エリュシオンは、神々に愛された者や英雄が死後に送られる楽園である。『オデュッセイア』では、雪も嵐もなく、穏やかな風が吹く世界の果ての地として語られる。後世には冥府の一部とみなされ、正しい生を送った者が安らかに暮らす場所とも考えられた。
◾️パエトン
パエトンは、太陽神ヘリオスの息子とされる若者である。父の子であることを証明するため、太陽の戦車を操ることを願った。しかし馬を制御できず、戦車は地上へ近づいて大地を焼いた。世界の破滅を防ぐため、ゼウスは雷霆でパエトンを撃ち、その暴走を止めたとされる。
◾️古代ギリシャ人の西方世界
古代ギリシャ人は、紀元前八世紀頃から地中海各地へ進出し、南イタリアやシケリア島に多くの都市を築いた。海上交易で栄えたコリントスも西方への植民を進め、シケリア島には後に有力都市となるシラクサを建設した。ギリシャ人の暮らす世界は、本土から地中海西部まで広がっていた
◾️くじと神意
古代ギリシャでは、くじは役目や順番を公平に決めるだけでなく、人の意志を越えた神意を示す手段とも考えられた。『イリアス』では、ヘクトルと一騎打ちを行う戦士を決める際にくじが使われ、大アイアスが選ばれている。人が選びにくい役目を、運命へ委ねる方法でもあった。
◾️英雄の名誉
古代ギリシャの英雄にとって、自らの死後にも名と功績が語り継がれることは大きな価値を持った。戦場で命を失っても、家族や共同体を守った働きが詩によって残れば、英雄は人々の記憶の中で生き続ける。長い命より、消えない名声を選ぶ英雄も物語に描かれた。




