第32話 ユージュアル・サスペクツ
※本編では映画の結末を含むネタバレがあります。
映画紹介
公開年:1995年
監督:ブライアン・シンガー
主演:ケヴィン・スペイシー、ガブリエル・バーン
銃器強奪事件の容疑者として集められた五人の犯罪者。身に覚えのない面通しで顔を合わせた彼らは、警察への報復を兼ねた強盗を計画する。やがて仕事は、正体不明の犯罪王カイザー・ソゼを巡る巨大な事件へつながっていく。
俺はスーパーで買った白身魚のフライをトルティーヤへ載せ、千切りキャベツとサルサソースをかけた。
隣の皿には、同じ店で買ったコブサラダを容器から移してある。
ゼウスがフィッシュタコスを持ち上げた。
「これが今日の供物か」
「夕飯な。今日見る映画はカリフォルニアの港が舞台だからな。フィッシュタコスは、そこの名物らしい」
「魚を揚げたのか?」
「惣菜売り場で買った」
「サラダは?」
「買ったのを皿に移した」
「では、お前は何を作ったのだ?」
「挟んだ」
「それは料理か?」
「腹に入れば同じだよ。楽して気分に合う飯を出してるんだから、十分だろ」
ゼウスはフィッシュタコスへかぶりついた。
衣の音が鳴り、反対側からキャベツが一本落ちた。
「酒はないのか」
「最近、普通に酒を頼むようになったな。俺、晩酌する人間じゃなかったんだけど」
「客人を迎えるうちに、よい習慣を身につけたではないか」
「お前が勝手に増やした出費だよ」
俺は冷蔵庫からコロナビールを二本出した。
瓶の口へ切ったライムを押し込み、親指で塞いで逆さにする。
ゼウスが手を止めた。
「果実を瓶へ入れるのか?」
「ライムを落として飲むんだ。タコス用に買ったから、ちょうどいい」
ゼウスも俺の真似をした。
勢いよく瓶を戻し、口から泡をあふれさせる。
ゼウスはテーブルへ落ちた泡を指で取り、そのまま舐めた。
「酸味で麦酒が軽くなるな」
「気に入ったか」
「もう一本冷やしておけ」
「気に入ったかの答えが追加命令か」
俺はリモコンを取った。
「今日の映画は『ユージュアル・サスペクツ』」
「いつもの容疑者たち、か」
「事件が起きるたび、真っ先に疑われる連中だな」
俺は再生ボタンを押した。
*
夜の港で、一隻の船が燃えようとしていた。
甲板には、腹を撃たれた男が座っている。
ディーン・ケイトン。
暗がりから現れた男を、ケイトンはカイザーと呼んだ。
銃声が鳴り、船は炎に包まれた。
翌朝、港から二十七人の遺体が見つかった。
生存者は二人。
全身に火傷を負ったハンガリー人と、身体の片側が不自由な詐欺師ロジャー・“ヴァーバル”・キントだった。
税関捜査官のクイヤンは、警察署の一室でヴァーバルから話を聞き始めた。
「船を焼いた者を捜す話か」
「生き残りが何を見たか聞く」
「だが、あの男は火が広がる前に逃げたのであろう?」
「知ってるところまでだよ」
ヴァーバルは、事件の始まりを六週間前から語り始めた。
ニューヨークで銃器を積んだ車が奪われ、警察は五人の犯罪者を集めた。
爆発物を扱うホックニー。
強盗のマクマナス。
その相棒フェンスター。
詐欺師のヴァーバル。
そして、元警官でありながら犯罪に手を染め、今は足を洗おうとしているケイトン。
五人は壁に並ばされ、同じ台詞を順番に言わされた。
一人は怒鳴り、一人はふざけ、フェンスターに至っては何を言っているのか俺にも半分しか聞き取れない。
ゼウスが眉を上げた。
「これで誰が罪人か分かるのか?」
「被害者に声と顔を確認させる」
「全員、罪人の顔をしているぞ」
「普段から犯罪者だからな」
「ならば全員捕らえておけばよい」
「今回の事件の証拠がない」
「別の罪はあるのであろう?」
「古代の法で雑に片づけるな」
「1人は何を言ってるかもわからんぞ」
「目立つよな。ベニチオ・デル・トロはこの映画で「台詞がつまらなかったから、何言ってるかわからない喋り方にした」みたいな伝説まで含めていいんだよ」
五人は留置場へ入れられた。
身に覚えのない容疑で集められたことに腹を立て、マクマナスが警察への報復を持ちかける。
汚職警官が宝石の密輸業者から金を巻き上げている。
その車を襲い、宝石と現金を奪い、警察の腐敗まで表へ出す計画だった。
「罪人が、悪い役人を襲うのか」
「どっちが正義って話ではないぞ。金が欲しいだけ」
「だが、腐った役人も消える」
「結果だけ見ればな」
ケイトンは断った。
今は弁護士の恋人イーディと暮らし、飲食店を経営している。過去へ戻るつもりはない。
だが警察は、逮捕しただけでケイトンの名を新聞へ流していた。店も新しい暮らしも、以前と同じには戻らない。
ケイトンは結局、四人の計画へ加わった。
ゼウスは瓶を傾けた。
「一度罪人と呼ばれた者は、何をしても罪人へ戻されるか」
「警察にとっては、いつもの容疑者だからな」
「ならば、題はこの五人のことか」
「今のところは」
「日頃の行いが悪いのだろう」
「女性関係に関してのお前と一緒だな」
「無礼だぞ」
「お前土産持って帰るだけでヘラさんに疑われるだろ」
「神と人間は違う」
「普遍的な話だよ」
五人は汚職警官の車を襲った。
誰も殺さず、宝石と金を奪い、証拠を新聞社へ送る。多くの警官が逮捕され、五人は宝石を売るためカリフォルニアへ向かった。
ゼウスは笑った。
「見事ではないか」
「犯罪を褒めるな」
「役人は腐敗を暴かれ、罪人は財を得た。双方とも、働きに応じた物を受け取った」
「誰も助かってないのに、妙に収まりがいいな」
「ゆえに見事だと言った」
「古代的因果応報としては見事かもしれないが、現代法としては全然完璧じゃない」
*
カリフォルニアで五人を待っていたのは、レッドフットと呼ばれる男だった。
宝石を買い取ったレッドフットは、続けて別の仕事を持ちかける。
簡単な宝石強盗のはずだった。
だが標的は抵抗し、銃撃になった。五人が奪った鞄に宝石はなく、中から出てきたのは麻薬だった。
「話が違うぞ」
「だから怒ってる」
「依頼した男は、こやつらに標的を殺させたかったのではないか?」
「かもな」
「宝石と偽れば奪い、反撃されれば殺す。罪人の扱いをよく知っておる」
「感心するところじゃない。求人票と仕事内容が違いすぎる」
五人はレッドフットを問い詰めた。
だが仕事を持ち込んだのは別の男だった。
宿へ戻ると、その男が待っていた。
小林と名乗る弁護士だった。
「やっぱここ引っかからないか」
「なんだ?」
「小林って日本人の苗字なんだよ。明らかにアジア系じゃないのに名乗ってるから、日本人はここでまず引っかかるんだ」
「異邦を名乗る男か」
小林は五人分の書類を机へ並べた。
そこには、本人たちも知らない過去の仕事まで記録されていた。
小林が仕えているのは、カイザー・ソゼ。
姿を見た者すらほとんどいない、トルコ出身の犯罪王だった。
かつて敵対する一団が、ソゼの妻と子供を人質にした。
ソゼは要求を受け入れなかった。
自ら家族を殺し、敵が握っていたものを消した。
その後、敵とその家族、友人、仕事相手まで追い続け、一人残らず殺した。
ゼウスが瓶を置いた。
「妻子まで、自ら殺したのか」
「人質に使わせないためにな」
「敵から奪い返すのではなく、敵が握るものを先に消した。家を守ったのではない。己以外の家を捨てたのだ、敵に勝ったとしても家そのものを自分で破壊しては意味がない」
「それは現代人にとってもそうだよ」
「だが姿を見せず、名を聞かせるだけで罪人を従わせる。恐ろしい男だな」
「お前より?」
「王は、姿を隠さぬ」
「牛に化けたり白鳥になったりしてるだろ」
「今は関係あるか?」
「お前が隠れないって言うから」
ゼウスは残ったビールを飲んだ。
小林は、五人全員が知らずにソゼの仕事を邪魔していたと告げた。
償う方法は一つ。
サンペドロ港へ入る船を襲い、積まれている大量の麻薬を焼く。
成功すれば自由になる。
断れば死ぬ。
「これほどの者が、なぜ自分で船を襲わぬ?」
「姿を見せない犯罪王だからじゃないか」
「罪人の王を名乗るか。名だけで動かせる兵がいるから、自ら剣を持たないと」
「王として認めるなよ」
「まだ認めてはおらぬ」
「そもそも王権の正当性の話じゃないんだよ」
五人は逃げようとした。
フェンスターは一人で町を離れた。
翌朝、死体で見つかった。
残る四人は小林を襲ったが、小林はケイトンの恋人や仲間たちの家族を人質に取れると告げた。
ゼウスの目が細くなった。
「自分と同じことをせよと試しているのか」
「家族を見捨てられるかって?自分だけルールから降りてるから強いんだよな」
「見捨てれば生き残る。守れば船へ行き、死ぬ」
「どっちを選んでも、ソゼの思いどおりだな」
「顔を見せず、相手自身に道を選ばせる。厄介な王だ」
「犯罪王は実際の王権じゃないって」
「名の話をしておらぬ」
「ソゼは、牛の配分はしないからな」
「悪い王だ」
*
ヴァーバルの話を聞きながらも、刑事のクイヤンはカイザー・ソゼの存在を信じなかった。
クイヤンが追っているのはケイトンだった。
ケイトンは善人の顔をして人を従わせ、必要になれば仲間を切り捨てる。今回も四人を集め、船を襲わせたのではないか。
ゼウスはケイトンを見た。
「確かに、五人を率いているのはこの男だ」
「ほかの連中も、最後はケイトンの判断を待ってるな」
「罪から離れたいと言いながら、計画へ加われば誰よりもうまく進める。奇妙な男だ」
「元警官だからな」
「役人と罪人、双方の考えを知っているか」
船が港へ入った。
ケイトンたちは銃を持ち、それぞれの位置へ散った。
ヴァーバルだけは戦えない。
ケイトンは、もし自分たちが戻らなければ金を持って逃げろと命じ、彼を離れた場所へ残した。
「弱い者を戦場から外したか」
「一人くらい生き残らせたかったんだろ」
「ならば、やはりこの男が一団の長だ」
「クイヤンと同じところ見てるな」
ホックニーが車から金を見つけた。
直後、背後から撃たれた。
船内へ入ったマクマナスは、麻薬がどこにもないことに気づく。
積み荷は最初から存在しなかった。
何者かが船内の人間を殺して回っている。
マクマナスも背後から刃物で刺された。
「麻薬を焼く仕事ではなかったのか」
「小林が嘘をついてたらしい」
「では、消したかったのは積み荷ではなく、この船にいる者か」
「そ。ソゼが消したかったのは、自分を知っている人間」
船室には、一人の男が隠されていた。
カイザー・ソゼの顔を知り、当局へ売ろうとしていた密輸業者だった。
その男も殺された。
岸から見ていたヴァーバルは、負傷したケイトンが甲板へ出てくる姿を目撃した。
暗がりから男が近づく。
ケイトンが、カイザーと呼ぶ。
冒頭と同じ銃声が鳴った。
船は炎に包まれた。
ゼウスは空になった瓶を置いた。
「本当に船へ来ていたのか」
「ヴァーバルは見たと言ってる」
「顔は?」
「暗くて見えなかった」
「この男は、敵へ姿を見せぬことだけは徹底しておるな」
*
病院では、もう一人の生存者がカイザー・ソゼを見たと証言していた。
捜査官たちは、その顔を絵に描かせ始める。
一方、クイヤンは船で殺された密輸業者と、ケイトンの恋人イーディがつながっていたことを突き止めた。
イーディも、すでに殺されている。
クイヤンは机を叩いた。
ケイトンは自分の顔を知る密輸業者を殺すため、四人を集めて船を襲わせた。
恋人も口封じに殺し、最後は自分が死んだように見せかけた。
ヴァーバルだけを生かしたのは、ケイトンの死を語らせるためだった。
クイヤンはカイザー・ソゼはケイトンだと結論づけた。
ゼウスが腕を組んだ。
「最初から、この男がすべてを率いていたのか」
「警察はそう考えた」
「死んだように見せ、己を知る者を船ごと焼いた。姿を消し続けられた理由にもなる」
クイヤンに追い詰められ、ヴァーバルは泣きながらケイトンがすべてを仕組んだと認めた。
だが、法廷で証言することは拒んだ。
「弱い男だけを生かしたのは、自分の死を語らせるためか」
「そういうことになるな。ヴァーバルが泣いて認めるのが決定打だ」
「よくできている」
ヴァーバルはすでに検察との取引を終え、釈放が決まっていた。
クイヤンは引き止められない。
ヴァーバルは署名を済ませ、警察署を出ていった。
「誓約を交わした以上、放すしかないか」
「捜査官は、必要な答えを聞いたと思ってる」
「犯罪王は再び消えた。この弱き男を捕らえても何も変わらぬ」
クイヤンは一人で部屋へ戻った。
壁を見上げる。
捜査資料や新聞記事が、無造作に貼り付けられている。
そこには、ヴァーバルが語った地名や人名があった。
話の中で起きた出来事と同じ言葉が、部屋のあちこちに並んでいる。
ゼウスが椅子から立った。
「待て」
クイヤンの手からコーヒーカップが落ちた。
床で割れた底には、コバヤシの文字がある。
警察署を出たヴァーバルは、足を引きずって歩いていた。
一歩ごとに、その歩幅が広がっていく。
曲がっていた手が開く。
道路へ着く頃には、身体の不自由さは消えていた。
警察署へ一枚の似顔絵が届いた。
火傷を負った生存者が語った、カイザー・ソゼの顔。
描かれていたのは、ヴァーバルだった。
ゼウスは画面を指した。
「何を見せられていたのだ」
「ヴァーバルの話」
「作り話か?船も、五人の仕事も、あの弁護士もか?」
「分からん」
「偽りをずっと見せられてたのか?」
「全部が嘘だと分かったんじゃない。どこまで本当か分からなくなったんだよ。映画史でもトップクラスに有名な情報の意味が一瞬で全部変わる映画だ」
ヴァーバルを乗せた車が走り去った。
運転席にいたのは、小林と名乗っていた男だった。
ゼウスが俺を見た。
「お前も、なぜ言わん!」
「言ったら、この映画台無しだろ」
「ならば、お前もあの男に加担していたのか」
「映画を見せただけで共犯にするな」
「お前も否定しなかったではないか」
「開始前に、『この足の悪い男がカイザー・ソゼです』って言えってこと?ネタバレはしないって、いつも言ってるだろ」
「では、あの犯罪王の伝説も作り話か?」
「壁の言葉から作ったのか、本当にある話へ壁の言葉を混ぜたのか、それも分からん」
「家族を殺した話まで信じたのだぞ」
「ずいぶん真面目に王として評価してたな」
「評価しておらぬ。厄介な王だと言っただけだ」
「ほぼ認めてたよ」
ゼウスは画面へ向き直った。
エンドロールが流れている。
「ヘシオドスへ詩を授けたムーサたちも、真実に似た偽りを語れると告げた」
「例えがよくわからないけど、そっちは最初に言ってるだけ良心的に聞こえるな」
「この男は最後まで告げなかったぞ」
「詐欺師だからな」
「詩人より悪質ではないか」
「詩人と詐欺師を同じテーブルに置くな」
*
俺は食器を片づけ、コーヒーを二杯淹れた。
ゼウスは何も言わずに飲んだ。
半分ほど減ったところで、カップを持ち上げて底を覗く。
「何も書いておらぬ」
「やると思った。ちょっとがっかりしてんじゃねえよ」
「罪人の王の名があるかと思ったのだ」
「うちの食器棚に黒幕の偽名はない」
ゼウスはカップを置くと、今度はコーヒーの袋を取った。
裏返して産地を確かめる。
「人間よ。このブラジルと言う国は実在するのか?」
「アルゼンチン人が喜びそうな事言うな。もう何も信じられなくなってるじゃねえか」
「野菜も、皿に移しただけと言っていたな。証しはあるか?」
「容器ならゴミ箱にあるけど見なくていい」
「なぜ止める」
「コブサラダの産地から犯罪王を作る気か」
ゼウスはもう一度、カップの底を覗いた。
何も書かれていないことを確認してから、残りのコーヒーを飲んだ。
神話メモ
◾️ムーサ
ムーサは、詩歌、音楽、舞踊などを司る女神たちである。ゼウスと記憶の女神ムネモシュネの娘とされ、後世には九柱の女神として整理された。詩人はムーサから霊感と言葉を授かり、神々や英雄の物語を歌うと考えられた。
◾️ヘシオドス
ヘシオドスは、紀元前八世紀頃に活動したとされる古代ギリシャの詩人である。神々の系譜を語る『神統記』や、労働と正義について記した『仕事と日』で知られる。ホメロスと並び、古代ギリシャ神話を後世へ伝えた代表的な詩人に数えられる。
◾️『神統記』のムーサ
『神統記』の冒頭では、ムーサたちがヘシオドスの前へ現れ、詩人としての力を授ける。その際、真実に似た多くの偽りを語ることも、望む時に真実を告げることもできると宣言する。詩によって語られる言葉と真実の関係を示す一節として知られる。
◾️ムネモシュネ
ムネモシュネは記憶を司る女神であり、ゼウスとの間に九柱のムーサをもうけたとされる。文字による記録が広く普及する以前、詩人は長い物語を記憶し、歌として伝えた。記憶は詩歌や歴史を保存し、過去の出来事を後世へ残す力と結び付けられた。




