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第30話 Mr.インクレディブル

※本編では映画の結末を含むネタバレがあります。


映画紹介


公開年:2004年

監督:ブラッド・バード

主演:クレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター


かつて人々を守ったスーパーヒーローたちは、世間からの反発を受けて活動を禁じられた。怪力を持つボブも正体を隠し、妻と三人の子供と暮らしている。平凡な生活に馴染めない彼のもとへ、力を必要とする秘密の依頼が届く。

呼び鈴が鳴った。


ゼウスなら鳴らさずに入ってくる。


俺は一度深呼吸してから玄関を開けた。


白い衣をまとった女が立っていた。豊かな黒髪には金の飾りが編み込まれ、肩から下りる布にも細い金糸が走っている。


俺が想像していたヘラは、もっと目が鋭いおっかない女神だったが第一印象がかなり違う。


目の前の女性は大きな目を細め、穏やかに微笑んでいた。


その後ろでゼウスが黙っている。


「初めまして。ヘラです。いつも夫がお世話になっております」


「あ、はい。初めまして。こちらこそ毎晩と言いますか、ほぼ毎晩お越しいただいております」


「お前、私には帰れと言うではないか」


「お前は黙ってろ」


ヘラの視線が俺へ戻った。


「失礼しました。どうぞ、お入りください」


「普段どおりに接してくださって構いませんよ」


「それは少々、難しいかと」


俺は二人を部屋へ通した。


ゼウスがいつものソファーに向かう。


「では隣はヘラ様に」


ゼウスが止まった。


「お前はどこに座る」


「今日は椅子でいい」


「私には敬称すらつけぬのに」


「日頃の積み重ねだ。なんだったら床に座れ」


ヘラが口元へ指を添えた。


「いつも、このように?」


「!…あ、はい。だいたい。いえ、すみません」


「あなた、よい友人を持ちましたね」


「どこを見てそう思った」


俺はミートローフとマッシュポテト、サラダをテーブルへ並べた。


「大した物ではありませんが、どうぞ」


ヘラは切り分けたミートローフを見た。


「これは牝牛ですか?」


ミートローフの牛の性別を聞かれるとは思わなかった。


「たぶん、そうだと思います。牛肉は、だいたい牝牛だったような」


「たぶん?ような?」


「申し訳ありません。確認する前に挽き肉になっておりまして」


「人間よ。神々の女王へ出す肉の素性も知らぬのか」


「お前が毎回食ってる肉も同じだよ」


ヘラは一口食べ、静かに頷いた。


「丁寧に作られています。とてもおいしいですよ」


「ありがとうございます」


「私が褒めても礼を言わぬではないか」


「牛ってだけで喜ぶおっさんは黙ってろ」


ゼウスが何か言い返す前に、俺はリモコンを持った。


「あのー、映画も見られていくんですよね」


「ええ、是非」


「今日の映画は『Mr.インクレディブル』にしようと思います」


「驚くべき男という意味ですか」


「そうです。家族で人を助ける英雄の話です」


ヘラがゼウスを見た。


「夫から、こちらで見た物語の話はよく聞いております」


「余計なことまで話してませんよね?」


「夫婦について扱った物語も見せてくださったとか」


ゼウスはミートローフを切ったまま答えない。


ヘラは笑みを崩さなかった。


「家族の物語は、夫にとってよい学びになります。あなたには感謝しています」


「買いかぶりだと思いますが、悪い影響にはならないよう努力します」


「おい人間、私を子供のように扱うな」


「映画始めるぞ」


俺は再生ボタンを押した。


    *


怪力を持つ英雄、Mr.インクレディブルが街を走っていた。


強盗を捕らえ、木から下りられない猫を助け、ビルから飛び降りた男を救う。暴走する列車まで止めたあと、彼は教会へ急いだ。


待っていたのは、身体を自在に伸ばせる英雄エラスティガールだった。


二人は結婚式を挙げた。


ヘラは画面へ身体を向け直した。


「婚礼の日に遅れるとは感心しませんが、民を救っていたのなら責められませんね」


「英雄の仕事と結婚式が重なったんです」


「妻も英雄ならば理解できるでしょう」


二人は互いに誓いを立て、夫婦になった。


だが、助けられた人々から訴訟を起こされ、英雄たちは活動を禁じられた。


ゼウスが眉を寄せた。


「怪物や盗賊から守る者を、自ら追放するのか」


「助け方が乱暴すぎるって怒られたんだ」


「訴えられるのも生きているからだろう」


「現代の裁判でそれ言ったら負けるぞ」


英雄たちは名を捨て、普通の人間として暮らすことになった。


十五年後、Mr.インクレディブルはボブ・パーという名で、保険会社に勤めていた。


狭い机へ巨体を押し込み、書類を処理している。


「この男は、他人の財を守る館で働いているのではないのか」


「困ってる人へ金を払う会社なんだけど、上のまとめ役が払うなと言ってる」


画面では、小柄なまとめ役がボブを呼びつけていた。


「弱い者を救うな。決まりだけ守れ。そう言っておるのか」


「だいたい合ってる」


「英雄にさせる仕事ではないな」


帰宅したボブを待っていたのは、妻のヘレンと三人の子供だった。


食卓では、長男のダッシュと長女のヴァイオレットが喧嘩を始める。


ダッシュが椅子から消え、ヴァイオレットの周囲に見えない壁が現れた。


ヘレンは伸ばした両腕で二人をつかみ、離れた席へ押し戻す。


ゼウスが口元を上げた。


「父も母も英雄。子らも強い力を持つ。ヘラクレスやペルセウスのようだ」


ヘラは微笑んだまま、ゼウスへ顔を向けた。


「あなたの子は、強い者が多いですものね」


ゼウスのフォークが止まった。


「お前、自分から踏みに行ったな」


「何の話だ」


「今さら戻れないぞ」


ヘラが俺を見る。口元は微笑んだままだ。


「何か?」


「いえ。どうぞ映画をお楽しみください」


「そうします」


笑顔は一度も崩れなかった。


ゼウスは黙ってミートローフを切り始めた。


    *


ボブは、かつて共に戦ったヒーロー仲間のフロゾンと夜の街へ出た。


妻には、男同士で遊びに行くと伝えてある。


二人が無線を聞いていると、火事の知らせが入った。


ボブは燃える建物へ飛び込み、人々を救った。


「英雄を禁じられても、助けを求める声には背を向けられぬか」


「本人は相当楽しんでるけどな」


「力を持ちながら使わずにいる方が苦しいのだろう」


家へ戻ると、ヘレンが暗い部屋で待っていた。


ボブは何をしていたのか聞かれ、友人と遊んでいただけだと答えた。


「妻を心配させぬためならば、すべてを語る必要は――」


ヘラの笑みが消えた。


唇は閉じたまま、目だけがゼウスへ向いている。


「もう一度、おっしゃってください」


「いや、その英雄とはだな――」


「もう一度、おっしゃってください」


ゼウスは背筋を伸ばした。


「夫婦は互いに語り合うべきだ」


「そうですね」


ヘラは再び微笑んだ。


ゼウスが俺を見る。


「何だ」


「いや。何も」


ボブは仕事でも問題を起こした。


路上で強盗が逃げる姿を見ながら、まとめ役から席を立つなと命じられる。怒りを抑えきれなくなったボブは、まとめ役を壁ごと投げ飛ばした。


「よくやった」


「家を養う仕事を失ったぞ」


ゼウスの声が止まった。


ヘラがミートローフを切る音だけが続いた。


「家族の事を考え耐えるべきだったかもしれん」


職を失ったボブのもとへ、銀色の髪をした女から秘密の通信が届いた。


女の名はミラージュ。


島で暴れる機械の怪物を止めてほしいという依頼だった。


ヘラが画面の女を見た。


「この女性は?」


「仕事の依頼を運んでくる人です。浮気ではありません。ほかの女性と二人で会っているだけです」


ゼウスが小さく声を漏らした。


「いや、秘密の仕事なので奥さんには話してなくて、出張だと嘘をついて会いに行っているだけです」


ゼウスが片手で顔を覆った。


ヘラは俺を見た。


「それは、浮気ではないのですね?」


「男女関係は一切ありません。説明が最悪でした。申し訳ありません」


「よく分かりました」


ゼウスが小さい声囁いてきた。


「お前、私より危ういぞ」


「誰のせいだと思ってんだ」


ボブは家族に新しい仕事が決まったと嘘をつき、島へ向かった。


機械の怪物と戦い、力を取り戻していく。


報酬で家には余裕が生まれ、ボブは身体を鍛え、家族にも明るく接するようになった。


ヘラは、笑うボブとヘレンを見た。


「偽りから得た財で、家が満たされていきますね」


「結果だけ見ると、前よりうまくいってます」


「柱の中を虫に食われた家も、倒れるまでは立っています」


ゼウスが黙って頷いた。


「人間よ。今のは覚えておくといい」


「俺じゃねえ。お前が覚えろ」


    *


再び島へ向かったボブの前に、シンドロームと名乗る男が現れた。


かつてボブを慕い、相棒になろうとした少年だった。


少年には特別な力がなかった。ボブに拒絶された彼は、自分で武具と機械を作り、英雄を殺してきた。


最後には、自分の怪物を街へ放ち、それを自分で倒して英雄になるつもりだった。


「英雄の名を手に入れるため、自ら怪物を放つのか」


ゼウスが鼻を鳴らした。


「民に歌わせるために民を襲う。名を残せても、残るのは卑怯者の名だ」


捕らえられたボブは、家族へ真実を伝えなかったことを悔やんだ。


その頃、ヘレンはボブの古いコスチュームが直されていることに気づき、衣装を作ったエドナを訪ねていた。


エドナは、新しいコスチュームにはマントをつけていなかった。


過去の英雄たちが、マントを飛行機や機械へ巻き込まれて死んだからだ。


ゼウスが自分の肩を見た。


「外套は威厳に必要だ」


画面では、外套を引っ張られた英雄が空へ消えた。


ヘラも自分のマントを見る。


「私も外した方が良いかもしれませんね」


「戦わなければ良いのでは?」


ヘラは俺に視線を向けた。


「神々の女王である以上、戦いを想定から外すのは無理です」


「そ、そうですか」


エドナは、ボブだけでなく妻と子供たちの戦装束まで作っていた。


ヘラの目が細くなる。


「この仕立て屋は、夫一人では家を守れないと知っていますね」


「赤ん坊の分までありますけど」


「家族ですから」


ヘレンは戦装束を着て、自ら飛行機を操り、ボブのいる島へ向かった。


だが、ヴァイオレットとダッシュが飛行機へ忍び込んでいた。


シンドロームは島へ近づく飛行機を見つけ、誘導弾を放った。


ヘレンは無線で、子供も乗っていると訴えた。


誘導弾は止まらない。


ヘレンは身体を広げ、二人の子供を包んだ。


飛行機が爆発した。


三人は海へ落ちたが、ヘレンの身体を舟にして島へたどり着いた。


ヘラは画面から目を離さなかった。


「子らを守りながら、生き残る術も教える。立派な母です」


島へ入る前に、ヘレンは子供たちへ言った。


敵は子供だからと容赦しない。自分の力を使い、生き延びろ。


ゼウスが頷いた。


「怪物の領域へ入った以上、幼子でも己の力を使わねばならぬ。母が守り、子らも戦う。一族の戦だ」


「お、調子戻ってきたな」


「お前は戻ってないようだがな」


一方、飛行機の爆発を見せられたボブは、家族が死んだと思い込んだ。


彼は鎖につながれたまま暴れ、ミラージュをつかんだ。


シンドロームは、構わず殺せと言い放つ。


ボブの手が止まった。


ミラージュは、家族が生きていることを教え、ボブを解放した。


「他人の命を捨てる者は、最後には自分の家臣からも捨てられる」


「王としての実感があるな」


「当然だ。王は従う者へ分け与え、守らねばならぬ」


「今、隣にいる人間への還元の話は後で伺いましょう」


「……」


ヘラの声は穏やかだった。


ゼウスは無言で水を飲んだ。


    *


島で再会したボブは、ヘレンと子供たちだけでも逃がそうとした。


自分一人で戦わなければ、家族を失う。ボブはそう訴えた。


ヘレンは、家族全員で戦うと答えた。


兵士たちが四人を包囲する。


ボブが正面から敵を受け止め、ダッシュがその周囲を走った。ヴァイオレットは家族を見えない壁で包み、ヘレンの腕が離れた敵を捕らえる。


ヘラが静かに頷いた。


「ようやく家族になりましたね」


「最初から家族では?」


聞いてから、質問の仕方が軽すぎたと思った。


「いえ、その……書類とかではなく、ですよね」


「婚礼の日に家は生まれます。ですが、同じ炉を守り、子を育て、災いに並んで立つことで、その家は強くなるのです」


ヘラは画面のヘレンへ目を向けた。


「夫を連れ戻し、子らを守り、一族を一つにした。ヘラ・テレイアの名において、立派な妻と認めます」


「最高の評価じゃないですか」


「ええ。あの夫には、過ぎた妻ですね」


ゼウスが黙ってマッシュポテトを食べた。


「お前は、なんか意見ないのか?」


「話に集中しておる」


「便利な逃げ道を覚えたな」


ヘラがゼウスに声をかける。


「家族の話ですから、よく集中して見てくださいね」


シンドロームは機械の怪物を街へ放った。


自分で倒して英雄になるはずだったが、怪物は命令を無視し、シンドロームを攻撃した。


ボブたちは街へ戻る。


フロゾンもコスチュームを捜したが、妻が隠していた。


怪物が暴れているのに、今夜の食事を中止するつもりなのか。妻の声が家に響く。


「妻が武具を隠したぞ」


「約束していた宴を黙って放り出そうとしたからでしょう」


ヘラが答えた。


「だが怪物が街を襲っている」


「説明してから行けばよいのです」


ゼウスは俺を見た。


「俺に振るな。俺もそう思う」


フロゾンは妻へ愛を叫び、ようやくコスチュームを手に入れた。


「愛を伝えるのは大切ですね」


「はい」


「なぜお前が答える」


「正解が分かる問題だからだよ」


家族とフロゾンは力を合わせ、機械の怪物を倒した。


ボブの怪力だけでは勝てなかった。ヘレンが仲間をつなぎ、ヴァイオレットが守り、ダッシュが走る。それぞれの力が、別の者の隙を埋めていった。


シンドロームは敗北すると、留守番をしていた末子のジャック=ジャックをさらった。


「幼子を人質にするか」


ゼウスとヘラの声が重なった。


空へ逃げるシンドロームの腕の中で、ジャック=ジャックの身体が燃え上がった。金属になり、怪物のように変形し、シンドロームへ噛みつく。


ゼウスが立ち上がった。


「末子にも力があるではないか!」


「血筋を侮りましたね」


ヘラも身を乗り出している。


ヘレンが伸ばした腕で子供を受け止めた。


逃げようとしたシンドロームは、外套を飛行機へ巻き込まれた。


ゼウスは自分の肩へ手を置いた。


「外套は不要だな」


「威厳はどうした」


「死者から学ぶのは王の務めだ」


「仕立て屋からも学べ」


やがて、パー家は普通の暮らしへ戻った。


ダッシュは足の速さを隠しきるのではなく、ほかの子供たちと走りながら力を抑えることを覚えた。


「共同体の中で、己の力を扱うことを学んだか」


「勝つだけなら簡単だからな」


「力を示さず、隠しもしない。難しい走り方だ」


競技場の地面を割り、地中から新たな怪人が現れた。


家族は互いの顔を見た。


全員が仮面をつける。


ヘラが微笑んだ。


「今度は、初めから一緒ですね」


エンドロールが始まった。


    *


俺が皿を片づけていると、ヘラがゼウスを見た。


「あなたは毎晩、こちらへ来ていますよね」


「毎晩ではない。来ぬ日もある」


「食事をご馳走になり、客人としてもてなされ、物語まで見せていただいている」


「……そうだな」


「それに対し、あなたは何を与えましたか?」


ゼウスは腕を組んだ。


「神官にしてやろうとはした。だが、こいつが断ったのだ」


「会社員だからな」


「槍や盾も考えたが、どうせ断るであろう」


「何と戦わせる気だ」


ヘラが俺を見た。


「そういえば、私からの褒美も断りましたね」


「あ、えっと、大変光栄ではありましたが、アジアの支配権や平穏な死は、現代の会社員には少々扱いが難しいと言いますか」


「平穏な死は、よい褒美だと思いましたが」


「今いただくと何か始まりそうで怖いです」


ヘラは一度頷いた。


「褒美は、与えられた者が喜ぶものでなければなりませんね」


「ご理解いただけて助かります」


ヘラはゼウスへ向き直った。


「この方が喜ぶ褒美を考え、きちんと与えなさい」


「いや、本当に結構です。こいつ、余計なことをしそうなので」


「そういうわけにはいきません。客人のもてなしへ報いることは、神々の王としての沽券に関わります」


「私は神官の地位を与えようとしたぞ」


「俺が喜ぶ物を考えろって言われただろ」


「ならば何が欲しい」


「お前が余計なことをしない保証」


「褒美になっておらぬ」


「もう難航してるじゃねえか」


ヘラは立ち上がった。


「時間をかけて考えなさい。あなたが、この方をどれほど理解しているかも分かります」


ゼウスの眉が動いた。


宿題だけでなく試験まで追加されたらしい。


俺は棚から細長い箱を取り出した。


「こちら、よろしければお持ちください。蜂蜜と発酵バターの焼き菓子です。ご家族でどうぞ」


ヘラは両手で箱を受け取った。


「まあ。お気遣いありがとうございます」


ゼウスの手が箱へ伸びた。


ヘラは箱を胸元へ引いた。


「これは家族へいただいたものです」


「私も家族だ」


「でしたら、持ち帰って皆でいただきましょう」


「今、一つ食べても同じではないか」


「皆でいただきましょう」


「はい」


ゼウスが即座に引いた。


ヘラは玄関で俺へ頭を下げた。


「食事も物語も楽しませていただきました。お土産までいただいて」


「はい。こちらこそ、お越しいただきありがとうございました」


「人間よ。私はその挨拶を受けておらぬぞ」


「お前は勝手に来て勝手に帰るだろ」


ヘラがゼウスへ顔を向けた。


「あなた自身の責任です」


「ぐぬぬ」


「しかし、このように良くしていただいたのですから、私も何か報いなければならないですね」


今日1番の爆弾が来た。


「いえ、あの来ていただいただけでありがたいです。本当に結構です」


「私はゼウス・クセニオスの妻です。伴侶の司る神権を破ることはできません。私も何か考えておきます」


「え、あ、はい、楽しみにします」


「では、またお会いしましょう」


「お。お気をつけて」


神々の王は、焼き菓子の箱から目を離さないまま部屋を出た。


扉が閉まる直前、ヘラの声が聞こえた。


「家へ着くまで開けてはいけませんよ」


「分かっている」


ますますゼウスへの圧が強くなった。


ヘラは俺の想像と全く違う女神だった。だが俺の恐怖は何故か少しも和らぐ事がなかった。


「….…またって言った」


何もいらないという俺の希望は、最後まで採用されなかった。神々の女王は再び来ることを告げて夫と共に帰った。


挿絵(By みてみん)



神話メモ


◾️ヘラ


ヘラは婚姻と女性、正統な家族を司る女神であり、ゼウスの正妻として神々の女王の地位にある。結婚生活や血統の秩序を守護する一方、ゼウスと関係を持った女性や、その間に生まれた子供へ激しい怒りを向ける神話でも知られる。


挿絵(By みてみん)


※ヘラのイメージです。


◾️ヘラ・テレイア


ヘラ・テレイアは、婚姻を司る女神としてのヘラの呼称である。「テレイア」には完成された、成就したという意味があり、正統な結婚と夫婦の結び付きを守護する姿を表す。ゼウス・テレイオスと対で祀られ、婚姻によって成立する家や血統の秩序とも結び付いた。


◾️ゼウスと英雄たち


ゼウスは人間の女性や女神との間に、多くの英雄をもうけた。ダナエーとの子ペルセウスはメドゥーサを討ち、アルクメネーとの子ヘラクレスは十二の難業を成し遂げた。神の血は英雄の並外れた力を説明する一方、ゼウスの正妻ヘラとの争いを招く原因にもなった。


◾️ヘラとヘラクレス


ヘラクレスはゼウスと人間の女性アルクメネーの子である。ヘラはその誕生を憎み、赤子の寝床へ二匹の蛇を送り込んだとされる。ヘラクレスは蛇を両手で絞め殺し、幼い頃から並外れた力を示した。名のヘラクレスには「ヘラの栄光」という意味がある。


◾️クセニア


クセニアは、旅人や客人を迎え、食事や寝場所、贈り物を与えて送り出す古代ギリシャの客人歓待である。客人を不当に害する行為は、旅人を守護するゼウス・クセニオスへの罪とされた。歓待を受けた側にも、主人へ礼節を尽くし、恩へ報いることが求められた。

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