第29話 オズの魔法使い
※本編では映画の結末を含むネタバレがあります。
映画紹介
公開年:1939年
監督:ヴィクター・フレミング
主演:ジュディ・ガーランド
カンザスの農場で暮らす少女ドロシーは、竜巻に巻き込まれ、愛犬トトとともに不思議なオズの国へ運ばれる。故郷へ帰る方法を求め、黄色いレンガ道を進む彼女は、脳を欲しがるかかし、心を求めるブリキ男、勇気を願うライオンと出会い、偉大な魔法使いが住むエメラルドの都を目指す。
「今日はチリコンカンだ」
ゼウスは赤い煮込みをスプーンですくった。
「豆と牛か。よい味だ」
「カンザスでは、これにシナモンロールを合わせるらしい」
ゼウスが皿の横に置いた甘いパンを見る。
「食後ではないのか」
「一緒に食う」
ゼウスはチリコンカンを飲み込み、シナモンロールを一口かじった。
「塩気のあとに味か。悪くない」
「順応が早いな」
「旨い食べ方を拒む理由がない」
俺もスプーンを取った。
「今日の映画は『オズの魔法使い』」
「オズという魔法使いの話か」
「だいたい合ってる」
「なぜ含みを持たせる」
「映画見ろ」
俺は再生ボタンを押した。
*
セピア色のカンザスで、ドロシーは叔母夫婦や農場の男たちと暮らしていた。
近所の女に愛犬トトを取り上げられそうになり、誰にも自分の話を聞いてもらえない。
ドロシーは、ここではない遠い場所を思い、虹の彼方を歌った。
「願いを歌にするのは正しい」
「何の基準だよ」
「言葉だけより神々へ届く」
「別に神へ歌ってないぞ」
「歌い手が決めることではない」
「神に向けたつもりじゃありませんが防御にならないのか」
空が暗くなった。
巨大な竜巻が農場へ迫り、ドロシーは家の中へ逃げ込んだ。家は地面から引き剥がされ、空へ巻き上げられる。
「聞き届けるのが早いな」
「願いの叶え方が乱暴すぎる」
「誰が聞いたのだ」
「お前みたいな神じゃないことを祈るよ」
「私なら家ごと飛ばさぬ」
「雷で吹き飛ばすもんな」
家が地面へ落ちた。
ドロシーが扉を開ける。
セピア色だった画面の奥に、鮮やかな草花と青い空が広がった。
ゼウスがシナモンロールを持ったまま止まった。
「世界に色がついたぞ」
「ここからがオズだ」
*
ドロシーの家は、東の悪い魔女を押し潰していた。
小さな住人たちは魔女の死を喜び、歌と踊りでドロシーを迎えた。
「到着直後に家で魔女を殺したのか」
「事故だ」
「そして、また歌うのか」
「そういう映画だ」
「歌が物語を運ぶのは正しい」
「一人ずつ喋った方が早いけどな」
「宴でそのようなことを言えば追い出されるぞ」
善い魔女グリンダが現れ、死んだ魔女の赤い靴をドロシーへ履かせた。
そこへ、東の魔女の姉である西の悪い魔女が現れた。
西の魔女は妹の靴を要求したが、赤い靴はドロシーの足から離れない。
ゼウスが眉を上げた。
「死者の履物を、なぜ北の魔女がこの娘へ渡す」
「家ごと落ちて勝ったからじゃないか」
「事故だと言ったのはお前だろう。事故を武勲に数えるな」
西の魔女はドロシーへ顔を近づけ、必ず靴を奪うと脅した。
「返さなくてよい」
「判断が早い」
「子を脅す者に、相続を語る資格はない」
西の魔女は赤い煙と炎を残して消えた。
故郷へ帰りたいドロシーに、グリンダはエメラルドの都に住むオズの魔法使いを訪ねるよう告げた。
ドロシーは黄色いレンガ道を歩き始めた。
*
道の途中で、ドロシーは杭に掛けられたかかしと出会った。
かかしは、自分には脳がないと嘆いた。脳をもらうため、ドロシーと一緒にオズを目指す。
次に二人は、森で錆びついたブリキ男を助けた。
ブリキ男は、自分には心がないと言った。昔の恋を語るうちに涙を流し、また顔を錆びつかせた。
「心がない男が泣いておるぞ」
「本人はないと思ってる」
「涙はどこから出たのだ」
「油じゃないか?」
「ならば先ほど差したものが逆流している」
「ホラー映画に変えるな」
ブリキ男も、心をもらうために旅へ加わった。
森の奥では、ライオンが三人の前へ飛び出した。
大声で威嚇し、かかしとブリキ男へ襲いかかる。だがドロシーに鼻を叩かれると、その場で泣き始めた。
「獅子が泣いたぞ」
「自分には勇気がないんだと」
「大声を出すことと、勇気は別だからな」
「珍しく冷静だな」
「ネメアの獅子は泣かなかった」
「それヘラクレスに締め殺されたやばいライオンだろ。比較対象が悪い」
ライオンも勇気を求め、一行へ加わった。
三人は自分に欠けているものを歌いながら、黄色いレンガ道を進んだ。
ゼウスが指を折る。
「脳、心、勇気。足りぬものを申告するたびに歌う一行だな」
「お前も歌ってみるか?」
「歌うのは構わぬが、私に足りぬものなどない」
「足りないのは自覚か」
*
一行はエメラルドの都へ到着した。
巨大な扉を抜け、緑色に輝く都の奥で、オズの魔法使いと対面する。
炎が噴き上がり、煙の中に巨大な顔が浮かんだ。
低い声が部屋を揺らす。
ゼウスが腕を組んだ。
「姿を隠し、炎と声で威圧するのか」
「お前と手口が似てないか?」
「私は顔を隠さぬ」
「雷雲から声だけ聞かせたりしてない?」
「必要な場合はある」
四人は、脳、心、勇気、故郷へ帰る方法を求めた。
オズは願いを叶える条件として、西の魔女の箒を持ち帰るよう命じた。
「褒美の前に働きを求めるのは王としては分かる」
「少女に魔女を殺してこいって言ってるぞ」
「人選には問題があるな」
「問題しかないだろ。児童労働法が泣くぞ」
一行は西の魔女の城へ向かった。
空から翼のある猿が襲いかかり、かかしを引き裂き、ドロシーとトトをさらっていく。
西の魔女はドロシーを城へ閉じ込め、赤い靴を渡すよう迫った。
だが靴は、ドロシーが生きている限り脱がせられない。
魔女は砂時計を置き、砂が落ちきれば命も尽きると告げた。
「靴のために子を殺すのか」
「さっきまで相続の話してたけどな」
「相続人が殺しに来た時点で話は終わった」
トトは城から逃げ出し、かかしたちのもとへ走った。
三人はドロシーを救うため、魔女の兵に化けて城へ忍び込む。
「頭がない男が策を考えたぞ」
かかしは見張りの動きを読み、仲間を先へ進ませた。
ブリキ男は捕らわれたドロシーを案じ、今にも泣きそうな顔をしている。
「心がない男が、一番心配しているな」
残ったライオンは、城の奥から聞こえる声に震えていた。
それでも二人のあとを追い、先頭へ出る。
ゼウスが頷いた。
「恐れてなお進む者を、臆病とは呼ばぬ」
「本人だけが気づいてないんだよな」
三人はドロシーを救い出した。
だが西の魔女に追い詰められ、かかしの腕へ火をつけられる。
ドロシーは近くにあった水をかかしへ浴びせた。
水は西の魔女にもかかった。
魔女の身体が崩れ、服の中へ沈んでいく。
「水で死ぬのか」
「本人も驚いてるな」
「今までどうやって生きながらえてきたのだ」
「雨が降ったら終わりだな」
「風呂はどうする?……それで緑なのか?」
「あの色は溜まった汚れじゃねーよ」
西の魔女は溶けて消えた。
魔女の兵たちは支配から解放され、ドロシーへ箒を渡した。
「人望もないのか」
「支配してたんだろ。子供の頃は魔女の兵士が即座にありがとうになるのも好きだったな」
「全員嫌々働いてたのだな」
*
四人は箒を持って、オズのもとへ戻った。
だがオズは約束を先延ばしにし、翌日また来るよう命じた。
トトが部屋の隅へ走り、緑色の幕を引いた。
幕の裏では、一人の老人が機械を動かし、拡声器へ向かって話していた。
炎も煙も巨大な顔も、すべて仕掛けだった。
「犬に王の顔を剥がされたぞ」
「王じゃなくてペテン師だったな」
老人は、自分は偉大な魔法使いではないと認めた。
気球でこの国へ流れ着き、住人から魔法使いだと思われ、そのままオズを名乗っていた。
「国ごと騙していたのか」
「本人に魔法はない」
「西の魔女と戦わせた理由が分かった。自分では何もできぬからだ」
オズは、かかしへ証書を渡した。
次に、ブリキ男へ心臓を模した時計を渡す。
ライオンの胸には、勇気を示す勲章をつけた。
三人の顔が輝いた。
「脳も心も勇気も与えておらぬぞ」
「本人たちには効いてる」
「すでに示した働きへ、名と証を与えたのか」
「急に評価が上がったな」
「ペテン師ではあるが、褒美の形は心得ている」
「でもペテン師なんだろ」
「王を名乗った罪は別だ」
ドロシーをカンザスへ帰すため、オズは自分が乗ってきた気球を用意した。
二人で気球へ乗り、故郷へ帰る。
そのはずだった。
出発の直前、トトが気球から飛び降りた。
ドロシーが追いかける。
気球はオズだけを乗せて空へ上がった。
「逃げたぞ」
「事故だ」
「一人だけ故郷へ帰る気だ」
「たぶん着く場所は選べないけどな」
*
ドロシーが途方に暮れていると、グリンダが現れた。
赤い靴の踵を三度打ち鳴らし、帰りたい場所を願えば、いつでもカンザスへ帰れたという。
「最初から帰れたのか?」
「本人が信じなかったから、教えなかったらしい」
「魔女の城へ送る前に言え」
「そこは俺もそう思う」
グリンダは、誰かに教えられただけでは信じられなかったと説明した。
ドロシーは、かかし、ブリキ男、ライオンへ別れを告げた。
三人とも旅の初めに欲しがっていたものを、すでに持っていた。
ドロシーもまた、帰る力を最初から履いていた。
ゼウスが画面を見たまま口を開く。
「戻らずともよいのではないか。旅の友もいる。こちらの世界には色がついているぞ」
「本人が帰りたいんだから帰らせろ」
「それもそうだ」
ドロシーは目を閉じ、赤い靴の踵を打ち鳴らした。
家へ帰ることを繰り返し願う。
色が消えた。
ドロシーはセピア色の部屋で目を覚ました。
ゼウスが画面へ顔を寄せる。
「また色がなくなったぞ」
「カンザスへ帰ったんだよ」
「これが望んだ場所か」
「叔母さんたちがいるからな」
ベッドの周りには、叔母夫婦と農場の男たちが集まっていた。
その顔は、かかし、ブリキ男、ライオン、オズと同じだった。
ドロシーは、オズの国へ行ったと訴えた。
周囲の大人たちは、夢を見たのだと笑った。
「夢なのか」
「頭を打ってるからな」
「夢であろうと、旅をしたことに変わりはない」
ドロシーは叔母へ抱きつき、家ほどよい場所はないと繰り返した。
「遠くへ行かねば、家が見えぬこともあるか。オデュッセウスよりは早く帰った」
「十年迷子になってた奴を比較対象にするな」
「オデュッセウスより仲間に恵まれていた」
「それこそ比べるな。勝手に袋開けたり、食うなって言われてる牛食べる奴らだろ」
エンドロールが始まった。
「少女も帰る術を持っていた。すでに持ってるものを欲しいと願う話か」
「オズの魔法だけがなかったんだ」
ゼウスは立ち上がり、皿に残っていた最後のシナモンロールを取った。
「では、私も帰る」
「シナモンロール持ってくのかよ」
「帰還する者には旅の糧が要る」
「オリュンポスまで一瞬で着くんだろ?」
「旅の長さと空腹は関係ない」
「うちから持って帰るのは土産じゃなくて略奪だからな」
いつもなら、そのまま消えるところだった。
だがゼウスはシナモンロールを持ったまま立ち止まり、俺から目をそらした。
「何だよ」
「人間よ。明日はヘラも来る」
「なんで?」
「毎日のように私がここへ来ているのでな。一度挨拶をしたいそうだ」
「待て。ヘラって、お前の浮気相手と隠し子を片っ端から追い回してるヘラ?」
「言い方に問題がある」
「丁重にお断り申し上げてくれ。そんな高貴な方が挨拶に来るような場所でもなければ、俺も挨拶を受けるような人間ではございませんと」
「私には一度も使ったことのない言葉遣いだな」
「お前と同じ扱いができるか!」
「お前には正しい言葉使いがないと思っていたが、持っていたか」
「映画ネタに合わせて誤魔化そうとするな」
ゼウスはシナモンロールを一口かじった。
「前にお前に見せられた、妻が夫を陥れた話があっただろう」
「『ゴーン・ガール』か?」
「あれで興味を持ったらしくてな。あと、私がここで見た話をよくするのでな」
「お前のせいか!」
「そんなに恐れるな。基本的には良い女だ」
「夫のお前が『基本的には』をつけるな」
「それに、お前のことは善良な人間だと認識しているはずだ」
「その善良な人間に、平穏な死を褒美でやろうとしてたぞ!」
「とにかく伝えたからな」
「待て。帰るな。断れ!」
「確かこうだったか」
神々の王は、かかとを3回合わせシナモンロールと一緒に消えた。
神話メモ
◾️ノストス
ノストスは、旅や戦争を終えて故郷へ帰ることを意味する古代ギリシャ語である。とりわけトロイア戦争から帰還する英雄たちの物語を指し、帰るまでに受ける試練や、長い不在によって変化した家と共同体も重要な主題となった。
◾️オデュッセウス
オデュッセウスはイタケーの王であり、トロイア戦争に参加した英雄である。戦争終結後、故郷へ帰るまでさらに十年を費やした。知恵と策略で怪物や神々の妨害を切り抜け、妻ペネロペーと息子テレマコスの待つ家へ帰還する物語が『オデュッセイア』に描かれる。
◾️コロス
コロスは、古代ギリシャ演劇で歌や踊りを担った合唱隊である。登場人物の行動へ意見を述べ、過去の出来事や状況を説明し、観客と物語を結ぶ役割を果たした。悲劇だけでなく喜劇にも登場し、上演では音楽と舞踊を伴う重要な構成要素だった。




