第16話 トゥルーマン・ショー
映画紹介
公開年:1998年
監督:ピーター・ウィアー
主演:ジム・キャリー
トゥルーマン・バーバンクは、平凡な町で暮らす普通の会社員。しかし彼は知らない。家族も友人も町の人々も、すべて俳優。町そのものが巨大なセットであり、彼の人生は生まれた時から世界中へ放送されていた。誰にも真実を知らされないまま、ただ一人だけ本物として生きる男の物語。
「今日は『トゥルーマン・ショー』」
ゼウスが首を傾げた。
「見世物か。競技か、芝居か?」
「どっちでもない。一人の人生」
「それの何が見世物になる?」
俺はフィッシュ・アンド・チップスをテーブルへ置いた。
白身魚のフライ。太めのポテト。タルタルソース。それから瓶ビールの小瓶を三本。どうせこいつはすぐに二本目に行くだろ。
「今日は魚か」
「海が出るからな。それと、この映画はビールの印象が強い」
ゼウスは瓶を持ち上げた。
「麦酒…か?」
「まあ間違ってないな。番組のスポンサーじゃないから安心しろ」
「何を言っている?」
「見れば分かる」
ゼウスはフィッシュフライを一口食べた。
「魚に衣を着せたか」
「揚げてある」
「悪くない」
俺もビールを開け、映画を再生した。
*
笑顔の男が鏡へ話しかけている。
トゥルーマン・バーバンク。
海辺の町シーヘブンで暮らす、明るく人当たりのよい会社員だ。
だが、町は巨大な撮影施設だった。
家にも道路にも職場にも、小さなカメラが隠されている。
妻も母も親友も俳優。
トゥルーマンだけが何も知らない。
彼の人生は、生まれた時から世界中へ放送されている。
ゼウスがビールを飲んだ。
「何が問題だ?」
「え?」
「人間を見ること自体は珍しくない。神々も祭や競技を見る」
「本人だけが、見られてることを知らないんだぞ」
ゼウスの手が止まった。
「演じている者も、見る者も知っている。本人だけが知らぬのか」
「そういう番組」
ゼウスは画面のトゥルーマンを見た。
「ならば、舞台に立っているのではない。舞台へ閉じ込められている」
「分かってきたな」
「これだけの者を集め、男一人の朝食まで見るのか?」
「世界中でな」
「いつまで続ける?」
「本人が死ぬまで」
「葬儀も放送する気か?」
「たぶんな」
ゼウスはもう一度、画面のトゥルーマンを見た。
「人間は暇なのか」
*
トゥルーマンは家を出た。
近所の住民と、いつもの挨拶を交わす。
歩道へ出た瞬間、空から大きな照明が落ちてきた。
ゼウスが眉を上げる。
「太陽が落ちた」
「ライトだよ」
「空に灯を置いているのか」
トゥルーマンは落下物を拾い、不思議そうに見つめる。
車のラジオは、飛行機から部品が落下したと説明した。
「言い訳まで空から降ってきたな」
「番組を続けなきゃいけないから」
翌日には、車のラジオへ撮影スタッフの無線が混線した。
歩くトゥルーマンの位置や動きを、声が正確に実況している。
周囲を走る車も、通行人も、毎日同じ順番で現れる。
ゼウスが目を細めた。
「偶然の使い方が下手だ。神なら、もっと自然にやる」
「白鳥とか牡牛とか、黄金の雨とか?」
ゼウスが俺を見た。
「……当時は見破られておらぬ」
「後世には全部ばれてるぞ」
「詩人が余計なことを書いた」
「神話をリーク事件として扱うな」
「あのカメラは、いくつある?」
露骨に話を戻したな。
「五千台くらいらしい」
「アルゴスでも、これほど一人だけを見続けぬぞ」
「アル……誰?」
「百の目を持つ監視者だ。眠っている間も一部の目は開いていた」
「そいつの五十倍か」
「暇な目が多すぎる」
「職務で百、娯楽で五千か」
*
トゥルーマンは、死んだはずの父親を通りで見つけた。
ホームレスの姿で現れた父親は、トゥルーマンを見て声を上げる。
だが、話す前に通行人たちが二人の間へ入った。
父親はバスへ押し込まれ、連れ去られる。
「父ではないのか?」
「父親役の俳優。番組を降ろされたあと、勝手にセットへ入った」
「なぜ死んだことになっている」
幼い頃、トゥルーマンは父と海へ出た。
番組が作った嵐によって父は船から落ち、そのまま死んだことにされた。
以来、トゥルーマンは海を恐れている。
「子を海へ出さぬため、父を殺したのか」
「死んでない。死んだ役をさせた。さっき出てきたろ」
ゼウスの顔が険しくなる。
「なお悪い。偽りで親子の別れまで道具にした」
ゼウスは不機嫌な顔で二本目のビールの栓を抜いた。
*
大学時代。
番組は、トゥルーマンがメリルという女と恋に落ちる筋書きを用意していた。
だが、トゥルーマンが心を奪われたのは、端役のシルヴィアだった。
ゼウスが少し笑う。
「用意された女ではなく、別の女を選んだか」
「台本から外れたんだよ」
「人の心まで配役できると思ったのか。随分と自信がある」
「神でも無理か?」
「アプロディテでも、恋を始めさせることはできるが、その後まで台本どおりには動かせぬ」
「お前が言うと、別の意味で説得力があるな」
「多くを見てきたからな」
「見てきた?当事者だろ」
シルヴィアはトゥルーマンを海岸へ連れ出し、すべてが偽物だと伝えようとした。
だが、番組側の男が父親を名乗って現れる。
娘は病気で、島を離れてフィジーへ行くのだと言い、シルヴィアを車へ押し込んだ。
それ以来、トゥルーマンはフィジーへ行くことを望み続けていた。
雑誌から女性の目や鼻を切り抜き、シルヴィアの顔を作ろうとしている。
「まだ覚えていたか」
「忘れられないんだろ」
「偽の世界で、自分が選んだ女か」
*
親友のマーロンと、トゥルーマンが橋の上でビールを飲んでいる。
マーロンは瓶を傾けた。
ラベルをきれいにカメラへ向けて、これぞビールだと言った。
ゼウスが自分の瓶を見た。
「今のは誰に言った?」
「トゥルーマンじゃない。番組を見てる客」
「友の悩みを聞きながら、酒を売っているのか」
「この世界は何でも商品だからな」
ゼウスは瓶のラベルを手で隠した。
「何してんの?」
「我々まで宣伝に使わせぬ」
「誰も使わねーよ」
「神々の王が飲む麦酒だぞ」
トゥルーマンは島を出たいと語る。
マーロンは仕事も町も申し分ないと言い、ここへ留まるよう勧めた。
「この友も止める側か」
「仕事だからな」
「友情も仕事になるのか?」
「この町では」
ゼウスはラベルを隠したままビールを飲んだ。
*
トゥルーマンは旅行代理店へ向かった。
フィジーへ行こうとするが、飛行機は長期間満席。
バスへ乗れば故障する。
車で島を出ようとすれば、渋滞や事故が道を塞ぐ。
町の出口には、山火事や原発事故まで現れた。
「囲っているな。鳥籠だ」
「人間一人のためのな」
「門番を倒し、船を奪えばよい」
「剣も仲間もいない普通の会社員だぞ」
「ならば、まず仲間を集めよ」
「町の全員が俳優だよ」
ゼウスは黙った。
「……難儀だな」
「今さら分かったか」
トゥルーマンは妻のメリルを車へ乗せ、橋へ向かった。
海を前にして身体が固まる。
それでも目を閉じ、アクセルを踏んだ。
車は橋を渡り切る。
「恐れが消えたのではない」
ゼウスが言った。
「恐れたまま進んだ」
「外へ出たい方が勝ったんだな」
「囲われた獣は、囲いを知った瞬間に外を見る」
気がつけば神々の王は2本目のビールの空にしていた。
冷蔵庫から三本目を出す。
「これラストだからな」
*
妻のメリルは、トゥルーマンを家へ戻そうとする。
彼に疑いを向けられると、突然ココアの箱を取り出した。
笑顔でカメラへ向け、商品の特徴を説明し始める。
ゼウスが止まった。
「夫との会話を止めて、商売を始めたぞ」
「スポンサーは大事だから」
「夫よりか?」
トゥルーマンは疑問を口にした。
誰に向かって話している。なぜ商品の説明を始める。
追及され、メリルは隠しカメラへ助けを求めた。
ゼウスの目が細くなる。
「夫ではなく、空へ助けを求めたぞ」
「上にスタッフがいるからな」
「この家には、最初から夫婦がいなかったのだな」
「メリルには仕事でも、トゥルーマンには本物だった」
ゼウスは低い声で言った。
「夫婦の誓いを結びながら、裏で別の者へ従う。ゼウス・ホルキオスの前なら許さぬ」
「結婚について、お前が言うと説得力が複雑だな」
「誓いを破ることと、女が多いことは別だ」
「本人に聞かせたいな」
「誰にだ」
「ヘラ」
「おい人間。この麦酒は爽快で美味いな」
「……」
ゼウスは無言でビールを飲んだ。
*
メリルは番組から外された。
代わりにマーロンが現れ、トゥルーマンと橋へ座る。
マーロンは、自分だけは絶対に嘘をつかないと語った。
だが、その言葉は彼自身のものではない。
月の形をした操作室で、番組の責任者クリストフが台詞を読み上げている。
一語ずつ、無線でマーロンへ伝えている。
ゼウスから笑いが消えた。
「友の言葉まで、あの男が喋らせているのか」
「そう」
「誓いに近い言葉を、嘘の中心にいる男が遠くから他人の口に入れるか。悪質だ」
霧の中から、死んだはずの父親が現れた。
トゥルーマンは駆け寄り、抱き合う。
音楽が流れ、カメラは最も美しく見える角度へ動く。
世界中の視聴者が涙を流していた。
「父を奪った者が、父を返して感謝されている」
「番組としては最高の場面だ」
「盗人が盗品を返し、祝宴を求めているだけではないか」
操作室では、スタッフたちが成功を祝っていた。
その中央で、クリストフだけが静かに親子を見下ろしている。
「高い所が好きなのか」
「全部見えるからな」
「見えても王ではない」
「まあ番組の演出家だ」
「王なら民を治める。こいつが治めているのは男一人だ」
「本人は創造主のつもりだぞ」
「雷落としてもいいか?」
「やめろ。テレビが壊れるか、演じた役者が焼けるのか知らないが、どっちにも罪はない」
*
トゥルーマンは以前の日常へ戻ったように見えた。
いつもの挨拶。
いつもの仕事。
夜には地下室で眠る。
番組側も警戒を解いた。
だが、地下室の毛布の中に本人はいなかった。
床には、外へ続く穴が開いている。
ゼウスが笑った。
「芝居を覚えたな」
「三十年見られて、初めて自分から演じた」
「自由を得るための芝居か。よい」
番組は初めてトゥルーマンを見失った。
放送が止まり、世界中の視聴者が黒い画面を見つめる。
町の住民役まで総動員され、トゥルーマンを捜し始めた。
「迷宮だな」
ゼウスが言う。
「町が?」
「ダイダロスも、自ら作った迷宮へ閉じ込められた」
「誰に?」
「王にだ。作った者ですら、出口を奪われた」
「トゥルーマンは作ってもないけどな」
*
照明が夜を消し、町を昼へ変えた。
捜索が続く。
やがて、カメラは海の上に一艘の帆船を見つけた。
ゼウスが身を乗り出す。
「海へ出たのか」
「一番怖い場所へな」
トゥルーマンは一人で帆を張り、沖へ進んでいた。
クリストフは天候を操作する。
風。豪雨。雷。大波。
船が激しく揺れる。
「嵐まで作るのか」
「止めるのに必死なんだ」
「風はアイオロス、波はポセイドン、雷は私の領分だ」
「一人で三柱分を動かしてるぞ」
「権能の扱いが雑だな」
ゼウスはしばらく嵐を見た。
「それに、雷を落とす間が悪い」
「結局そこか」
「波ばかりでは目が疲れる」
「さっきまで五千台のカメラの批判してた奴が画面構成に注文つけるな」
クリストフは嵐を強めた。
周囲のスタッフが、トゥルーマンを殺す気かと止める。
それでも風は止まらない。
トゥルーマンは帆柱へ自分の身体を縛りつけた。
ゼウスの顔から笑みが消えた。
「もう充分だ」
「何が?」
「もう充分に試した。あの男は恐怖を越えた」
船が大波に呑まれる。
「まだ止めぬのか」
クリストフは、さらに波を高くするよう命じた。
トゥルーマンは水の中へ沈み、それでも再び顔を上げた。
やがてクリストフが嵐を止める。
海が静かになる。
「見世物が終わるから止めたのか」
「情けかもしれないぞ」
「情けなら、最初の波で止めている」
*
船は再び前へ進む。
鈍い音が響いた。
船首が青い空へ突き刺さる。
ゼウスが目を細める。
トゥルーマンは壁へ手を伸ばした。
空も雲も、描かれた背景だった。
「世界の端か」
「偽物だけどな。トゥルーマンにとっては本当に世界の端かもな」
トゥルーマンは壁沿いに歩く。
階段を上った先に、出口の扉があった。
「門だな」
「うん」
空からクリストフの声が響く。
自分こそトゥルーマンを最も理解している。
外の世界にも嘘はある。
ここなら安全に暮らせる。
ゼウスが鼻で笑った。
「嘘だ」
「即答だな」
「欺瞞だ。父を奪い、海を恐れさせ、妻と友を偽らせた。安全とは呼ばぬ」
クリストフは、自分がトゥルーマンの人生を作ったのだと告げる。
「空と海の絵を描き、人間一人を置いただけで創造主を名乗るか」
「本人は本気だぞ」
「星も季節もない。夜は灯を消すだけだ。世界として手を抜きすぎている」
「神が施工検査を始めるな」
「ヒュブリスだな」
「何?」
「人が自分を神の位置へ置く傲慢だ。姿を見せず上から自ら作った世界の安全を説く。自分をどの位置に置いてるか明白だ」
ゼウスは扉を見た。
トゥルーマンは少し笑った。
そして振り返り、お決まりの挨拶をした。
帽子を持ち上げ、一礼する。
扉を開き、暗い出口の向こうへ歩いていった。
ゼウスがゆっくり頷いた。
「よい終わりだ。勝者の退場だ」
*
番組が終わった。
シルヴィアはテレビの前から立ち上がり、トゥルーマンを迎えるため部屋を飛び出していく。
世界中の視聴者が歓声を上げた。
抱き合い、泣き、彼の脱出を祝う。
その直後、警備員たちは別の番組を探し始めた。
ゼウスが呆れた顔をする。
「三十年見た男が消えて、もう次を探すのか」
「見世物だからな」
「人間は本当に暇だな」
*
俺は空いた瓶を集めた。
「どうだった?」
「最初は、見るだけなら何が悪いと思った」
「今は?」
ゼウスは少し考えた。
「見世物は、演じる者が舞台を降りられて初めて見世物だ」
「クリストフは降ろさなかったな」
「神ではない。出口を隠した姑息な牢番だ」
ゼウスは立ち上がる。
「本物の神は、あそこまで暇ではない」
「お前、毎日のようにうちへ映画を見に来てるけどな」
ゼウスは黙った。
テーブルに残っていたフィッシュフライを一つ取り、口へ入れる。
「ところで、この魚は本物だな?」
「白身魚だよ」
「どこの海で獲れた?」
「知らん」
ゼウスの手が止まる。
「空も海も偽物だった話の後に、それを言うな」
「魚まで俳優なわけないだろ」
ゼウスは衣の中を確かめた。
「台詞はないのか?」
「揚げ物に何を求めてんだよ」
神々の王は、最後まで魚の素性を疑いながら消えた。
神話メモ
◾️アルゴス・パノプテス
全身に多数の目を持つ巨人で、「すべてを見る者」の意味を持つ名で呼ばれる。眠る時もすべての目を閉じることはなく、女神ヘラの命令で牝牛の姿となったイオを監視した。ゼウスの命を受けたヘルメスによって眠らされ、討たれたと伝えられる。
◾️ゼウス・ホルキオス
誓約を守護するゼウスの側面。「誓いのゼウス」を意味し、偽りの誓いや誓約違反を監視する存在とされた。古代ギリシャでは、神々の名にかけた誓いは宗教的な拘束力を持ち、破れば神罰や共同体からの非難を招くと考えられた。
◾️ダイダロスと迷宮
ダイダロスは優れた技術を持つ職人で、クレタ王ミノスの命令により、怪物ミノタウロスを閉じ込める迷宮を築いた。のちに秘密を知るダイダロス自身も息子イカロスとともにクレタ島から出られなくなり、翼を作って空から脱出したと伝えられる。
◾️ヒュブリス
古代ギリシャにおいて、他者への侮辱や暴力を伴う、度を越した振る舞いを指す言葉。神話や悲劇では、人間が自らの限度を忘れ、神々に並ぶ力や地位を求める行為とも結びつけられる。ヒュブリスに陥った者は、神罰や破滅を招く存在として描かれることが多い。
◾️古代ギリシャの劇場
古代ギリシャの演劇は、ディオニュソスへ捧げる祭礼と深く結びついていた。俳優や合唱隊は仮面を用い、神話や英雄の物語を上演した。観客は舞台上の出来事が演技であることを承知したうえで、共同体の一員として悲劇や喜劇を鑑賞した。




